カレーライスとコムギ
「なーんかスッキリしない」
地元の駅からの帰り道、ヒナが空を見上げながら呟いた。太陽は西に傾きはじめていたけれど、むし暑さは少しも解消されなくて、アスファルトのうえには僕とヒナの影が巨人のように細長く伸びていた。
「もしかして、おじいちゃんが小芝さんのまえから姿を消したことを言ってる?」
ヒナの気持ちを先周りしてたずねると、「うん」とヒナは頷いた。
「せっかく小芝さんが勇気を出して正体を打ち明けたのに、その直後から治療院に来なくなるなんて、小芝さんが気の毒だよ」
「同感」と僕は頷いた。どんな理由であれ、過去のことを打ち明けた途端、理由も告げずに来院しなくなるなんてひどい話だ。もしも僕が小芝さんだったら、ジイサンに話しかけたことを後悔しただろう。
それに、と僕は続けた。
「『捨てる側の人間こそ、価値のない人間なんだよ』って小芝さんに言った言葉も引っかかる」
「わかる」ヒナは即座に頷いた。「どの口が言ってんだかって呆れちゃったもん」
「これからどうする?」
まだまだ情報不足だ。行ける場所といえば、すみれ荘の大家さんちか、保護犬のシェルターかな、と僕が候補地を頭のなかで並べていると、
「じつはさ、行きたいところがあるんだ」
ヒナがバッグのなかから一枚のカードを取り出した。図書カードくらいのサイズで、黒字に白い文字で、「カフェ・カーペンター」と書いてあって、アルファベッドの「U」のようなイラストも一緒に描かれていた。新品ではないのか、カードの表面には細かな傷やシワが入っている。
「何これ?」
「おじいちゃんの病室で拾ったの。お見舞いに来た誰かが落としたんじゃないかな」
カードには住所も載っていた。府中市とあった。
まさか、と僕はヒナを見上げた。
「行きたいところって、このお店?」
「うん」
にやっと笑って頷くヒナを見て、僕のなかで二つの気持ちが同時に芽生えた。一つは、無謀な作戦だよと反対する気持ち。このカードの持ち主は、父さんや七海おばさんかもしれないし、お医者さんや看護師さんの落とし物という可能姓もある。万が一、本当にジイサンの友人の落とし物だったとして(――その友人は、どうやってジイサンの入院先を知ったのか、という疑問はこの際、わきに置いておく)も、カフェに行ったところで持ち主に会えるとはかぎらない。
もう一つは、単純に、「おおっ」とはしゃぐ気持ち。怖い物みたさっていうのかな。面白そうだと思ってしまったんだ。
「いいね」と僕はヒナを見上げて笑った。
「でしょう」とヒナも笑った。「あ、ちなみにこのカフェって、アーリー・アメリカン調のオシャレなカフェみたいだよ。グルメサイトでも星が四つもついていた」
「あーりー・あめりかん?」
「西部開拓時代とか、そういう感じでしょう」
「――ふうん」
よくわかんなかったけど、べつにいいや。アメリカンだろうと、フレンチだろうと、カフェのことなんてちんぷんかんぷんだから。それよりも、次に行くべき場所が決まったことの方が大きい。
「あー、お腹空いた。おばあちゃん、今夜はカレーって言ってたっけ」
ヒナは空に向かって伸びをした。
「いいなあ」
おばあちゃんのカレーは、具材に合わせて毎回スパイスを調合していて、とにかく美味しいのだ。僕の家も、ヒナの家も、両親共働きだから、僕たち孫世代は、おばあちゃんが作ったご飯で育ったと言っても過言ではない。
「あんたも食べに来ればいいじゃん」
「うち、今日は母さんが家にいるから」
「平日なのに?」
「うん。体調が良くないみたいで、仕事を休んでるんだ。でも、夕食は作るって言ってた」
「えー……、おばさん大丈夫?」
「たぶん。夏バテだって言ってたから」
話しているうちに家に着いた。ヒナの家からカレーのうまそうな香りが流れてきた。
*
炎天下のなか歩き続けてせいか、どうやら熱中症になってしまったらしい。家に帰って、シャワーを浴びたあたりから、頭がズキズキするなぁと思っていたら、またたく間に熱が上がった。
幸い、熱自体は夜のうちに下がったけれど、身体はだるいし、母さんからは、二日間は家でおとなしくしていなさい、と言われてしまった(ちなみに夏バテでぐったりしていた母さんは、僕が発熱したとたん、急にしゃきっと起きて、『もっと水分とって』、『ゼリーなら食べられる?』、『ほら、はやく横になって』と看病してくれた)。
何度か怖い夢を見たあと、明け方近くになって、僕は保育園で飼っていたモルモットの「コムギ」の夢を見た。思えば僕が生まれて初めて触った動物はコムギだった。コムギは暖かくて柔らかくて、抱っこすると日向の匂いがした。
コムギは僕が入園したときにはもうおばあちゃんだった。ある朝、保育園に行くとコムギのケージが空っぽになっていた。
コムギちゃんは天国に旅立ちました、と先生たちは言った。僕を含め、ほとんどの園児は死の意味を理解できていなかったように思う。泣いている子もいれば、ケージのなかにお花を飾ったり、おり紙やお菓子を置く子もいた。
コムギとはもう会えないのだと、僕がちゃんと理解したのは、コムギが天国に旅立ってから半年後のこと。
給食でパンが出て、それが色も形もコムギにそっくりに見えた。僕は嬉しくなって、教室のすみをふり返った。
でも、そこにコムギのケージはなく、代わりにクリスマスツリーが飾ってあった。
このとき僕は、ずっとコムギに会いたかったのだとようやく自覚した。僕は寂しくて悲しくて、大泣きしたのだ。
あとからやって来る悲しみもあるのだと、僕はこのとき知ったのだ。