第一章3 『親探しの寄り道』
あれからしばらく、ルートの証言をもとに、両親が居るであろう方向に歩いていた。
スバルとルートは、手を繋ぎながら他愛もない話を繰り広げていた。
「ねぇねぇ、スバル。スバルって何処から来たの? 見たことのない見た目してるね!」
「俺か? 俺は遠い所から来たんだよ!」
「遠い所? 遠い国ってこと?」
スバルの出身地が気になったのか、ルートは実直に尋ねてきた。スバルはそれに出来るだけルートが理解できるように『遠い所』と表現には気を付ける。まだ、歳の小さな子供に『俺は異世界から来たんだよ』って言ったところで、理解できるはずがないだろう。出身地である日本は、この世界から見たら異世界にあることになる。
それに対して、ルートはスバルの『遠い所』という表現が曖昧過ぎたのか、『遠い国』と解釈したらしい。
「そうそう、遠い国から来たんだよ」
「遠い国って何処? もしかして、タカアマハラって国? スバルの顔とかタカアマハラの人に似てるもん!」
ルートの口から『タカアマハラ』という単語が飛び出した。この世界にある国の一つ。
俺の顔立ちが似てるということは、日本人のような人達がいるに違いない。タカアマハラは、日本のような技術大国なのだろうか。いや、今いる国は中世ヨーロッパ風の景観をしているから、もしかしたら日本の中世時代――鎌倉時代や室町時代、安土桃山時代、戦国時代のような『侍』やら『将軍』やら『幕府』やらが居る国なのかもしれない。
「スバルは持ってないの? タカアマハラの人がお腹の横に付けてる細くて長い剣!」
「細くて長い剣?」
「そう! 細くて長い剣!」
ルートの言う『細くて長い剣』とは、一体何だろうか。その言葉からパっと思いついたのは、侍が持っている『刀』だった。ショートソードやレイピアのようなファンタジー物に出てくる短剣の可能性もあるのだが、先程の会話を鑑みるに恐らく『刀』で間違いないのだろう。
俺の中のタカアマハラのイメージが、どんどん侍や将軍などがいる和風に染まりつつあるのだが。
ルートの問いにスバルは答えた。
「ごめんな! 俺は細くて長い剣を持ってねぇんだ! 俺の来た所は、タカアマハラではないからな」
「そうなんだ! じゃあ、どこから来たの?」
急にルートから鋭い問いが飛んできた。
子供というのはなんて興味津々なのだろうか。先程は、『遠い所』やら『遠い国』と無難な回答でやり過ごそうとしたというのに。
どう答えようか、迷ったスバルは考えた末にこう答えた。
「うーん、そうだな。ルートが知らない遠い国からだな!」
「えー、なんだ。つまんないの!」
ルートが知りたかった解がスバルから貰えず、ルートは少し残念がった表情をした。
――つまんない。まぁ、確かにな。無難な回答だもんな。子供からしてみたら、『遠い国』ってどこ?って感じだろう。
話題を変えようと、スバルはルートに『好きな食べ物』を聞いてみた。
我ながらまたもや無難な質問である。無難な問いに、無難な回答。なんて無難な男なのだろうか。
「ルートの好きな食べ物? うーとね、チャコだよ! 甘いから好き!」
「チャコ?」
「うん、チャコ!」
ルートは、『チャコ』と答えた。
チャコ。チョコのことだろうか。
『甘い』という情報からルートの指しているものが、恐らくチョコだと類推する。
露店の店主と会話した時といい、ルートとの会話といい、やはり物に対する呼称がこの世界ではスバルの知っているものとは違うらしい。
「チャコか。分かるぜ、俺も好きだチャコ。チャコは甘いもんな」
「スバルも好きなんだ、チャコ。ルートと同じだね!」
「おう、そうだな!」
スバルは甘党である。ビールやお酒といった大人びた嗜好品を嗜むことは出来るが、どちらかというと、カフェラテやカフェオレ、ココア、甘いコーヒーと甘いもののほうが好みである。言わずもがな、チャコことチョコも好きである。
ルートの好みに便乗するかのように、スバルもチャコが好みだと答える。
好みが一致していることを知ったルート。今度はスバルに嬉しそうな表情を浮かべた。
「スバルの夢って何?」
「俺の夢? 夢かぁ。そうだな……」
今度は、ルートがスバルに話題を振る。まさに子供らしい話題で『夢』についてだった。
今まで特に考えたことのない話題だった。
夢。それは、誰しも一度は抱いたことのある幻想のこと。当然スバルもかつては抱いたことがある。それはスバルが当時養護施設に居た幼い時のことだ。
ルートのように幼い頃は、『世界を救うヒーローになりたい』だとか、『魔法が使えるようになりたい』だとか、そういう子供らしい夢をスバルも抱いたものである。
しかし、夢というのは時が経つにつれて無意識のうちに徐々に記憶から薄れ、いつも間にかそれを考えなくなっていくほどに、儚いものである。
二十歳のスバルは、あれ以来一度も夢について考えたことがなかったのだ。それ故に、話題として振られたスバルは、改めて今の自分の夢について再考する。
大人の人が抱く夢とは何なのだろう? 『年収○○○○万円稼ぐ』とか『高額な○○を購入する』とかパッと思いついたのだが、それは夢なのか? 世の中に職は余りあるほど多くあり、『年収○○○○万円稼ぐ』なんていうのは、あくまでも目標に過ぎないし、『高額な○○を購入する』なんていうのは、貯蓄すれば済む話なので、これも目標に過ぎない。
実現できる可能性を帯びたものは、夢ではなく目標であると思うスバル。その論理で長考したものの、なかなかスバルの夢は見つからない。
ルートをがっかりさせまいと、何か無難な回答を考えていた末に、スバルはこう答えた。
「そうだな、俺の夢は魔法を使えるようになることだな!」
「スバルは魔法使えないの?」
「ごめんな! 魔法使えないんだ、俺」
魔法を行使することが夢だと答えたスバル。スバルが魔法を行使できないことが意外だったのか、ルートはスバルに不思議な眼差しを向ける。
異世界には魔法が付きものだ。おそらくこの世界にも魔法があるのだろう。
俺は日本がある別の世界から来た人間。故に俺には魔法を行使するなんてこと、出来るはずがない。
そう考えたスバルは、魔法なんてもの自分には程遠く、行使するなんてことは儚い夢だと思っている。
「そっか、いつか使えるといいね!」
「おう、そうだな!」
そんな日は来るのだろうか? よその世界から来た人間にも扱える魔法なんてもの、この世界にあるのだろうか?
異世界に来たばっかりのスバルには、まだ知らないことが数多ある。
「ルートには何か夢でもあるの?」
「僕の夢は、剣聖みたいに強くなることだよ! 大きくなったら、技を磨いて強くなるの!」
この世界にも剣聖なる者がいるらしい。異世界ものには王道と言えるような存在である。
剣聖といえば、そこら辺の騎士を圧倒的に凌駕するほどの実力を持ち、騎士団の中でも群を抜いた人物というイメージが強い。
それにしても、剣聖か。カッコイイものに憧れるのは、子供だから仕方ないよな。
「そっか、ルートもいつか剣聖になれるといいな!」
「うん!」
剣聖の家系に出生しなければ剣聖にはなれないはずだが、剣聖に憧れるルートを前に、スバルはそっと優しく肯定した。
なにせ、真実を告げて子供の夢を壊すなんてこと、スバルには酷であり到底出来るはずがなかった。
「僕のお母さんとお父さんも応援してくれているんだよ!」
「優しいお母さんとお父さんだね!」
きっと、この子のご両親もルートの夢を壊さないように肯定しているのだろう。
ほら、よくあるサンタがいるかいないか見たいな話。クリスマスの夜、子供にはサンタがいると信じさせ、子供が就寝している間に両親が用意したプレゼントをあたかもサンタが用意したかのように思わせる。しかしそれは、子供の抱く幻想――サンタがいるという思いを壊さないようにする為の欺瞞であり、偽りである。
それとよく似ている。
「ルートのお母さんとお父さんはどんな人なの?」
「僕のお父さんはとても優しいよ。いつも遊んでくれるし、なんでも褒めてくれるもん。」
「いいお父さんだね!」
自分の父親のことを話出すルート。それにスバルは優しく肯定した。
理想の父親というべきか、子煩悩な人なのだろう。
ルートが語る彼の父親の話を聞いてスバルはそう考えた。
「お母さんは時々怖いよ。いつもは優しいけど、突然怒り出すの! お片付けしてなかっただけで怒られたんだよ!」
「いや、それは片付けなかったルートが悪いと思う」
「えー、僕が悪いの?」
スバルに自身の非を指摘されたルートは、少し不貞腐れた顔をした。
「スバルのお母さんとお父さんは? どんな人なの?」
今度はスバルの番と言わんとするかのような眼差しで、スバルを見たルート。
その瞳を見たスバルは答えようとするが、
「俺の両親は……」
『俺には両親がいない。』そんな言葉が、スバルの脳裏には浮かんだ。しかし、ルートの声にスバルはこう答えた。
「俺の両親も優しいよ。父さんは面白い人だし、母さんは思いやりのある人だからね!」
欺瞞だ。完全な嘘だ。幼い子供に嘘をついた。そう思うとスバルの胸中は罪悪感で締め付けられる。
しかし、真実――親がいないことを打ち明けてルートに心配をかけたくはなかった。その思いがスバルの胸中で勝ったのだ。
もし、俺にも両親が居たとしたら、この子のように純粋無垢な子供に育ったのだろうか。どんな親だったのだろうか。
そんな様々な疑問がスバルの脳内を駆け巡った。
それからしばらく歩いたところで、繋いでいた手を振り解き、突如ルートが何かを見つけたように走り出す。
ルートをスバルは追いかける。数メートル先に在ったとある露店の前でルートはで立ち止まった。
異世界で訪れた二つ目の露店。そこは、異世界にしては珍しいものが売られている。
乾燥した円錐形のペイストリーにクリーム状の凍った菓子が載っている――アイスクリームである。色とりどりに盛り付けられたその見た目は、まさに食欲をそそるほどに美しく鮮やかだ。それは、美味を保証してくれるかのような雰囲気を醸し出している。
「ねぇねぇ、スバル! これ僕これ欲しい!」
ルートはアイスクリームなるものを指し示してねだる。
すると、店主の三十代ほどと思われる男性がスバル達に声を掛けた。
「いらっしゃい! 兄ちゃん達。アウスクリーム買ってかない? 美味いぞ!」
この商品アウスクリームというらしい。やはり、この世界には特有の呼称があるようだ。
この世界に来て間もないスバルは、当然ながらこの世界の通貨なんてものは持っていない。無一文である。そんなスバルにルートはアウスクリームをねだってきた。
――どうしよ。俺この世界の通貨なんて持ってねぇよ! 日本円で何とかなればいいんだけど、そうもいかねぇしな。
この世界で初めて訪れた八百屋の露店の店主に日本円をきっぱり断られたのを思い出す。
日本円は使えない。それに加えて、この世界の通貨を持っていない。
できれば子供に残念な思いをさせたくはないが、とはいえこの状況でスバルが取れる行動はただ一つ。
「えっと、ごめんなルート。俺、お金持ってないんだ」
「えー! なんで持ってないの? 僕これ欲しい!」
実直にスバルは無一文であることを述べるものの、ルートはそれでも年相応に駄々をこねる。
その様子を目の前にして、店主の男はスバルに、
「おい、兄ちゃん。無一文なのにこの子連れてここに来たのか?」
「え、いや、これには訳があってだな……」
なにかと弁明をしようとするスバル。しかし、店主の男はスバルの声を遮り、続け様にこう言った。
「この子の兄ちゃんならしっかり手本にならなきゃだめだろ? 無銭飲食なんかしようもんなら、騎士団に捕まるぞ!」
「いや、だからこれには……」
店主の男から『騎士団』という単語が出てきた。やはり、異世界だからか『警察』や『警備隊』といった存在ではなく、『騎士団』という如何にもファンタジーものの定番の存在が治安管理しているらしい。
無銭飲食が捕まるということを鑑みるに、騎士団の仕事内容は、法を犯したものを捕まえたり、街の警備をしたりと、概ね警察や警備隊と変わらないのだろう。
唯一変わっている仕事といえば、異世界特有の街を襲撃してきた魔獣討伐くらいだろうか。
店主の男はそう言うと、駄々をこねるルートの前へやって来て、腰を屈めてルートと目線を合わせると、優しい声音でルートに声を掛けた。
「すまんな、坊や。このお兄ちゃんは硬貨持ってないみたいだからな。アウスクリーム買うことができないんだ」
「えー、嫌だ嫌だ! ルートはアウスクリーム食べたい!」
「これは困ったな。どうしたものか」
それでもルートは駄々をこねる。スバルと店主の男は、ルートにどう言い聞かせるか途方に暮れていると、その三人の空間に一つの足音が響き渡った。
その音を聞いた三人は、音のした方へ顔を向ける。
そこには、スバルほどの身長の一人の青年が立っていた。