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小説の大丈夫への反感

小説でもマンガでもアニメでもゲームでもドラマでも映画でもスポーツでも演劇でも、あらゆる創作物には「大丈夫ですか」という問いがある。そしてその答え方によって作品の印象が大きく左右される。安易に「大丈夫ですよ」とか「心配ないさ」と答える展開は避けたい。それで作品の評価が上がることはない。むしろ下がるだけである。優れた作品では「大丈夫か」の質問の欺瞞への反感が描かれることが多い。


中年男が死体を見て驚く場面では友人の男から「おい、お前さん。大丈夫かい?」と言われる。主人公は「いやあ、驚いたね。あんまりびっくりしたものだから、心臓麻痺でも起こさないうちに、さっさと退散しようと思ってね」と返す。

「心臓麻痺を起こして倒れてしまう前に早く逃げようと思ってね」という意味で言ったが、友人の男は「心臓麻痺を起こすほど驚いているのか」という意味に取った。「心臓麻痺を起こしそうなくらい驚かせて悪かったな」というニュアンスだったら、まだわかる。しかし、実際には「心臓麻痺が起きるかもしれないくらいビックリしたんだろう?そんなに驚くなんて大袈裟だよ」という意味である。これはあまりにも失礼ではないか。

また、「君はまだ大丈夫かね」と聞くシーンがある。相手のことを心配する気持ちで言っているが、言われた方は馬鹿にされたように感じるだろう。その質問を相手がどう受け止めるかを考慮していない。


「お丈夫で何よりだ」

「いえ、あまり丈夫でもありませぬ」(藤沢周平『風の果て(上)』文春文庫、1988年、86頁)


浅田次郎『マンチュリアン・リポート』(講談社、2010年)で志津中尉は「大丈夫ですか」と質問し、相手から以下の反撃を受ける。

「大丈夫、か。妙な言葉だ。そう訊かれたって、まさかもうだめだとは言えまい」

「正直なところ、ちっとも大丈夫ではない。貴様の立場はわかるが、あれこれ詮索するのはもう勘弁してくれんか」

志津は「この明らかな病人から証言を引き出そうとしたおのれを恥じた」(272頁)。

志津は「大丈夫ですか」と聞いたとき、相手が「はい、大丈夫です」と答えることを期待していた。志津は相手に質問することしか考えていなかった。相手が「はい、大丈夫です」と答えない可能性を考えられなかった。質問者が「はい、大丈夫です」と答えてもらえると期待している質問は、質問として成立せず、ただの独りよがりである。

表面的には相手を心配しているような風で「大丈夫ですか」と質問し、実際は相手に「大丈夫です」と答えることを強要させることは卑怯である。まともな倫理観を有しているならば志津のように恥じることが正しい。しかし、そのことに気づいていない日本人は多い。それが分からない人は、そもそも質問しないほうがマシであろう。

同じ浅田次郎の小説『終わらざる夏』でも大丈夫という言葉を持つ欺瞞を指摘する。「「大丈夫」という言葉はほとんど何の意味もない、空疎な掛け声になっていた。おそらく日本国民の誰しもが、一日のうちで最も多く使う日本語だろう。少しも大丈夫ではないとき、人はみなそうと信じ、そうと信じさせるように「大丈夫」と口にした」(浅田次郎『終わらざる夏 下』集英社、2013年、235頁)


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