第一章4 『剣聖と呼ばれる青年』
「何かお困りですか?」
背後にやってきた青年は、その場にいた三人へ優しく声を掛ける。
その青年は平均的な身長で、整った顔立ちに金塊のような美しい金髪と金眼を併せ持つ。肩甲骨辺りまで伸びた金髪を後ろで軽く結び、すらっとした細身の身体を白を基調とした衣装で包んでいる。
さらに、表が白裏が黒の布地の端が金で装飾されたマントを羽織っており、腰にはシンプルな装飾でありながらどこか威圧感を感じる騎士剣を携えている。
その風采は、まるで凛々しさと高貴さが同居しているようで、騎士と呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出していた。
「お、お前さんは、『剣聖』クラウスじゃねぇか!」
「け、剣聖!?」
店主が口にした『剣聖』という言葉に、スバルは思わず声を漏らす。
なにせ、異世界ものに剣聖なる者が存在することは渋々承知していたが、実際にこの目で剣聖を見るのは初めてなのだ。
剣聖と呼ばれた青年は、その一驚したスバルに目を向けると、スバルが自身を認知してないと察したのか、
「どうも、僕はクラウス・ヒルドブランド。剣聖の家系のものだ。以後、お見知り置きを」
「どうも。俺はアカツキ・スバル。よろしく」
そのご丁寧な自己紹介にスバルも思わず丁寧に返した。
その麗しい佇まいから放たれる美声、優しく丁寧な口調、柔らかい眼差し。それらから察するに、やはり剣聖の家系だけあって恐らく育ちがいいのだろう。
「どうしてお前さんがここに?」
「お近くを歩いていたところ、皆様方がお困りの様子なのを一瞥しまして」
「そうなのか。えーとな、この子がアウスクリームを食べたいと言うんだが、どうやらこの兄ちゃんが無一文らしくてな」
現状のスバル達の実情を店主のおっさんが説明してくれた。すると、クラウスはルートの前までやって来てルートと目線を合わせると、優しく声を掛ける。
「君の名前は何っていうのかな? 教えてくれる?」
「僕はルート! よろしくね! 剣聖のお兄ちゃん!」
「うん、よろしく! 僕のことはクラウスでいいよ!」
「わかった! クラウス!」
クラウスはルートの名前を聞くと、姿勢を正して店主に解決策を提示する。
「ルートのアウスクリーム代、僕が出しますよ!」
「本当か!」
「クラウスさん。ごめん、俺が無一文なもんで。金払わしちゃって」
「それくらい構わないよ、スバル。あと、僕のことは呼び捨てでもいいよ」
クラウスがスバルの代わりにアウスクリームの代金を支払うことになった。
スバルが無一文であることで滞っていた現状に、一時的なパトロンとしてクラウスが状況を打開してくれたのだ。
――なんていう救世主! 彼が居なければいつまでここで行き詰ってたか分かんねぇな。それと、彼とは気安く話しやすそうだ。初対面なのに呼び捨てでもいいらしい。
「はい、お待ち! 溶けるかもしれないから早く食いなよ! ルート!」
「ありがと! おじさん!」
アウスクリームを受け取ったルートは、礼を言うと美味しそうにアウスクリームを食べ始めた。
――こんな所に居座ったら店主に迷惑かかるかもしれない。それに立ったまま食うなんて行儀が悪いしな。
そう考えたスバルはルートとクラウスに、
「何処か休憩できる場所にでも向かうか。ここに居てもなんだし」
「そうだね。この通りの先に噴水のある広場がある。そこにいくつか座れそうなベンチがあったはずだ! 埋まってなきゃいいんだけど」
「じゃあ、そこ行くか」
『どこか行こう』というスバルの提案にクラウスが行き先を提示しする。その行先に三人は同意しさっそく向かうことにした。
△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △
あれから数分しか経っていないが、スバル達一行は三人横一列になって歩いている。ルートはアウスクリームを片手で食べながら、もう片方の手はクラウスと繋いでいる。
現実世界だったら多少迷惑がられても致し方ない歩き方である。しかし、ここは異世界。
現実世界とは違って通りの道幅が広く、人通りが多いとはいえ比較的歩きやすくなっている。
「そういえば、スバルはあまり見かけない顔だけど、君たちってどういう関係なの? 兄弟?」
「いや、兄弟じゃないよ。この子が迷子になっているところを俺が見つけて、この子の親探しをしていたところなんだ!」
「そうか、じゃあ、僕もルートの親探し手伝おうかな! ところで、スバル。かなり珍しい服装だけどどこから来たの?」
この世界では珍奇な風采をしているスバル。そこに疑問を抱いたクラウスもまたスバルへ疑問を投げかける。
『また』というのは、この疑問を抱いたのが一人目ではないからだ。一人目は、今幸せそうにアウスクリームを食しているルートだった。
その時は無難に『遠い国』と詳細を言わず濁した回答をしたが、今度はどう回答しようか。
相手はこの国の騎士。それも剣聖という品格の高位な者。当然、嘘など通用しないだろう。
無論、騎士なだけあってこの世界の地理的な事項は全て把握しているはずだ。一方、スバルからしてみれば、ここはどこなのか、この国の名前は何なのか、この世界に幾つの国が存在しているのか、山や川はあるのか、この国は島国か、それとも内陸国か、など様々な疑問が浮かび上がる。
考えた末にスバルは、
「遠い所から来たんだ」
ルートの時と同様の回答である。致し方がないだろう。なにせ、異世界から来たのだから。
スバルにこの世界の地理的な情報について知る由もない。
「遠い所? タカアマハラかい? それとも新ロームルス王国? 新ミスティルシア皇国から遠い国と言ったらこの辺になるけど」
「いや、たぶん君たちが知らない所……」
「知らない所……。どこだろう。この世界の地理には詳しいほうなんだけどなぁ」
スバルの返答にクラウスは頭を悩ませる。地理に詳しいクラウスですらスバルの出身国を特定できずにいる。
今の会話の中で『新ロームルス王国』と『新ミスティルシア皇国』というスバルの知らない国名が二つ出てきた。新ミスティルシア皇国が恐らく現在スバル達がいる国なのだろう。
「取り敢えず、君が皇都の人間でもミスティルシアの人間でもないことは確かみたいだ。この国に来たのには何か理由があるんだろう? なぁに、別に詮索はしないよ! ただ、何かあったらこの国の騎士団を頼ってほしいかな? 手伝えることがあったら僕も手伝うからさ!」
「うん、ありがとう。でも、今のところルートが迷子ってこと以外は困ったことはないかな」
異世界から来たスバルにも親切心で接してくれるクラウス。家柄がよくて顔もイイ、おまけに親切で優しいだなんて、合コンに連れて行ったら百パーセントで女性からモテるに決まってるだろうスペックである。
そんなこんなで他愛もない話をしながら噴水のある広場へと向かっていたスバル達。
ルートはまだアウスクリームを食べ終わっていない様子。
そんな中、いつの間にかその広場へ来ていたようで、
「広場に着いたようだね!」
「うわぁ、すごいな!」
スバルの目には、十数メートルはあるであろう広場の光景が映る。そこには、高さ数メートルほどの石垣が広場を上段下段で二分しており、それらは階段で行き来できるようになっている。
とりわけ、目を引くのが下段にある噴水と上段にある銅像だろう。噴水は高さ数メートルを誇っており、大理石で建造されている。銅像は、天秤と剣を持った誰か女性のような人物を模っており、十数メートルの高さで皇都の街並みを見下ろすように聳え立っている。
大通りと同様に多くの群衆が行き交っており、広場には活気が満ちている。
異世界の景色に詠嘆するスバル。この世界に来て三度目である。
「二人とも、あのベンチが空いているようだね! あそこに座ろうか」
噴水の傍にベンチがいくつか横並びに設置されている。一つを除いた他全てのベンチには、家族連れや恋人と思われる少年少女、ご老人夫婦が既に座っている。
たった一つの空いたベンチを見つけたクラウスは、スバルとルートにベンチに座ろうと促した。
群衆が行き交う中でよく見つけられたものだ。
スバルの視力はそこまで酷くないものと認識しているが、そんなスバルでもこの人の多さだと見つけられる自信はない。
「よっし! 休憩っと」
そう言ってベンチに腰を下ろすスバルに釣られるように、ルートとクラウスも腰掛ける。
ルートはまだ食べ終えていないようだ。
ルートが食べ終えるまで暫くここで休憩して時間を潰すことにしよう。
「そういえば、この上の銅像って誰を模ってるの? この国の偉い人か誰か?」
「ああ、これはこの国で信仰されているユースティティア様だよ!」
上段の広場にある十数メートルを誇る女性らしき銅像。それに疑問を持ったスバルはクラウスに尋ねてみた。
名を『ユースティティア』というらしい。信仰の対象ということは、この国で最も権威のある人物なのか、それとも英雄か何かだろうか。
クラウスの「ご存じない?」という問いにスバルは答える。
「ユースティティア? いや、知らねぇな。王様か何なの?」
「この国の君主は女皇だよ。テミスマータ様。民衆からはテミス様と呼ばれてる」
「じゃあ、英雄とか?」
「違うよ! ユースティティア様はこの国の十天聖霊だよ。」
『十天聖霊』というらしい。『聖霊』というからには神聖な存在なのだろう。現実世界でいう天使や神みたいな。
『ユースティティア様』なる存在がこの国の信仰対象ということは、この世界には一つの国に一人の『十天聖霊』がいるのだろうか。この世界に幾つの国があるのかしらない知らないが、たった一人や二人ではないのだろう、とスバルは推測する。
「十天聖霊? 神様か何か? 天使とか?」
「神様? とか天使? とか僕はよく分からないんだけど。十天聖霊はこの世界で最も神聖な存在なんだ!」
疑問を投げかけたスバルに対し、クラウスは答える。
やはり、十天聖霊は神聖な存在らしい。しかし、クラウスは神や天使を知らない様子である。クラウスの様子を鑑みるに、恐らくこの世界に神や天使という概念が存在しないのだろう。
ユースティティアがどういう人物なのか気になったスバルは、
「そうなんだ。この人……じゃなかった。この聖霊さんとやらはどういう聖霊なの?」
「彼女は『正義』を司るといわれている。ほら見てごらん。銅像には天秤と剣を両手に構えているだろう?」
「本当だ」
クラウスに促されるように背後の銅像を見上げるスバル。
背後の上段の広場に堂々と聳え立つ銅像。その左手で天秤を掲げ、右手に剣を構えている。
それは『善を促し悪を断つ』といわんばかりの形容で、まさに正義という雰囲気を漂わせている。
「その正義が現在この国の『理念』となっているんだ!」
「理念……。この世界の国々は理念を追い求めているのか?」
「追い求めるというよりは、理念を重んじているというべきかな」
淡々とこの国の理念を説明したクラウス。彼は『理念を重んじる』と言った。
――理念を重んじるかぁ。
それだけ重要視しているなら蔑ろになんかしたら断じて容認されなさそうだ。
彼の言葉からそんなことを考えたスバル。
「正義か……」
一言に正義って言っても、どんな正義を重んじているんだろうか。
確か『悪とは、誰かにとっての正義であり、正義は誰かにとっての悪である』みたいな言葉があったはず。スバルは一方的に振りかざす正義を正義だと思わない。正義は客観的であるべきで、主観的な正義は正義ではない別の何かだと思う。
そんなことを考えていると、
「お、ルート! 食べ終えたみたいだな。どうだった? 美味しかったか?」
「うん、美味しかった! クラウスお兄さん、ありがとう!」
「どういたしまして」
「お、ちゃんとお礼言えたな! 偉いぞルート!」
「えへへ、僕偉い?」
ようやくアウスクリームを平らげたルートは、購入してくれたクラウスへ感謝を述べる。その光景を目撃したスバルは、クラウスに感謝を述べたルートを褒めた。
そんな微笑ましいやり取りをしているスバル達一行の耳に、とある声が聞こえてきた。
「ルート! ルート! あんたなんでこんなとこに居るのよ!心配したじゃない!」
「あ、お母さんとお父さんだ!」
声のした方を見た三人。その声の主を知っているかのように、第一に声を発したのはルートだった。スバル達の元に三十代から四十代と思われる男女二人ともう一人騎士と思わしき男性がやってくる。
紺色の髪に紺色の眼をした、寒色系の爽やかな服装に身を包んだ男女は、ルートの両親らしい。
母親は不安だったらしく、心配そうな声音で話しかけてきた。
まぁ、親だったら自分の子供が迷子になって不安がらないわけないもんな。
騎士の男性はクラウスと目を合わせると、
「クラウスじゃないか!? どうしてこんな所に?」
「団長じゃないですか! 今日は僕、皇都の見回りをしていまして。僕は今、この青年と一緒にこの子のご両親を探していたところなんです。団長はどうしてここに?」
「そうなのか。俺は『子供が迷子だから一緒に探してほしい』と近衛騎士団本部にやってきた、このご両親のご依頼を引き受けていたところだ」
「なるほど」
近衛騎士団の団長と名乗る騎士の男性とクラウスは互いの現状を報告すると、ルートの父親が口を開く。
「青年さん、クラウスさん、この子がご迷惑をおかけして申し訳ありません! 何かお詫びを」
「ああ、いや、大丈夫ですよ! お詫びなんて。こちらの善意でやったことですから」
「そんな、うちの子を保護していただいたのにお詫びも無しだなんて」
「この青年と同様に僕も善意でやっていたので、報酬なんて望みませんよ。それに、皇都の人々に何か困ったことがあれば手助けするのが騎士っていうものですから」
「そ、そうですか」
子供を保護したくれたお返しに、とお詫びを提供しようとしていたルートの両親。それをスバルとクラウスは断った。
俺もクラウスもルートの両親探しは善意でやったことだ。それなのに報酬を受け取るなんてこと、スバルの内の道義に反するってもんだ。命令でもミッションでも何でもないのだから。当然、受け取ることは出来ない。
クラウスも粗方俺と同じ考えなのだろう。もしくは、騎士道とやらに反するのかもしれないが。
「この度は、本当にありがとうございました! さぁ、帰るわよルート。最後にお礼を言いなさい」
「うん!」
ルートの母親は二人に感謝を述べた後、ルートに帰る旨を伝え二人に感謝するように促した。
ルートはそれに応えるように返事をして両親の傍に行き、二人のほうを向くと、
「スバルお兄ちゃん! クラウスお兄ちゃん! ありがとう!」
「良かったな! 親御さん見つかって」
「ご家族の皆さん、どうか帰り道にはお気を付けください」
ルートの感謝に優しく返事を返すスバル。クラウスはご家族に帰り道に注意を促した。
ルートのご家族はクラウスの言葉に対し、その場にいる三人へぺこりと会釈をすると、帰宅の歩みを進めて、やがて通りに溢れ返るほどの群衆の中に姿を眩ませた。
その様子を最後まで見届けて、騎士団の団長はスバルのほうを見ると、
「青年。そういえば、まだ互いに名乗っていなかったな。私はミスティルシア近衛騎士団団長ウィリアム・オリヴァン。ウィリアムと呼んでくれ」
「初めまして、ウィリアムさん。俺はアカツキ・スバルといいます」
「いや、かしこまらなくていい。君とクラウスのおかげで迷子の事案を解決できたんだ。騎士団を代表して君に感謝を送ろう。ありがとう」
互いに名前を名乗った後、ウィリアムはスバルに改めてお礼を述べる。続けてウィリアムは、
「ところでスバル君、滅多に見かけない服装だけど……」
「スバルはどうやらミスティルシア出身ではないようです。彼の出身は不明でして。ただ、彼は悪人には見えないので特に警戒する必要もないかと」
「いや、まぁそれは分かっているが……」
「すみません。ウィリアムさん達の知らないところから来たもので」
スバルの風采に違和感を覚えたのか、ウィリアムはスバルに出身を問おうとするとクラウスが補足説明を入れた。
異世界には似つかわしくない風采をしているのだから不思議に思われても仕方がない。幸いなことにスバルに悪印象は抱いていないようだ。
「日本から来ました」って言ったところで、二人とも理解できないだろうし無難に「知らない所から」って答えるしかない。
「そうなのか。取り敢えず、衣食住の確保が必要だろう? 私が役所へ連れて行ってあげようか?」
「いえ、大丈夫です! ルートと出会う前にその辺の人に役所への道を教えてもらったので」
「そうか、では私はこれで失礼する。何かあったら騎士団本部に来てもらうか、その辺に居る騎士団を頼ってくれて構わない」
「あ、はい。わかりました」
スバルの衣食住に気を利かせてくれてようで、役所に連れて行ってくれようとするウィリアム。しかし、スバルはもう既に役所への行き方は教えてもらっている。気遣いはとてもありがたいのだが、スバルはウィリアムの提案を断った。
「ところでクラウス! 君はこの後どうする?」
「僕はこの後も皇都の見回りをするつもりです」
「わかった! では、私は先に本部へ戻っている」
「了解です!」
ウィリアムはクラウスに今後の予定を尋ねる。クラウスは見回りを再開するらしい。
ルートのような迷子だったり、困っている人が居るかもしれないからだろう。
迷子を捜すという任務が完了し特にすることがないウィリアムは、騎士団本部へ帰るらしい。恐らく自分の仕事に当たるのだろう。
その会話を最後にウィリアムはその場を後にする。その様子を二人は見届けて、クラウスが口を開く。
「それじゃあ、スバル。僕はもう行くよ!」
「おう、ルートの件ありがとな!」
それだけ言い残してクラウスもその場を後にした。
彼の背を見届けながら、スバルは次の予定を立てる。スバルも特にすることがないため、取り敢えず役所へ向かうことにする。
一人の剣聖と共に迷子の子供に付き添い、結果的には両親のほうからやってきたわけだが、迷子の親探しという善行を一つ積むこととなった。
広場や大通りは多くの人で賑わっている。真上は雲が少しだけ浮かんだ青空である。広場と大通りを陽差しは蒼穹から照らす――時刻はまさに昼下がり。
そんな広場にたった一人、スバルは噴水の前で佇んでいた。