虚像
歌手になりたいという夢は誰よりも強く持ち続けていたが、一人で歌ったり踊ったりする他は、誰にも言ったことがなかった。夢の実現に向けて具体的な行動をすることはなかった。人前で何かするタイプではないし、言葉にするのも恥ずかしかった。また芸能界のことをよく知らぬまま、芸能界に直接飛び込むことは無謀であり、危険だと考えていた。
それでも心の中では、今の自分は本当の自分ではなく、いつかきっと歌手になれると信じていた。詩夜葉に意思と才能は欠けていない。欠けているのはチャンスだった。そして空想の世界で理想的な自分を思い描いていた。春に夏に秋に冬に、朝に昼に夜に思い続けていた。
理想の詩夜葉は生きている奇跡であった。生まれながらの品格で畏怖の念さえ周囲に抱かせたが、同時に無邪気に澄んだ瞳が自ずと人を惹きつけた。誰もが一目するカリスマの持ち主で、見る者の体を痺れさせ、心を押し流す。
容姿は自分でもうっとりする程、綺麗で、それでいてかわいげもある。色っぽくて、スタイルが良くて、シャープでキリッとしていて、セクシーである。化粧気がなくても人目を惹かずにはいられない。童顔で、実際の年齢よりも遥に若い年齢に見られる。
百人中九九人まで美人と認めることは間違いない。美人と言っても様々だが、「たぐいまれな」「とてつもない」という形容詞を付けても、さほど異論は出ないだろう。歌手になろうとする人間はそれくらい自信を持っていなければならない。
微笑む姿は明るく優しく、暖かい思いやりが溢れている。怒る姿は厳しく凛々しく、どんな状況でも美しく輝いている。放心した表情でさえ美しい。夢を実現することで、余裕という名の磨きがかかり、一層輝きが増した。
目鼻立ちは端麗で、繊細であると同時にいささかも生気に欠けるところがない。頬は艶やかで両目には生気溢れる光がある。瞳を見つめているうちに、輝きは柔らかな光となって広がり、見るものを包む。目が心の窓というのは本当である。鼻といい、口といい、そのまま美術の教科書になりそうな完璧さである。
生身の人間としては余りに目鼻立ちが整い過ぎているかもしれない。しかし、サイボーグやロボットではあり得ない。何故ならば表情が豊かで、しかもどのような表情も精彩に満ちているからである。笑えば花が開き、怒れば嵐になる。
笑顔も輝いており、時折見せるフニャッとした笑顔はとてもかわいい。引き締まった美貌が笑うと一変して妖艶の彩りを帯び、見る者の心に春風を送る。鋼鉄も溶け、ドライアイスも気化するに違いない。真っ白な歯は日光を受けるとキラキラ輝く。口を開くと、この歯が顔を一層明るくするようであった。
容貌が秀麗なだけに一度殺気を帯びると、表情は凄絶なものになる。眉をひそめるだけで、太陽が喪に服して雲の陰に隠れるほどである。怒気が顕わになった眼光は、ナイフより鋭く心の奥まで刺し通す。雷さえ尻尾を巻いて逃げ出し、軟弱な人ならば簡単に打ち据えられてしまうだろう。魂さえ持っていかれかねない。
掴める様で掴めない神秘的で雲のような不思議な存在であるが、現世から超越した非人間的な硬質な美貌を誇るだけではない。厳しい表情も、人を寄せ付けない完全無欠な厳しさではない。
体は小柄であるが、全身から放射している光は体の小ささを補って余りある。むしろ小さいからこそ才気が凝縮された塊として、圧倒的な光を照り放つ。花が咲いたようなという表現は詩夜葉のためにあった。華やかな存在感があり、場の雰囲気を一瞬にして変えてしまう才能がある。
均整のとれた姿態は芸術的に洗練された造形美の極致であり、自然がなしえた完璧な仕事の一つである。太陽の光をいっぱいに受けて育ったと思われるはつらつとした体。宗教的な彫刻の神々しささえ感じさせる。造形の女神の寵愛を受けていることは間違いない。一度見たら誰しも忘れられないだろう。
肉体には弛みはなく、ハリのある皮膚は艶やかな光沢を放つ。ほっそりした姿は風にも折れてしまいそうな風情に見える。実際、小学生の頃、下校時に大風に飛ばされそうになったことがある。しかし、その実は凛としている。
身のこなしは柔軟で無駄がなく、およそ鈍重さを感じさせない。生まれつき身体が細身でしなやかなこともあり、所作の一つ一つが流麗で美しい。運動神経は良いとは言えないが、踊っている時は虎のしなやかな律動美が備わる。迅速な動きにもかかわらず、流麗さが欠けることはない。
歩き方一つをとっても自信とエネルギーに満ちている。歩く姿は宝石で作られた百合の花である。背筋と膝をまっすぐ伸ばした颯爽たる歩き方は一流のモデルを思わせる。背筋も膝もまっすぐ伸び、スーパーモデルも顔色がない。パリであろうとロンドンであろうと、通行人が振り向くほど颯爽として、しかも優雅である。つい見とれてしまうほどである。
精神的にも感情的にも安心して頼れる大人の女性である。真の寛容さと高貴な心情と豊かな反省力を兼ね備えている。その一方で、時々子供っぽいところも見せる。外見は洗練されていて、粋で心遣いのこまやかな人柄だが、清楚な一面もある。理知的であると同時に、それを忘れさせるほどの物腰の優雅さが人目を引く。満場の注目を一身に浴びていても、持ち前の優雅さは失わない。偉大な人格というものは周囲に光を投げかけるものである。
話は溢れる情感や鋭い洞察力に裏打ちされて上手くて面白く、当意即妙の話術で周囲を魅了する。桜色の唇から飛び出す軽妙な言葉は、人々の胸に強く訴えかける。天気が良いとか悪いとか、機嫌が良いとか、当たり障りのない話とは違って、打てば響くような返事が即座に返ってくる。賢くて機転がきくが、少しだけ常識を知らないところも魅力である。つっこみ役のことが多いが、たまにぼけてしまうこともある。
一方で全くしゃべらなくても注目されてしまう独特のオーラを展開する。必要があれば第一級の雄弁家になれるが、場合によっては一言一句を口にするにも、よく考えて決して軽率に話すことをしない。憶測でものを言うことはない。うっかり口を滑らせた一言が争いの火種になりうることをよく心得ている。
声は透明感があって、それでいて温かみがある。透明感のある声というのは氷のように冷たい印象を与えてしまうこともあるが、この声は心地よさを与えることができる。心の琴線に触れる声である。話の中身よりも、声さえ聞いていれば安らかに守られている気持ちになれる。ささやくように話しても、遠くの人の耳にも明瞭に聞こえる。
歌声は生を悦ぶ鳥のさえずりである。歌うと鶯が悔しがって木から落ちるほどである。歌声が空気を震わせると、温かい液体が喉を通り、胃に入り、体を芯から温めてくれる。温かい歌声に包まれると、不安も恐れも消滅し、代わりに勇気と希望と断固とした決意が込み上げてくる。
「自分に一番自信のあるところはどこですか」と聞かれて、ナルシストな人は「見た目」と主張するだろうが、詩夜葉は違う。確かに詩夜葉は容姿も端麗ではあると思っているが、やはり自分自身、最も自信のあるところと言えば声であり、歌である。歌っている時が一番輝いている。詩夜葉に遺伝した美声こそは芸能界に出したとしても一、二を争うくらいにレベルが高いと信じて疑わない。
歌もダンスも演技も上手で、かっこいい。本当に歌を愛していて、歌うことが好きで、そして聴き手に愛情を分け隔てなく注ぐ。聴き手が知らない曲でもしっかりと聴かせることができる。
要するに、これまでどこにもいなかったようなアーティストである。「そういう世界もある」というものを作っている。