ハンバーガー
好きな食べ物は寿司とハンバーガーである。寿司とハンバーガーは和食と洋食、高級料理とジャンクフードの対極的な取り合わせに見えるが、実はファーストフードという共通点がある。寿司は江戸時代のファーストフードであった。形式的権威的な食事は好まない。
寿司やハンバーガーがファーストフードであることは、ファーストフードの店舗で販売されるということ以上の実質的な意味がある。どちらも炭水化物とタンパク質を同時に食べるものである。主食を食べて、おかずを食べるという処理が一回で済む。それ故に寿司やハンバーガーは本質的にファーストフードになる。
一つ一つ片付けるシングルタスクで進めたい。食事もご飯を食べ終えたら、おかずとなりがちである。寿司やハンバーガーは、これを避けられる。
コスパの観点からもハンバーガーを歓迎する。同じ時間を過ごすならば、喫茶店と比べると食事もできる分、ハンバーガーのコスパが高い。
ハンバーガーはパンに肉や野菜を挟んだ料理である。ふわっとしたバンズにジューシーなお肉が挟まれている。パンの代わりに米で挟むライスバーガーという亜種もある。
ハンバーガーは通常、一個食べれば良いところが魅力である。実は一個だけでは物足りなさが残るが、それが良い。飽食は虚しいだけである。夏目漱石『草枕』には「うまいものも食わねば惜しい、少し食えばあきたらぬ。存分食えばあとが不愉快だ」とある。本当に腹いっぱい限界まで食べると後が不愉快になる。古代ローマでは美食を続けるために嘔吐したとされるが、愚の骨頂である。
ハンバーガーは身近な食べ物である。NHK『ブラタモリ』「日本の岩石スペシャル」(2021年4月17日)で浅野里香アナウンサーは日常的な出来事を「ハンバーガー食べに行こうよ」と形容した。この感覚と近い。
浅田次郎『オー・マイ・ガアッ』(集英社文庫、2004年)には世界的大富豪のアラブの王族が登場する。彼にとっての憧れはマクドナルドのハンバーガーであった。「少年のようにコインを握りしめて、マクドナルドのハンバーガーを買った」(319頁)。この気持ちは共感できる。高価な料理よりも御馳走になる。
リン・マー著、藤井光訳『断絶 (エクス・リブリス)』(白水社、2021年)は感染症の流行で人々が死に絶えた世界を描く。生き残った登場人物は「ハンバーガー食いてえ」と言う(140頁)。文明崩壊後に文明生活を懐かしむとしたら、やはりハンバーガーを食べたくなるだろう。ハンバーガーは文明の凄さを体現するものではないが、無性に食べたくなる。消費生活の便利さを象徴するものと言える。
サンライトという名のレストランに行く。
店内に入ると店員が寄ってくる。
「いらっしゃいませ!二名様ですか?こちらのお席どうぞ!」
「ありがとうございます」
案内されたテーブルに向かい合って座る二人。メニューを開くとそこには様々な種類のハンバーガーがあった。
「うっひょ?どれにするかな?」
「そういえば、この店にもライスバーガーってあるの?」
「ありますよ」
「へー……どんな感じなの?」
「おかず系ですね。サンドイッチのような薄切りではなくて、分厚いハンバーグとかをご飯の上に乗せたりしますね」
「あぁ、それは美味しそうだね……」
「私はチーズバーガーセットにしましょうかね」
「では注文してきますね」
「さあ、おあがりなさいませ」
カレーハンバーガーが来た。
「いただきます!」
勢いよく手を合わせた。うーん! 美味いっ!! インド風のスパイスに鶏肉や野菜などの旨味が溶け込んでいる。ハンバーグも絶品であった。肉汁たっぷりなジューシー感溢れる食感にソースとの相性抜群。まさに至福の時間である。
最後にデザートとしてプリンを食べてみた。卵の濃厚さが舌の上で蕩けるような味わいであり、甘すぎず苦過ぎずちょうどいいバランスが取れている。
「美味しいね」
「うん」
「お腹いっぱいだ」
「私もだよ」




