無駄な会議
あれから一週間が経過した。詩夜葉と桜の生活は特に変化もなく平和だった。
「おはようございます」
「うん、おはよー」
詩夜葉はいつものようにリビングに向かうと朝食を食べ始めた。
「今日は和食にしてみました」
「おお、美味しそうだね」
「ありがとうございます」
詩夜葉は早速箸を手に取った。そしてご飯を口に運ぶ。
「うん、おいしい」
「良かった……」
「桜は本当に料理上手だよね。羨ましいよ」
「いえ、それほどでもないですよ」
「またまた謙遜して」
詩夜葉は笑いながら言った。
「ふふ、ありがとうございます」
「いやいや、こちらこそありがたいよ。桜のおかげで毎日楽しいもん」
「そ、そう言ってくれると嬉しいです」
「本当だよ。じゃあ詩夜葉はそろそろ仕事に行くけど、留守番よろしくね」
「はい、分かりました」
「うん、行ってきます」
詩夜葉は玄関に向かった。すると後ろから声をかけられた。
「では、行ってらっしゃいませっ!」
彼女は元気よく手を振ってきた。
「うん、いってくるね」
そう言い残してから詩夜葉は家を出た。
今日は朝から雨だった。昨日は晴れていたのだが、梅雨前線が停滞しているらしく、一日中降り続いていた。こんな日に外に出るのは億劫だが、行かない訳にはいかない。傘を差しても濡れてしまうし、服や靴下も汚れてしまう。憂鬱になりながらも出かけることにした。
「あれ?あの人……」
駅前のロータリーに出たところで見覚えのある人物を見つけた。先月のイベントのスタッフであった。向こうも気付いたようで会釈してきた。
「こんにちは」
「どうも、ご無沙汰しております」
どうしてここにいるのだろうか。まさかサボりではないだろうなと思いつつ聞いてみた。
「どこか行くんですか?」
「えぇ、ちょっと買い物に行こうかなと思って」
「そうなんだ」
彼女の服装を見ると、確かに普段着っぽい感じだ。これからデートに行くとかそういう雰囲気ではないようだ。しかし、何故わざわざこの駅に来たのだろうと思った時に気付いたことがあった。
「あぁ……そういえばここって君の家の最寄り駅だっけ」
「いえ、私はここから二駅のところに住んでいるんですよ」
「へぇ~」
意外な事実を知った。彼女も同じ沿線に住んでいたとは知らなかった。ということは今までにもすれ違っていたかもしれないということなのか。何とも不思議な縁である。
「ふぅ、やっと終わった……」
時刻は既に午後7時を過ぎていた。詩夜葉は帰り支度を始める。
「あぁ、疲れたなぁ……。早く帰ってお風呂入ろう」
対面会議があったせいで遅くなってしまった。メールを読めば分かることでも、とりあえず会議を入れて説明させなければ気が済まない昭和の対面コミュニケーション至上主義は迷惑である。会議は相手の時間を奪うことである。その分、アウトプットが悪くなることを覚悟しなければならない。
「会議を求めた分、仕事が遅れて当然だ」
せめて会議を強要したならば、このように言わなければならない。ところが、保身第一の無能公務員体質は自分が会議を強要したことがアウトプットに悪影響を及ぼしたと認めることから逃れる。あろうことか、会議をすることで共通認識を得られたと正当化する。
まるで自分のアウトプットを出すことよりも、自分のアウトプットを出した上で無能公務員的存在をフォローした方が素晴らしいことであるかのように勘違いする。その種の誤りを訂正させることにも一苦労である。無能公務員的存在のフォローで評価されることは恥ずかしいことである。
無駄な会議があればアウトプットが遅れる。無駄な会議で一時間費やせば、一時間アウトプットが遅れることが正しい。そうでなければ計算が合わなくなる。このために無駄な会議で遅れたと報告することが正しい報告になる。ところが、無能公務員体質は保身第一のために、その種の報告を出すことを嫌がる。仕方がないから、こちらが「無駄な会議のために遅れた」と報告してあげなければならない。感謝されて良いくらいであるが、逆恨みされる。解せない。
コストカットで利益を上げるよりも、無駄なコミュニケーションを費やして皆に仕事を落として資金を循環させて利益を出す方が上等という発想が時代遅れの昭和の感覚になる。コストカットで効率よく成果を出すことができるのに、それを否定し、皆に仕事を落として資金を循環させて利益を出すような方法を頑張らせなければならないか。まるでコストカットで効率よく成果を出す方法が悪いことであるかのような昭和の風潮を見直さないとならない。
「コストダウンすればいいじゃないか!」
これが平成の常識であり、令和でも通用する考え方である。しかし、昭和の価値観には通用しない。このギャップを埋めるにはどうしたらよいのか。
「無駄な会議をやめろ! 無駄な会議で遅れた場合に挽回せずに無駄な会議でのせいで遅れたという事実を共有する」
これが21世紀の正解である。
どうしても無駄な会議の後は険しい顔になってしまう。無能公務員的存在は「お疲れ様でした」と挨拶してくるが、疲れる原因を作っておきながら、何を言っているのかと言いたくなる。
20世紀に発表されたSFの外伝エピソードを描いた21世紀のSF短編では、軍人がルーチンな対面会議を無駄と批判する。「いちいち集まらなくても、通信でいいだろう。時間とエネルギーの無駄遣いだ」。会議を無くすことを上官に提案するが、上官は頑固で拒絶されてしまう(小前亮「ティエリー・ボナール最後の戦い」『銀河英雄伝説列伝1 晴れあがる銀河』創元SF文庫、2020年)。
20世紀のSF作品は宇宙船やワープ技術を描いても、会議シーンは20世紀と変わらない対面であるなど21世紀から見て古さを感じることがある。これは21世紀のITの進歩が20世紀の作家の想像力を追い越したためである。この短編では登場人物に文句を言わせることで、技術的には可能なのに未来世界でも旧態依然とした古い意識が邪魔していると辻褄合わせになる。




