第一章2 『迷子の子供』
頭一個分ほど背の高い男は、大通りへ通じる細い通りの邪魔な場所に突っ立っている統に、野太い声で話しかける。
いつの間にか背後にいた亜人の男は、黄茶色の体毛で全身を覆い、茶色の長毛の鬣は頭部の周りを覆っている。それはまさに、百獣の王たる『獅子』に相応しく立派に頭部を飾っている。目は野生の獣のように鋭く、口には、三角に尖った歯が並んでいる。
筋骨隆々な肉体は、紺色の革製の衣装に身を包んでいるものの、所々筋肉質な体が露出している。その格好は、まるで鍛冶屋のように力仕事をしている人の風采である。
「おい、俺の声が聞こえてないのか?」
「ああ、わりぃ。聞こえてるよ、鍛冶屋の兄ちゃん」
これまで、見たことのない亜人の男の風采に気を取られていた統に、再び亜人の男は声をかけた。
それに答えた統は、亜人の男を『鍛冶屋の兄ちゃん』と呼んだ。しかし、その統の返答に亜人の男は不思議な顔をする。
その答えは、次に放たれた男の問いかけで判明した。
「おい、兄ちゃん! この俺の格好が鍛冶屋に見えるってか?」
「え?いや、どう見ても鍛冶屋の格好だろ?それ」
誰がどう見ても、明らかに力仕事してそうな格好の亜人の男は、あたかも自身が力仕事関係の人でないかのような言い回しで、統に疑問を投げかける。
鍛冶屋だと思っている統に対して、意外な回答が亜人の男から飛び出した。
「俺は、馬車を引く御者だよ!」
「え!? まじで?」
「まじで!」
亜人の答えに驚く統。それに対して『まじで』と亜人の男は返した。
御者といえば、黒いスーツに身を包み、黒いハットを被っているものではなかろうか。その風采とはかけ離れている亜人の男を目の前に、統は驚きを隠せなかった。
こんな見た目の御者もいるとは、さすが異世界。
「俺は今、腹が減ってんだ。レストランにでも行こうとしてたところなんだが」
「そうなのか。それはわりぃな! こんなとこで時間取っちゃって」
「いや、いいよ。今日は、仕事休みだったしな」
他人の時間を奪ってしまったことに少々申し訳なさを感じた統は、そういうと路肩側に移動し、亜人の男に道を譲る。
すると、亜人の男は、
「じゃあな! 兄ちゃん!」
そう言い残すと、亜人の男は何事もなかったかのようにその場を後にした。
亜人の男が立ち去った後も、大通りを行き交う群衆の『好奇な目』の色は変わらない。
取り合えず、今日の寝床と食べ物を確保しなければならない。それらが確保できそうなこの国の役所に向かうべく、統は大通りを行き交う人々に情報を求めることにした。
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得られた情報をもとに役所へ向かっている道中の統。先程の亜人の男の行き先とは真逆の方向に進んでいる。数分道なりに歩いているところで、統はあるものを目にした。
見覚えのある建築物――カフェである。周りの建築物と同化するように石材や木材、煉瓦等で建てられており、窓はガラス張りとなっている。中を見るに、お客さんは店内の七割ほどを占めており、混雑していないもののそこそこ賑わっているといった状態だ。
俺はこのカフェを覚えている。なにせ、
「この世界に転移した場所が、ちょうどこのカフェの入り口だったもんな。しっかり覚えているぜ!」
今日の出来事なのだから忘れるはずがない。
転移してきたときのことは、はっきりと覚えている。
先述したように、統は今日、現実世界で買い物に行く予定だった。支度を済ませて靴を履き、玄関の戸締りをしようとしたその時だった。
統は、スマートフォン片手にSNSをしながら片方で鍵をかけようとした。玄関の戸が閉まり、鍵穴に鍵を挿入しようとしたその時、既に俺は異世界に居た。異世界に居ることに気付いていなかった俺は、カフェの扉の木の取っ手に金属を突き付けた。本来鳴らないコツッという木材と金属がぶつかる音で、自身が置かれている異様な状況に気付いたのである。
先程のことを思い出しながら、統はカフェを通り過ぎ、役所へ向けて歩みを進めた。
あれから、数分歩いていた時のこと。細い裏路地の角から、あるものが飛び出した。
それはいきなり目の前に現れ、素早く何処かへ身をくらませる。
ぶつかりそうになった統は、急に飛び出た――人のようなものを目で追おうとしたが、気付いた時にはもう群衆の中に紛れて、どこへ行ったのか見当もつかない。
「女の子……だったか?」
一瞬の出来事だったために、鮮明には覚えていない。あの一瞬で見えたものといえば、水色の髪と少女らしき人物が被っていた鼠色のフードくらいである。深くフードを被っていたのか、少女の顔までは見えなかった。
音もなくいきなり現れたために、統が数秒先に進んでいたら、完全にぶつかっていただろう。
なにか急いでいたようにも見えたが、まぁ気にしないでおくとしよう。
気を改めて、歩みを進めようとした統。しかし、そこにはもう一つの影が近づいていた。
進行方向を向こうとして、再度誰かにぶつかったのである。
今回ばかりははっきりとぶつかった。それを感覚として認識できたのだ。
ぶつかった反動で、統は数歩後ろへ歩みを戻した。
顔を上げた途端、ぶつかった相手が一言。
「君、ちゃんと前を向いて歩きたまえ。怪我をする」
「あ、はい。すみません」
フードを被ったその人は、統に対して冷静な口調で注意を促した。声音を聞くに、二十代から三十代の青年のようだ。
――え、俺、今注意されたの? 明らかにぶつかってきたのは相手だよね? なんで? ねぇ、なんで?
ぶつかった相手も先程の少女同様に、今度は白い布地に金色の装飾が施されているフードを被っていた。当然顔ははっきりとは見えなかった。フードからはみ出した髪の毛の色は黒である。
――え、何? この世界では、最近フード被るのが流行してるの? 俺もフード買おうかしら。あっ、俺無一文だった。
フードを被った青年は、そう言い残すと自身の行き先に向かって歩き出した。
それを見届けた統も再び歩みを進めることにした。
異世界に来て数十分ほどたっても尚、未だに役所にたどり着いていない統。
道なりに歩いていた統の目に、一際目立つ光景が映る。寒色系の緑の長袖とベージュの長ズボンに身を包んだ、小学校低学年ほどの小柄な男の子が、大通りの真ん中で、何かを探すように辺りをキョロキョロと見渡していた。
両親とはぐれたのではないかと気になった統は、その男の子の傍に駆け寄り、優しく声を掛ける。
「やぁ、僕。どうしたのかな? 何か困っていることはある? このお兄さんが話を聞いてあげよう。」
「おじさん誰?」
その男の子は統を見るに、『おじさん』と呼んだ。おじさん――――それは、およそ四十代の成人男性に子供がよく使う言葉だ。その言葉は、今年まだ二十歳の統に向けられた。
――おじさんって言われた……。いやまぁ、確かに俺は二十歳迎えたけども、おじさんと呼ばれるほど長生きした覚えはないんだけどなぁ。
おじさんと言われたことに、多少心を削られた気がした統。名前を知りたそうにしている男の子に自分の名前を明かす。
「俺の名前は、明月統! スバル兄さんって呼んでくれ」
「スバル?」
「そう、スバル。スバルお兄ちゃんでもいいぞ!」
「うん、分かった! スバル!」
そう相槌を打った男の子は、『スバル』と呼び捨てで名前を呼んだ。呼び捨てしてしまうのは、まさに年相応の子供といったところだろうか。
思わぬところで繰り出されたダブルパンチにスバルは、
――うそ! まさかのダブルパンチ! こんな小さい子供から思わぬ武器が飛び出してきたな。
そう簡単に俺の心は折れないつもりだが、男の子から放たれた二本の矢は攻撃力こそないものの、スバルの心に会心めがけて放たれていた気がする。
「まぁ、子供だし? 呼び捨てしちゃうこともあるよね。うん」
「ん?スバル?」
そんな風に自分を納得させたスバルだが、考えていたことが思わず声に出ていたようである。
そんなスバルに不思議な顔を向ける男の子。その表情はまさに、「何言ってんの?こいつ」と言いたげな様子である。
「ああ、何でもないよ。ところで、こんな場所で何か探しているようだったけど、何を探していたのかな?」
「えっとね。僕のお母さんとお父さんがいなくなっちゃったの!」
その男の子は、あたかも自分の元から両親がどこかへ行ったかのようなニュアンスで、状況説明をしたのだが、この状況を鑑みるに、おそらくこの男の子が親元から離れてしまったのだろう。
そう考えたスバルは、迷子になっている男の子の両親探しを提案することにした。
「そうか、じゃあお母さんとお父さん探しにいこうか? えっと、君の名前聞いてもいいかな?」
「僕の名前はルートだよ!」
「ルートか。いい名前だね!」
男の子の名前を聞いて、スバルは新鮮さを覚える。ルートという名は日本ではまず聞き慣れない。ヨーロッパ辺りの国々へ行けば、そのような名前も聞こえるのかもしれないが、スバルはあいにく海外へ行ったことがない。
異世界に来て初めて他人の名を聞いたスバル。再度自身が異世界に居るのだと実感させられたのであった。
そんな会話を交わしたスバル達は、両親探しへと行動を移すことにした。