歌手への憧れ
第六章 歌手への憧れ
物心付いた時から、歌手になりたいと思っていた。きっかけは、テレビでアイドル歌手が歌っているところを観たことである。それが始まりであった。
それまではテレビを観ることも少なく、ブラウン管の向こうの存在に興味を抱くことはなかった。それどころか同年代の子が皆知っている芸能人の名前でも知らないほどであった。
しかし偶々テレビをつけていた時に見たアイドル歌手は違った。歌って踊る姿に釘付けになり、観終わった後も目と耳に焼き付いて離れなかった。背筋がゾクゾクし、体の中を突き通すような不思議な感覚が走った。指の先まで痺れるような気がした。津波に呑まれたようであったし、雷に打たれたようでもあった。この時に詩夜葉の心の中に侵入する者がいたら、溢れ出す衝撃と感動と音楽の海であえなく溺死しただろう。
ああいうふうに自分もなりたい。ステージに立ち、スポットライトを浴びたい。生まれて初めてキラキラ光る喜びと欲望を感じた。欠落したものを埋めて完全なものにしたいという、心の渇きの答えを見つけることができた。強い衝動で体全体が震え、胸が燃えるように熱くなった。衝撃の花火が徐々におさまるにつれ、何とも言えない、いつまでも忘れられない気持ちになった。
この日から詩夜葉の人生が始まったと言っても過言ではない。今までの人生は終日眠っていたようなものだった。これで詩夜葉は生きていける、自分の人生を信じることができると子どもながら感じられた。詩夜葉は歌手になるためにのみ、この世に生を受けた。それが詩夜葉にとって唯一の真実であり、この世に生存する理由の全てであった。
それからは何を見ても何を考えても歌手になることと結びつけずにはいられなかった。寝ても覚めても、勉強しても働いても、いつもどんな時でも頭の中を占領していた。忘れたいと思ったとしても、できそうになかった。いつまでも根強く残り、どうしてもかき消すことはできなかった。時には表面にうっすらと灰をかぶり、見えなくなることはあっても、その灰の下で火はますます激しく燃え上がっていた。
その後に親にねだって買ってもらったアイドル歌手の楽曲は、詩夜葉の宝物である。とても嬉しかったことを覚えている。当時はアイドル歌手のファンではない子の方が珍しかったかもしれないが、詩夜葉は熱烈だった。保育園にはアイドル歌手の絵本があったが、お昼寝の時間の前は取り合いっこしながら見ていた。
今でもその時の印象は強烈である。アイドル歌手は決して強烈に自我を主張する人達ではなかった。しかし、詩夜葉には忘れがたい記憶を焼き付けた。憧れのお姉さん達で、昼間は詩夜葉の太陽になり、夜は詩夜葉の星となった。現在では憧れているだけではない。越えるべき目標だとおこがましくも思うこともある。
詩夜葉はステージで歌っている自分を夢想するだけでなく、実際に歌って踊ることもあった。真夜中に蒲団の上で踊っていたこともあったらしい。これについては自分自身記憶にない。隣で寝ていた妹がかなり後になって教えてくれた。妹は見てはいけないものを見てしまったように感じて、ずっと自分の胸にしまっていたとのことである。
一人で歌って踊っている時が本当の自分になれた。詩夜葉が吸う空気のように、詩夜葉が浴びる日光のように、詩夜葉は歌を求めていた。心の底から湧き出る欲求にかられて歌い続けた。何時間歌い続けても飽きなかった。歌うことで初めて自分の中にある喜怒哀楽を放出できた。ある時は繊細にして優美に、ある時は雄渾にして壮大に歌った。歌うと気持ちが高ぶり、恍惚感をもたらしてくれる。自分の歌声に聞き惚れてしまう。
音楽は自分の世界が作れる貴重な時間である。精神の穢れを癒す無上の名薬である。周囲の雑音が遮断され、心は落ち着き、嫌なことを忘れられる。一日の疲労が日光を浴びた霜のように溶かされていく。現実逃避の面があることは否めないが、集中することで、精神的に解放される。歌うことで引力を初めとする世の中の物理的、精神的、全てのしがらみから解放された気持ちになれた。