新宿
桐田詩夜葉は新宿駅にいた。時刻は午後六時過ぎだったろうか。平日とはいえ、週末前の金曜日の夜だけあって人通りは多い。新宿駅東口前には伊勢丹があり、そこから西へと延びる靖国通りの周辺にはオフィスビルが立ち並んでいる。東口ロータリーの側には、丸ノ内線の地下通路へ続く階段があった。地下通路はJR線の乗り場まで続いているのだが、ここから先は薄暗くて入り組んでいるため、慣れていない人間だと迷う可能性がある。だから、地上に出て西口を目指す方が確実だろう。
詩夜葉が今いる場所からは、新宿駅全体が見渡せた。駅の構内には巨大な広告ビジョンがいくつもあり、それらを結ぶように空中回廊が設けられている。さらに、地下道への入り口付近には、液晶ディスプレイの広告ボードが設置されている。それらの映像や画像が、夕陽を浴びながらチカチカ点滅していた。新宿駅西口方面を見やる。雑居ビルが立ち並ぶ一帯の向こうに、高層ビル群が見える。
ふいに、強い風が吹いた。前髪が大きく揺れる。その拍子に額に手をやり、汗ばんだ肌を拭った。それから空を見上げる。太陽はまだ沈んでいなかった。眩しい光を放ちながら、上空の高いところを漂っている。
そのとき、何を考えていたのか――あるいは何も考えていなかったのか。ただぼんやりとしていた。目の前にある光景を眺めていただけだ。そのはずなのに、なぜか脳裏に様々な思いが去来した。まるで、思考回路の一部がショートしてしまったみたいだった。
やがて歩き始めた。どこへ行くつもりなのか、自分でもよく分からなかった。ただ漠然と歩いていれば、そのうち目的地に着くだろうと高を括っていたのだ。だが、結局のところ、どれだけ進んでも足取りは同じままだった。自分の意思とは無関係に、同じ場所に留まっていたのだ。
しばらくすると、後ろから声をかけられた。
「あの……」
振り返ると、そこには若い女性がいた。年齢は二十代半ばくらい。小柄でほっそりとした体型をしている。長い髪をポニーテールのようにまとめており、眼鏡をかけていた。地味な服装をしていたものの、顔立ちはかなり整っており、美人と言って差し支えないだろう。
「失礼ですけど、道をお尋ねしたいんです」
彼女は遠慮がちに言った。どうやら私は、道案内をしてほしいらしい。
「どちらに行きたいんですか?」
「花園神社の方なんです」
「それならこっちですよ」
そう言って、詩夜葉は彼女に背を向けた。
「ありがとうございます」
彼女は頭を下げ、並んで歩いた。二人とも無言のまま歩いた。気まずくはなかった。むしろ心地好さすら感じられた。他人と一緒にいて、こんな風に感じることは滅多にない。しかし、不思議と緊張はしなかった。むしろ安心感を覚えている。
「ここって広いですね」
彼女が呟いた。
「そうですかね」
「わたし、あまり新宿に来ることがないものですから」
「そうなんですか」
短い会話を交わした後、再び沈黙が訪れた。二人は黙々と歩いた。それから無言のまま並んで夜空を見上げた。やがて私が切り出した。彼女の過去については触れたくなかったし尋ねてもいけないように思えたからだ。
「今日はどうしてこちらへいらっしゃったのですか」
詩夜葉が聞くと彼女は意外な返事をした。それは詩夜葉への誕生日プレゼントを買いにきたということだった。




