1話 地獄の色をした少女
僕は目の前の男を殺した。他でもない、自分の意志で。
何者かに魂を売ったと思われるかも知れないが、実際はその逆だ。
「殺したんだな……僕が、この手で……」
(……行きましょう。村の人を助けるんでしょ?)
魔女の声が頭の中で響く。僕は頷き、走り出す。
売ったどころか二つある。僕と魔女の魂をこの身に宿しながらーー
◆
色があるものは炭となって黒く、または灰となって白くなった。その上に炎と血で真っ赤に塗りつぶされた。
ーーそう、少年レノンが暮らすラティー村は、燃えていた。
僕はその村の中、人を探して走っていた。
「あいつ今、火を……!」
僕が見た男は、探していた人ではない。だがその男は轟音を鳴らし、炎の弾を撃ち込んだ。その後、痛々しい悲鳴が聞こえる。
「止めろ! なんでこんな事をするんだ!」
僕は見過ごせず、男に向かって叫ぶ。黒いローブを着て、右手に持つ剣に血を滴らせた男は、この村の者ではない。明らかに悪人だった。
「理由はあるけどよー。説明とか必要ある?」
男は余裕そうに手で仰ぎながら言った。
「決まっているだろ! 何人も死んでいるんだぞ!」
僕が声を上げると、男は何の躊躇もなく僕に剣を向ける。すると、それだけの動作で幾多もの炎の弾が浮かび、襲いかかってきた。
「くっ……障壁!」
僕は杖を持つ手に力を込めて魔法を唱える。すると手に持つ杖が光り、目の前に近くの土や瓦礫が集まる。それに強化の魔法がかかって盾となり、炎の弾を何とか防いだ。
「ほーん、やるじゃん。田舎のガキのくせに」
男はあくまで余裕を崩さない。杖ではなく剣を持ち、無言で魔法を放っていたーーつまり杖無しで無詠唱。相当な手慣れだ。
だからって逃げるものか。僕は男に杖を向けた。
「よくも……氷柱!」
鋭く尖った氷の針を作り出し、それを男に向かって飛ばす。
しかし男は、一歩も動かない。当たったと思ったが、氷の針は男の目の前で光の壁に阻まれ、消えてしまった。
「盾で防いで氷柱で反撃。こんな小さな村でも形になる魔法が使えるやつがいたのかーーまあ、魔法の名前を唱えている時点で初級者丸出しだが」
不敵に笑みを浮かべながら、つらつらと喋る。
「絶対に、お前を倒してやる……!」
「はいはい。もうわかったって。いじらしいやつめ。これでまだ生きていたら教えてやるよーー」
男はゆっくりと手を前に出した。
「本当は言わなくても良いんだが、敢えて唱えてやるよ。上級魔法ーー火炎竜!」
そう宣言した時、伸ばされた手の前に魔法陣が展開される。
「魔法陣!? 本当に上級……くっ……! 障壁!」
上級魔法ーー本に書いてあっただけで、実際に見るのは初めてだ。足が震えるのを出来るだけ無視し、壊れかけた盾をもう一度作り直す。やがて魔法陣から炎が吹き出し、それが竜の形になると、意思を持ったかのように僕に襲いかかってきた。
「くっ、くそ……!」
炎の竜が僕の盾に食らいつく。ぶつかると炎は段々力を増していく。僕も強く杖を握り、杖も光って答えてくれるがーー
「ぐっ……うわああああ!!」
盾は無惨にも噛み砕かれてしまった。炎をまともに受けた僕は、なす術もなく倒れ込んだ。
「やれやれ……流石に死んじまったか。まったく、やたら固い盾だったな。他のやつはこーんな簡単に殺せるのによーー」
火炎弾を放った後、僕に歩み寄る。炎に焼かれて倒れる人は、どうする事も出来ずにただ叫んで痛みを伝える。動けない僕は、その様子を見ていられずに目を瞑る。男の足が一歩、また一歩と近づく中で、叫び声は止むーーそして、男の足音が聞こえるだけとなった。
「やっぱりこの杖のせいなのかね? でもこの杖、青年が持っていると聞いていたが……これが青年? どう見たってガキだよなぁ?」
男が言う杖とは、僕が手に持つこれの事だろう。魔法を使うと先端の赤い宝玉が光る不思議な杖。師匠の忘れ物で、大事なもの。たとえ喧嘩別れしたと言えどもだ。
『ーーまだ、死ぬわけにはいかないんだ』
僕は持っている杖を握る。そして杖を持つ手とは逆の手を自分の胸に当て、魔法を使う。
「傷癒し……」
怪我を治す初歩的な魔法。多分発動はした。だけど、僕程度の魔法では、この傷は塞がらなかった。
「こいつまだ生きて……! しかもただのガキのくせに治癒魔法……? いや、今はどうでも良い。この杖、光ったよな?」
男が杖を取ろうと引っ張ってくる。対抗して僕は杖を強く握る。
「生きているなら教えてやる。目当てはその杖だ。だから離せ!」
これを取られたらダメだ。僕はこれがないと魔法が使えない。魔法が使えないと村の人が皆死んでしまう。
その気持ちに反応するように杖は光る。その光は、僕を応援してくれているようだった。
(もしも神様がいるのなら、もう一度あの時のようにーーそしたらもう、誰も死ななくて済むから。皆の命を救ってください)
そんな自分に思わず口を開けてしまった。神様なんて、お話にしか出てこない偽りの存在だ。そうと知りつつも、結局最期には縋ってしまうのだから。
ーーそのとき、どこからか声が聞こえた。
「える……さい…………から……」
目の前の男が出したとは思えない、まるで小鳥のさえずりのような高い声。近くから聞こえた気がしたが、視界にはあの男以外はいない。
「くそっ! しぶといな……! くたばりやがれ!」
男は持っている剣を振り上げた。
「聞こえるのなら願いなさい。何でも叶えてみせるから!」
今度はハッキリ聞こえた。必死な叫び声が、僕の持つ杖から聞こえた。杖から離れそうになった手に最後の力を込めて掴み、先程の妄想をイメージをする。すると千切れんばかりの激痛が身体中を駆け巡り、その痛さから目を閉じた。
◆
ーー目を開くと、辺り一面真っ白の空間にいた。
僕はついに死んでしまったのか。最後に全身に激痛を感じたが、あの剣で刺されてしまったのだろうか。先程までとは明らかに違う場所に来てしまった事を感じ、そう思わざるを得ない。
「こんにちは!!」
「うわあ!?」
いきなり後ろから大きな声がした。僕は焦って飛びのき、尻餅をつく。目を開けた瞬間ーー
「えっ!? ちょっとおおおおおお!!」
少女が叫びながら、僕に向かって突っ込んできた。
「いてっ……何するんだよ……」
「酷いわ……ちゃんと元気良く挨拶したのに。それともこれが返事で、ご挨拶ってやつなのかしら……?」
いきなりな事で避けられるはずもなく、ぶつかった後に前を向く。
そこには空を舞う灰のような白の髪、そして燃え尽きて焦げた炭のような黒のとんがり帽子と法衣を着た少女がいた。この帽子も村では目立つが、一番気になるのは鋭い目つきで炎のように赤く光る大きな瞳だった。
「ーーそっか。君が僕を地獄に連れていくのか」
咄嗟に察する。何も悪い事をした記憶はない。でも、目の前の少女からそれ以外何を感じ取れば良いのか僕にはわからなかった。
「……折角来てあげたのに、いきなり引っ張ってぶつけたと思えば今度は地獄の案内人扱い? そもそも神様とか地獄とか、本当に存在すると思っているの?」
起き上がった少女は、片目を閉じ、手の仕草で僕を小馬鹿にしながら言う。それに対して言い返そうと口を開くとーー
「ーーそれとも、この私を魔女だと知って、あえて喧嘩を売っているのかしら?」
少女は真剣な表情でそう言った。帽子を合わせても背丈は僕に届かないと思える位に小さく、顔も声も幼い。子どもが怒っている程度のはずなのに、その燃えるような瞳と醸し出される凄みに、僕は一瞬怯んでしまった。
「よ、よくわからないけどさ……とにかく! そっちがいきなり突っ込んできたんじゃないか!」
「あなたが私を引っ張ったからでしょ! 自分の姿を見てみなさいよ!」
「えっ……?」
言われるままに自分を見てみる。すると、腰に鎖が巻かれていた。その鎖は少女に向かって伸びてーーというより少女の身体から鎖が伸びており、僕を捕らえていた。
「な、なんで鎖が僕の身体に? 君がやったのか……?」
「ふふん、凄いでしょ? これ、私の魔法なのよ。それも普通の人には出来ない特別な。いきなり引っ張られるなんて思ってもなかったけど」
話を聞く限りは僕が鎖を引っ張ったのが悪いようだ。そして、どうやら彼女は死神ではないらしい。
「い、色々とごめん……怪我はない?」
僕は起き上がり、少女に手を差し伸べる。
「心配ないわ。それに、悪い事をした後にちゃんと謝れる人は好きよ」
少女は微笑むと、手を取らずに僕より少し目線が高いくらいの位置まで浮かび上がった。その大きな瞳は、炎のように赤く光っている事には変わりない。しかしそれで焼き殺すのかというものから一転、穏やかなものとなっていた。
「さっきは変な言いがかりをつけてごめん。えっと、僕はレノン。ラティー村の村長の息子で、十五歳だ。それで、君は誰……?」
「そうそう。挨拶の後は自己紹介よね。私の名前はサキ。でもそれより、魔女って言った方が通りが良いでしょう?」
魔女ーー僕のイメージでは、お話に出てくる悪役。そう誇らしげに名乗る言葉には思えない。また勘違いだったら悪いし、素直に聞くとしよう。
「さっきから何度も言ってるけど、魔女って何? 仕事なの?」
そう聞くと自称魔女のサキは、その赤く光る大きな目をさらに大きく見開いた。
「あなた……魔女を知らないの!?」
「う、うん」
「……活動期間が短過ぎたかしら。思ったより早く死んじゃったし……」
頷く僕を見ると、彼女は目を瞑って溜息を吐いた。どうやら呆れや侮蔑ではなく、肩を落としているその様は、しょんぼりしているようだった。
「ま、まあ良いわ。凄い人だと思ってもらえればね」
「凄い人って……」
それって自分で言うことなのだろうか。そう突っ込みを入れたくなったが、そんな僕に構うことなくまた口を開く。
「そんなの今はどうでも良いでしょ。ほら、何か叶えてほしい事、あるんじゃないの? 魔女を知らない田舎者にも凄さを教えてあげるわ」
助けてもらいたい事ならある。確かに意味不明な場所で不思議な魔法を使っているし、自信満々だし、凄い人なのだろう。しかし、彼女を信用して大丈夫なのだろうか。
いや、今はそんな事を考えている状況ではない。このままでは村の人全員が殺されてしまう。それを避けるためには、これに賭けるしかない。
「今、この村は放火による火事で大変なんだ。村は炎に包まれて、多くの人が殺されている。犯人と戦っていたんだけど、僕じゃ太刀打ちできないくらい強いんだ」
「酷い人ね……その人を殺せば良いの?」
僕が話し始めると、少女は気持ち低い調子の声で言う。
「それは……倒さないといけないけど、それより僕は村の人を助けたい。皆で元通りの生活を送りたいんだ」
「助けたいのね。良かったーーけど、全員は難しいと思うわ。生きている人ならまだしも、死んでしまった人の魂を戻すことは出来ないもの」
「そんな……僕に何か出来る事は? 何でもする! 命だってーー」
「不可能はあるわ……何でもじゃない。ごめんなさい……」
少女は悔しそうに俯いていた。それはきっとこの村を救えずにいる僕が抱いている感情に近いと思えた。
「……君の目的は? 元々は目的があってきたんじゃないの?」
考えを改め、少女の目的が聞きたくなった。魂から魔力が出るとは本に書いてあったが、魂自体を扱う魔法なんて読んだ事がない。きっと特別な魔法だ。それだけの事をやってのける人物なら、何か大それた目的があるはずだ。
「もう! 今はそんな状況じゃないでしょ! とにかく私なら救えるの! だからその身体を貸しなさい!」
「ああ、なるほど……」
その言い方から身体を貸したらもう戻ってこないだろうと悟った。実際は身体を乗っ取る事が彼女の目的なのだろう。
「ねえ、どうするの?」
信じられるかどうかと言えば、正直怪しい。だけど、彼女の言う通り。今はそんな事言っている場合じゃない。自分の力じゃ助けることが出来ないのなら、何かに頼るしかない。もし身体が返ってこなかったとしてもだ。
「わかった。サキ、お願いするよ。僕の身体を使って村の人を助けて!」
「レノン……! ありがとう! あなたは私を信じてくれるのね! ちょっとだけ待っててね。その信頼を裏切らないために、必ず成功させて見せるから!」
そう言うとサキは僕の腰に巻かれた鎖を外す。目の前が霞み、僕の意識はなくなっていった。
◆
(真っ暗! 真っ赤に真っ白の次は真っ黒なの!?)
「ん……? ゔあっ!?」
少女の高くよく通る声が響く。しかも耳ではなく頭の中からだ。意識が戻ってきたのか、身体の痛み、そして喉の痛みまで戻ってくる。痛みに耐えながらも目を開くと、剣が目の前にあり、今にも腕を切られそうだったので転がりながら男から離れた。しかし剣は、そして男も動くことはなかった。
(止まってる……? 凄いじゃない! 時間を止めるなんて中々出来る事じゃないわーーって喜んでいる場合じゃなさそうね。まずはその傷を癒しなさい)
先程聞こえていた声が頭の中に響いてくる。世界の全てが止まっている。この感覚、過去に一度だけ経験した事がある。あの記憶から引っ張ってきたのだろうか。
そんな事さえ出来るなら、この痛みも消せるはず。痛いけど、声を出そうと息を吸う。
「っ…………があっ……! ゔっ……」
(どうしたの!? 落ち着いて。今は止まっているわ。ゆっくりで良いから)
サキの言葉を聞いて、もう一度。今度はどれだけ痛くても耐えてみせると覚悟を決めてから口に出す。
「き……きず、いやしーーすごい……! さっきとは大違いだ」
あれだけの重傷だったのに、一瞬で痛みが引いた。自分の身体を見ると、完全に傷が塞がっていた。
(この杖にコツコツと貯めておいた私の魔力がビビビッとあなたの身体に流れて、あなたが魔法を使うのを助けたの。だからあなたは時間をパッと止めるなんて大層な魔法や、サーッと一瞬で傷を塞ぐ魔法が使えるのよ)
これだけの傷を一瞬で直せるなんて、やはり只者ではない。きっと凄いーーもしかしたら師匠より凄い人かもしれない。
「僕の声、これで聞こえるのかな?」
(ええ、聞こえるわ。なるほど、こういうのも斬新ね)
「じゃあ、お願いするね。後は任せたよ?」
(任せなさい!)
僕はこの少女に身体を託すのだ。これだけ強力な魔法が使えるなら、きっと上手くやってくれるはずだ。
(さーて、レノンの魂をちょっとだけ……あれ? あれれ?)
「どうしたの? 大丈夫……?」
心配になってきて、声をかける。
(うーん、あなたの身体から中々魂が抜けてくれないの……今までやろうとした事は大体出来たんだけどなぁ……あれ? 私はもう身体に来ちゃったし、あなたはまだ生きているーーもしかして身体の主導権があなたのままじゃ、私は魔法を使えない?)
「えっ? それって大丈夫じゃなくない?」
僕には想像も出来ない事をしてのけるのだから、当然やり方も知っているものだと思っていたけど……魔法を使うときすらこんなに後先考えず行動する人がいるとは思わなかった。
(こうなったら仕方ないわね。このまま行きまーー)
「どうやってさ!」
全部言い切るまでに言葉を返す。発言の雲行きが怪しくなってから、何となく想像はしていた。だけど、いきなり言われてもそんなの出来っこない。
(速い! お、落ち着きなさい! あなたはさっきまでのあなたじゃないわ。私の魂があなたの身体に宿っているのよ!)
「魂が二つあるからって……いきなり僕になんて……」
(杖による魔力と、私の助言がある。私の信念に基づくとあなたは『出来るやつ』になったわ!)
「出来るかな……?」
(私がいるんだもん。誰にも負けるわけないじゃない。それに、あなたがやるしかないのよ)
なんだそれ。さっきも自信満々で失敗したくせに、その自信はどこから湧いてくるのか。でも、僕がやるしかない。確かにその通りだ。
「……わかった。他に誰もいないもんね」
僕は前を向き、辺りを見回す。今にも剣を振り降ろさんとする男、逃げる人、それを追う炎の弾、そして怪我をして倒れている人。彼女が言っていた通り、もう助けられない人もいるかもしれない。
(まずすることは?)
「まずは炎の弾を消して、それから怪我している人を助けないとーー」
周りを燃やさずにあれを消せる魔法。僕の知る範囲ではやっぱりーー
「氷柱!」
氷の棘を作り出し、動きを止めている火炎弾に刺す。刺さった氷はたちまち溶けて水となり、炎と一緒に消えた。
「これが、杖の力……!」
(お見事! あなたが普段から魔法を使える人で良かったわ。こればっかりは魔力があっても想像出来ないと使えないから)
「うっ……!」
魔法を使った途端、内側から斬られたような痛みを感じる。
(大丈夫!? 痛い? きっと強い魔法の使い過ぎーー時間を止めているのが大きい負担になっているのね。早く元に戻さないと、あなたの身体が中身から壊れていくわ!)
「でも、その前にあいつを!」
動きが止まっている男を指差す。また動き出したら勝てないかもしれない。
(そうねーーさっきの氷柱で良いわ。レノン、覚悟は良い?)
「……うん」
あの男は悪いやつだ。村を燃やして僕達を苦しめた。これは村を助けることなんだ。
「……氷柱!」
僕は決心して氷柱を三つ作り、勢いよく飛ばした。それぞれが、目の前の男に突き刺さった。
(時間を動かしましょう。目を瞑って、いつも通り、時間が動いている日常をイメージして……)
僕は言われた通り、目を閉じる。そして、いつも通りの日常、ラティーでの暮らしを思い出す。その光景では皆笑っているものばかりだ。やっぱりこの暮らしを守らないと。
「動け……!」
ーーそして僕は、時間を動かした。