9話 空いた時間は魔法の練習
「はいお疲れ。朝早くからご苦労様。それにしても大分速く獲ってこれるようになったね」
「ありがとうございます! そう言ってもらえると、もっと頑張れます!」
僕は獲った魔物を入れた袋を渡すと、マリアは声をかけてくれた。何日かこの宿屋で仕事をしている内に、大分仕事にも慣れてきた。
「それだけ短い時間で取れるなら、もう少し寝るのに時間を取っても良いと思うけどねぇ。試験の前に身体を壊すなんて事があったら馬鹿馬鹿しいよ?」
「そうかも知れませんが……早起きには慣れておきたいので」
僕は苦笑いしながら答える。朝早く起きるのには理由がある。本当の事を言うともう少し眠っていたいのだが、それが許されないのである。その理由とはーー
(時間は限られているんだもん。やらなきゃいけない事が多いのなら、早く起きれた方が良いに決まっているじゃない)
サキだ。彼女はなんと、朝を知らせる鐘の音の前に僕を起こす。鐘の音も十分朝早いのだが、彼女は陽の光が射したら起こすのだ。
勿論そんな内心の不満をマリアに打ち明ける事が出来るはずもない。
「仕事はしっかりしているし、やってもらいたい仕事は大体教えたし……よしわかった。それじゃあ仕込みが終わったら、空が赤くなる頃まで好きにしてて良いよ」
「魔法の練習をしていても良いんですか!?」
(やったー! ついにね!)
僕はその言葉を聞いて嬉しかった。サキも待ちに待ったという反応をしている。
「速く仕事をこなせるようになったのは良い事だからね。その上に仕事を積んで、以降手を抜かれるのが双方にとって一番不幸だ」
「僕そんなことしませんよ?」
「そんなの見てればわかるさ。とにかく好きに使って良いさ。疲れたらなら眠っても良いしーー」
(じゃあさっさと仕込みをしなきゃね!)
「うんーーありがとうございます! では、仕込みが終わったらまた声をかけますね!」
僕は急いでカエル肉の仕込みを始めた。
(私のおかげで早く起きれるようになったから許可が取れたのよ)
「サキが暇なだけじゃん。僕は結構きつい思いんだけどな……」
今の状態の彼女には、寝るという概念がないらしく、僕が寝ている間が退屈だそうだ。口では最もらしい事を言っているが、別に僕の事を考えてくれている訳ではない。
(でも早く起きた方が得なのは間違いないじゃない。そして私はレノンと話せて嬉しい。どっちも得しかしていないから良いの!)
「まあ得なんだけどさぁ……ふわぁ……」
思わず欠伸をしてしまう。早く起きれるのは確かに得だが、金が降ってくるわけでもない。本当はもう少し僕の身体を労ってほしい。
(それよりまだ仕込み終わらないの? 毎日毎日同じようにカエルばっかだったけど、ようやく魔法の練習出来るのよ? 速くやっちゃって!)
「僕としては、毎日のカエルも魔法の練習になっているよ。前よりは上手く使えているはずだしーー」
だが、何日も同じ魔物を倒すのをただ見ているだけなのは、彼女にとってはつまらないことらしくーー
(そんな見てもわからないような上達より新しい魔法を教えたいの!)
「うっ……! わかったから、そんなに叫ばないでよ……」
この高い声の大きさも日に日に増していっていた。少し寝不足な頭には辛いものがある。
僕がこの生活に慣れてきたと同時に、彼女は飽きてきたと言えるのだろう。そのせいなのか、最近は文句とわがまま言いたい放題だ。
(ねー、まーだー?)
それを一心に受け、その度説得する僕の心が休まる時間は少ない。もし恩人でもなく、魔法の先生になる約束でもなければ、とっくに不満が爆発していた事だろう。
しかし何を言おうと彼女は気にしない。今日もこの有様で、変わる気配など微塵もなかった。
「ふぅ……こんなものかなーーマリアさん! 出来ました!」
特製のタレに浸されたカエル肉を見て、マリアを呼ぶ。
「よし、良いよ。行っておいで」
(レノン! 行きましょう!)
「ありがとうございます! それじゃあ僕、魔法の練習してきます!」
僕はサキの言葉に頷くと、感謝の言葉を述べて宿屋を出た。魔法を教えてもらうこの時間のために彼女に対して譲歩してきたのだ。これで僕も前進、そして彼女の不満も減るはずだ。
期待を胸に膨らませ、収まらない分を足に、そのまま魔法の練習をするために門の外に向かった。
「ここまで来れば大丈夫だよね?」
都市から十分に離れ、緑蛙の狩場よりももっと奥。辺りに建物は見えず、代わりに何本か大きな木が見える。下には土と草、上には青い空だ。ここなら魔法を使っても問題ないはずだ。
(やっとだわ! 都市のルールに縛られて働き詰めだし、魔物との対決も見た目が悪くならないようにと気を遣って全力を出せないしーーここまで……ここに来るまで本当に長かった……!)
「うん、そうだよね。そうだよね……!」
僕は大きく頷く。
(これからはこの天才魔女である私が、実際によく使っていた数々の凄く凄い魔法を授けていくわ。そしたらあなたは試験どころか、あらゆる頼み事も私みたいに即座に解決! 騎士でもなんでも最上位間違いなしよ!)
「おお……! サキ先生! よろしくお願いします!」
まだ騎士見習いにもなってない、そもそも体を動かして働いたのは僕だなどと突っ込もうと思ったが、彼女がこんなにもやる気になっているのだ。水を差して拗ねられても困るし、僕も彼女を宥めながらも、本当はずっと楽しみにしていた。
(良い返事ね。うーん、魔力の消費量が多いのはダメよね。すぐ使えなくなっちゃうしーー)
「僕に出来そうなのからお願いね」
(最初から難しい魔法は教えないわ。すると……そうね! これくらいなら出来るでしょうーーまずは私がよく使っていたお手軽魔法、悪夢の魔剣を使えるようになりましょう!)
「悪夢の……魔剣?」
お手軽感が全くないとても強そうな名前だ。是非とも使えるようになりたいが、そんな魔法を僕がいきなり使えるのだろうか。
(そう。悪魔の魔剣。何もないところから黒い剣をスゥっと作ってシュっと飛ばす魔法よ。そして相手にグサッー! と刺すの! この魔法の凄いところはね、触れた魔法をヒュっと飲み込むところよ。出来ないのもあるけど、これで結構な数の魔法に対処できるわ。慣れればシュシュシュっと一度に飛ばす数を増やしたり、当たるまでビューンと追いかけさせたりする事も出来るようになるわ)
「す、凄い魔法だね!」
(ふふん、でしょ?)
彼女は誇らしそうに言う。普段そんな魔法を使っていたのかと思うとやはりただ者じゃない。最初の出会いは辛いものだったけど、彼女に会えて本当に良かった。
「その悪夢の魔剣は何を元にした魔法なの? 火とか、風とかーー」
(ああ、あの属性とかいうやつね。火・水・土・風・雷・氷みたいなーーあれって意味あるの?)
「意味あるっていうか……まず何を作り出す魔法かがわからないとイメージ出来ないよ」
(と言われても……その他よ)
「その他……?」
何事にも例外はあるのかもしれない。だが、基礎を学ばずにいきなり例外とはどうなのだろうか。
「い、いきなりその他から始めるの?」
(だってどれにも当てはまらないもん。それにーーあんなの大して意味ないし、律儀に従う必要なんてないわ)
「そ、そうなの……?」
(あれは昔の学者だか騎士だかのお堅い人が魔法の普遍化をーだなんて言って、よくある魔法の形を固定化して分類、それに名前を付けたに過ぎないの。確かに勉強している方からすれば、イメージを共有し易くて便利よ。でも折角この私がいるんだもの。そんな陳腐なものより、最初から役に立つ魔法を覚えた方が良いに決まってるじゃない)
「うーん……わかった。それでどうやったら使えるようになるの?」
(さっき言ったイメージをあなたの中で膨らませて、それを再現しなさい。それじゃあ早速、やってみて)
「えっ……?」
さっきのをイメージとして実際にやってみろと言うのか。それはちょっと無理があるだろう。まず『スゥっと作る』って何だ。むしろ消えているのではと思える表現だ。
「スゥっと……」
自分の中でスゥっとを精一杯イメージしてやってみる。しかし当然何も起こらない。
(……まだイメージが足りないようね。あれやってみたら出来るんじゃない? 魔法の名前を言うやつ)
「そういう問題じゃないと思うんだけどなぁーー悪夢の魔剣!」
杖を前に出して唱えてみるも、特に何も起きない。やはり失敗だ。
(うーんーーあっ、ところでレノン。ずっと気になっていたんだけど……)
「ずっと? 気になった時に聞いても良いのにーー」
(うん、次からはそうするわ。えっと、その名前を言うのってーー意味あるの?)
「……意味って?」
僕は聞き返す。凄く引っかかる聞き方だ。
(だって、私は一々魔法の名前を叫ばなくても使えたし、何か意味があるのかなーって、思って)
「……言わないと出せないんだよ。僕はまだそんな上手く魔法が使えなくて、安定していないから」
悔しかったけど、あまりにも純粋な質問といった感じに聞かれたので、正直に話す事にした。
(そうだったのね。それじゃあどんどん叫んで言った方が良いわね。じゃあ杖は? その杖って私の杖みたいに魔力の貯蔵庫じゃないわよね? それもーー)
「ないと安定しないんだよ。それより、なんでサキはそんな事も知らないのさ? 君だって、最初の最初はそうだったんじゃないの?」
(私はそんなのなくても使えたわよ? そうじゃなきゃわざわざ質問しないわよ?)
「うん、そうだけどさ……」
彼女には悪気はない……はずだ。結局サキは天才だから出来たって事か。こんな様子じゃ、助言は期待出来なさそうだし、失敗の共感すら得られなさそうだ。
(言わなきゃ出ないなら仕方ないわね。じゃあ想像しながら叫びましょう! 悪夢の魔剣って! さあレノンも!)
「悪夢の魔剣!」
勿論何も出ない。よく考えてみたらこの魔法も、彼女にとっては簡単なだけで、僕にはとても難易度が高い魔法なのではないだろうか。彼女は僕みたいな初心者を教えるのに適してなさそうだし、覚えさせようとしている魔法の選択から間違っている可能性も高い。
(ま、まあレノンは私じゃないんだし? 最初からは出来ないって事もあるでしょう。そこは練習あるのみよ)
「…………やっぱりこんなの、練習以前の問題だよ! サキはいつも使うとき、こんなイメージでやってたの?」
(ええそうよ。こんな状況でなければ見せてあげられたのにね)
そんなの嘘だ。具体的なイメージが必要なはずなのに、そんな雑で曖昧な説明で魔法が使えてたまるか。魔法は一日で習得するものではないとはわかってはいる。しかし火の魔法なら火が出たとか、風なら風を吹かせたとか何か進展があるはずだ。だがこの魔法、このやり方じゃ、いつになっても習得出来るとは思えない。
「じゃあーーサキが教えてもらった時は、そうやって覚えろって言われたの?」
(ううん、こんなにわかりやすい説明じゃなくて、もっと単純な、漠然とした説明で、時には絵を描いてもらって教えてもらったわ。魔法を……というか、色々な事をーー私達の中で魔法を使える人が、私の他にいなかったから、こんなイメージで出来ないか、これが出来るようになれたら良いなって……余計な話だったわね)
感傷に浸るその声、言葉から、彼女も確かに人として生きていて、一緒にいた人を残していたのだと感じる。確か、十五年前だと言っていたな。それなら、今でも会えるかもしれない。
「ううん、そんな事ないよ。魔法が使えないサキと一緒にいた人って、メイジスじゃない他の民族って事だよね? 剣族の人? 並獣族の人?」
(……昔の事探ろうとしているでしょ?)
「その人に、会いに行くのも良いかなって。寂しそうだから……」
(さ、寂しくなんかないもん! レノンのくせにこの魔女の私をバカにして……! そ、それよりね! 魔法の練習をしているのに、何をサボっているの?)
「そんなつもりは……! ただ僕はーー」
(私の昔の事なんか、今のあなたには関係ないでしょ! それで、練習続けるの? 止めるの?)
「続けるよ。続けるけど……というかサキはそんな曖昧な方法から学べたの?」
(そりゃそうよ。言われた通りにイメージしてみて、取り敢えず形にはなるわ。そこからささっと調整をすれば、完成のはずなんだけど……)
「そっか……」
ーー師匠。あなたに少しでも不満を持ったのが間違いだったのかもしれません。天才な彼女自身が基準なこの人より、師匠の方が全然わかり易かったです。そしてその方が、僕もきっと上達出来ていました。あのときはとても贅沢なことを言っていました。すみませんでした。
結論、サキは天才、僕は凡人。天才のやり方は凡人には通用しない。
僕はそう思うと魔法の本を取り出した。
(何で本出してるの!? 私が教えているのに!)
必死にそう訴えかけてくる。何となく今までの経験からわかっていたが、冗談じゃなくて本当にあれで教えようとしていたみたいだ。
「僕には絶対に無理だよ。そんな状態からでも思い通りに魔法を使えてしまうサキが凄かっただけで、僕は下手っぴなんだ」
僕はそう断言した。
(む……でも、この方法しか教え方はわからないし、それに……私は、魔法しか出来ないし…………)
「サキの教え方は僕の理解を超え過ぎててわからないや。だからこっちで基礎から地道に練習するよ」
(ねえ! も、もう一度言うからよく聞いて! まず影からね? 剣をスゥっと作るの。スゥっとよ? そしたらシュっと飛ば……)
彼女はその後も説明していたが、僕は魔法の本を読み始めたため、耳に入らなかった。本当にこんな感じで大体の魔法を自在に操っていたというのなら彼女は本当に天才だと思った。悪い意味で。
(当たるまでビューンと……)
「サキ?」
(ん? 何? 質問?)
「この本一緒に読もうか」
さっきからずっと説明しようとしている少女に静かにしてもらうため、僕はそう言った。




