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逆行して歌手を目指します  作者: 林田力
オーディション
8/62

小学生

詩夜葉は歌手になるために具体的な行動を起こすことなく、それを自分の幼さで正当化して、同年代の子どもと同じように小学校に入学した。


歌手になりたいという思いだけで生きてきた詩夜葉にとって、学校生活は楽しいものではなかった。学校が歌手になることに結びつくとは思えず、行っても仕方がないと思っていた。夢に没入していた詩夜葉にとって、そこはイライラしてくるくらいに無価値な世界であった。


学校では全く異なる文化を手探りで進んでいるようなものだった。ほとんどの環境に適応できることが人間の強みとする見解もあるが、適応できるからといって好きだとは限らない。現在でも学校にいい思い出は少ない。懐かしさを覚えるよりも、嫌な記憶が呼び起こされる不快感の方が強い。過去の醜い自分の姿を見せ付けられるような気持ちになる。お呼びがかかること自体少ないが、同窓会に出席することもまずない。


学校では結局のところ、じっと座って話を聞くことを学んだに過ぎない。しかしそれが苦痛だった。聞いている振りをしつつ、ノートに落書きして時間を潰すこともあった。この癖は就職してからも治らず、ミーティング中に配布された資料の余白にドラえもんを落書きすることもあった。


朝礼などの長話も苦手だった。校長先生が話をしている時に、一人だけ落ち着かず、痒いところ掻いていた。ランドセルを忘れて学校に行ってしまったこともある。学校に着くまでランドセルがないことに気付かなかった。


学校での詩夜葉は生気がなく、退屈しきっていた。先生や同級生に馴染めず、うまくやっていけなかった。友達と寄り合って何事か話し合う子供達、静かに本を読んでいる少女、取っ組み合いを始める男子達。その中にぽつりと一人いるだけだった。日がな一日、顔を伏せて虚ろな目をして過ごしていた。皆が陽気に騒いでいる最中でも、詩人を想起させるほど沈んでいた。


詩夜葉の目には同級生が珍しい人に見えた。皆、いっぱい喋っていた。しかし詩夜葉には「なんでそんなに喋ることがあるんや」と不思議で仕方なかった。そして挨拶や普通の会話はしても必要以上には話さなかった。


いつもつっかかってくるライバルが実は自分のことを誰よりも心配していたとか、いつも必要最低限のことしか言わない先生が実は自分のことをいつも見守ってくれていたという、フィクションならばありがちな汗と涙の感動のドラマも皆無だった。


集団行動を押し付ける特殊日本的教育システムに反発を覚えたことは言うまでもない。凡愚は異能を恐れ、高慢な奴だと潰しにかかる。これが閉鎖的な日本社会の常である。できるかぎり自由を謳歌したいが、周りが許してくれなかった。詩夜葉にとって学校は自由を及びもしない贅沢だと諦めさせるような存在だった。言われた通りに行動し、「ああ楽しい」で済んでいれば楽だっただろう。


幼稚園の頃から皆で一緒に何かやることが恥ずかしくてできなかった。「これはやりたくない」とか「詩夜葉はこうなの」とか、好き嫌いがはっきりしていて我が強く自己主張する子どもであった。何をする時でも自分で決めないと気が済まなかった。他人に説得されるような人間ではなく、あれこれ指図されることが嫌だった。たとえ正しいことでも、他人から押し付けられると反発した。そのくせ自分の意見を人に説得的に伝えることは下手だった。親には今でも「育てにくい、やりにくい子やった」とよく言われる。


同級生にも言う時はハッキリとものを言った。そのために詩夜葉のことを怖いとか、意地悪と思う子もいた。ストレートに表現してしまい、相手を傷つけたり、中傷ととられたりして、失敗したこともある。男の子ともよく口ゲンカして、先生に「みんなと仲良くしなさい、みんなに優しくしてあげなさい」と怒られてばかりいた。説教は馬耳東風だったが、親にもたくさん心配をかけてしまった。誰も味方してくれなかったし、誰も認めてくれなかった。


だから実は学校では人より余計に我慢を重ねていた。緊張すると言いたいことが言えず、後で悔しい思いをしたこともある。そのようには誰も評価していなかったとしても、子どもの頃は自分で自分を抑えるタイプの人間と思っていた。


精神的にはピリピリしていて、緊張が限界を越えると腹痛という現象になって現れ、学校を休むことになった。しかし親が欠席の連絡を入れた途端、腹痛は治った。中学高校になっても欠席は多く、担任が家に来たこともある。当世風に表現するなら、軽い引きこもりであった。


歌手になりたいと思うくらいだから、目立ちたいという思いもないわけではない。勿論、歌手になりたい理由は純粋に歌が好きだからであるが、有名になるという俗な動機も皆無ではない。しかしあらゆる分野で傑出しようとか、万人に認められようという気持ちはなかった。


観客の拍手喝采を浴びるためなら、舞台の上の炎の輪を飛びぬけることも辞さない類の衝動的な虚栄心は皆無だった。それはアーティストではなく、エンターテイナーの属性である。詩夜葉は詩夜葉のやりたい分野を極めたい。それだけであった。そして学校はその場所ではないと感じていた。


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