かくれんぼ
ようやく外出の許可が下りると、僕は花壇の様子を見に学校に行った。よしよし、千日紅も、ペチュニアもキンギョソウも元気に咲いているぞ。
校庭では、地元のサッカークラブに入っている子たちが練習していた。彼らの声を聞きながら、黙々と雑草を抜いていると、ふと、「土に還る」という言葉が浮かんだ。有機物が完全に分解されて土壌の一部と化すことをさす言葉で、死んで朽ち果てる、っていう意味でもある。
でも今の日本で、死んで土に還るのは難しい。――というか、物理的に考えてほぼ無理なんじゃないかな。うちのジイサンだって火葬されたのだから。
そんなことをつらつらと考えているうちに、昔のことを思い出した。うちには、おじいちゃんがいないのだと知ったときのことだ。幼い頃の僕は、誰に説明されるでもなく、ジイサンは僕が生まれる前に死んでしまったのだと思い込んでいた。そうじゃないと知ったのは、一年生の運動会のときだ。同じクラスの子で、おじいちゃんが応援に来ている子がいた。僕が、「おじいちゃんって、どんなひと?」と訊くと、その子は、「コウくんちには、おじいちゃんはいないの?」って訊いてきたんだ。
――うん、いないよ。うちのおじいちゃんは死んじゃってるから。
と、僕がこたえると、すぐ近くにいたヒナが(今思えば、学年が違うのに、どうしてヒナは僕の声が聞こえる場所にいたのだろう)、
――なに勝手に死んだことにしてんの。おじいちゃんはね、『シッソー(失踪)』しただけなんだから。
と偉そうに教えてきたのだ。
――シッソーって?
――ユクエフメー(行方不明)ってこと。
細かいことはわからなかったけど、とにかくおじいちゃんは生きていて、でも、どこにいるのかわからない状態なんだっていうのは理解できた。
それから少しずつ、ジイサンが家を出たときのことや、離婚届けが送られてきたときのことを知ったのだ。
雑草を抜きながらそんなことを思い出していると、
「あ、やっぱりコウイチだ」
聞き覚えのある声が降ってきた。顔を上げると、太陽を背にした穂積が僕を見下ろしていた。
*
穂積は塾の帰りで、学校の前を通りかかったとき、僕が花壇にいるのを見つけたのだという。
「げっ。もう宿題はじめてんの?」
何一つ手をつけていない僕は、盛大に顔をしかめた。穂積は涼しい顔で、
「夏休みの宿題が出るのも、これで六度目だろう。コウイチも、いい加減ペース配分を覚えた方がいいと思うけど」
「うー……。わかってはいるんだけどさ」
会話の雲行きが怪しくなってきたのを感じて(穂積は良いヤツだけど、ちょっと説教くさいところがあるからね)、僕は話題を変えることにした。それで駐輪場の佐々木さんや野中さん、小芝さんに会ったときのことを話した。
「すごいな。コウイチも立派な探偵に成長したじゃないか」
僕は、「そうでしょう、そうでしょう」と自慢したくなったけど、ここはクールに、「そんな大したことじゃないよ」と返すにとどめた。
「おばあちゃんに調査報告は済ませたのかい?」
「まだ。おばあちゃんには、もっと色々とわかってから話そうって、ヒナと決めたから」
そっか、と相づちを打ってから、
「何だか、『かくれんぼ』みたいだね」
と穂積は言った。
「え……」
「コウイチとヒナさんが鬼役で、おじいさんが隠れる役」
自分たちの状況をそんな風に捉えたことはなかったから、「何じゃそりゃ」と言い返したけど、冷静になって考えてみれば穂積の言っていることは、あながち間違っていないのかもしれない。
僕たち一家がしているのは、四十九日という制限時間が設けられた、かくれんぼ。
かくれんぼをしていて一番嫌なのは、狭くて暗い場所に隠れ続けなきゃいけないことでも、鬼役の子に見つかることでもなく、誰も探してくれなくなることだ。他の子がみんな鬼役の子に見つかって、いつの間にか、自分を抜いたみんなで違う遊びを始める。それで出るに出られなくなるあの居たたまれなさは、今思い出しても嫌な気持ちになる。
突然いなくなったジイサンを、おばあちゃんたちはいつまで真剣に探し続けたのかな。少なくとも、僕が物心つく頃には、ジイサンの所在不明は自然なことになっていて、捜索の「そ」の字もなかった。
ジイサンはどっちだったんだろう……。
人生を賭けて、かくれんぼをやり続けたのか。それとも、帰るに帰れなくなったのか。
どっちにしたって、家を出た理由は、僕たち家族にとっては大きな意味を持つはずだ。――と、僕が思いを馳せていると、
「あのさ、これちょっと貰ってくれない?」
穂積が手に持っていた紙袋を差し出した。
「塾の友達からもらったお土産なんだけど、こんなにあっても食べきれないからさ」
それは某夢の国のお菓子だった。穂積は紙袋のなかから、お菓子を二つだけ取ると、残りは全部僕にくれると言った。
「え、こんなに? てか、穂積はそれだけでいいの?」
「うん。僕、甘い物そんなに好きじゃないし、二つもあれば充分」
「お父さんたちの分は?」
穂積の家は両親と兄の四人家族だ。しかもお父さんは甘党なはず。
「いい、いい」
穂積は手を振った。
「うちはコウイチの家みたいに、ちゃぶ台ないし」
「うちだってないよ」
ちゃぶ台があるのはヒナの家だし、この会話の流れでちゃぶ台が出てくる意味がわからなかった。
「でも、ホットプレートや土鍋やケーキナイフならあるだろう。うちは、そういうのも無いからさ」
「穂積んち、お金持ちなのに?」
父親は売れっ子作家だ。映画化やドラマ化した作品もある。買おうと思えば、いくらだって(しかも高級品を)買えるだろうに。
気のせいか、穂積は僕の言葉に、ガッカリしたように見えた。ふっと目線をそらしたかと思うと、
「まっ、いいじゃん。とにかく貰ってよ」
と、やけに強引にお菓子を差し出してきた。――そう、このとき僕は、確かに引っかかるものを感じたんだ。でもその正体を確かめようともせずに、「ありがとう」と言って袋ごとお菓子を受け取った。
「ところでさ」と穂積は話題を変えてきた。「おじいさん調査の件は、これからどうするの」
「明日、ヒナと一緒に『カフェ・カーペンター』に行くことになった」
「お店のひとに連絡はしたの?」
「ううん。ヒナ曰く、事前に知らせて行くよりも、突撃訪問した方が相手も面食らって、心のガードが緩むから、連絡はしない方がいいんだって」
本当はただ、電話して事情を説明するのが面倒なだけなんじゃないかなって思っていることは内緒だ。
「なるほどね」と穂積は頷くと、考えるような間を開けてから、こう訊いてきた。
「その作戦、僕も乗っていいかな」
「え……、何で?」
「面白そうだから」
どこが? と僕は間抜けな声を出した。穂積にとってジイサンは、僕以上に他人だ。それにカーペンターに行ったところで、ジイサンにまつわる情報が見つかるとも限らない。むしろ、空振りする可能性の方が高い。
「僕からしたら、コウイチの家ってかなり面白いよ。興味深いっていうかさ」
「それ、褒めてる?」
「もちろん」
穂積ははっきりと頷いた。僕はどこかすっきりしないものを感じた。でも、僕としても穂積がいた方が心強いと思ったから――。
「べつにいいけど」
と返したのだった。