一次審査
オーディション会場では一六六一番で受け付けられた。ここは詩夜葉にとって栄光への第一歩である。楽しみのない平凡な毎日から抜け出して夢を実現する場所である。しかしこれは過去を振り返った今だから言える言葉である。
会場は大勢の応募者で溢れていた。あまりにも混み合っていて騒々しいので、建物は外から見た時と比べて少し縮んだのではないかと思ったほどだった。しかも自分より若い子ばかりで、「詩夜葉がここにいていいのだろうか。二十三歳でこんな勝負に出るのは、本当は間違いかもしれない」と思ってしまう。
当時はダンススクールに通っていた中学生や小学生のユニットがチャートの上位を占めていて、芸能界が低年齢化していた。このオーディションもその傾向を反映し、十代の子ばかりであった。友達同士で応募した子も多いようで、おしゃべりに耳を傾けると、部活や宿題の話題が聞こえる。そのような話をオーディション会場ですることが場違いだと感じたが、多勢に無勢で浮いていたのは詩夜葉だった。
ようやく自分が起こした行動の凄さを実感した。
「こんな勇気が自分にはあったんだ」
自分に感心する一方で、気持ちが悪くなってしまった。深い淵のような恐怖が詩夜葉を飲み込もうとする。そのまま得体の知れない恐怖に精神を蝕まれてしまい、どうしたらよいか、わからなくなってしまった。自分が光を持つ者に怯える亡霊のように思えた。
待ち時間は身をこわばらせながら、顔が歪みそうになるのを必死でこらえた。肌はピリピリしていた。意思に反して体がブルブル震えだした。貧乏ゆすりかと思われるくらい、震えが止まらなかった。流氷の下に潜りこんでしまったようだった。ガクガクと震えながら、止めなければと自分に言い聞かせるほど、両足の震えが大きくなるばかりである。
胃の中では蝶が何羽も舞い始めていた。大きく息を吸っては吐き出し、自分の中にあるドロドロした何かを吐き出そうとしたが、一向に楽にならない。せめてきちんと深呼吸できる余裕があれば、この漠然とした恐怖にも正面から立ち向かえただろう。
耳の中では血液がドクンドクンと脈打つ音が響く。頭は心臓の鼓動に合わせてズキズキ痛み、胃は締め付けられる。あまりに早く打つ心臓のせいで、目眩もする。血液は心臓に逆流し、顔からは血の気が引いていく。正常な流れが破壊され、本来なら穏やかな池であるべき場所に奇妙な逆流が起こり、非常に活発になっている。早鐘のように打つ鼓動よりも、はるかに遅い一秒が刻々と過ぎていく。
度を越した恐怖が生み出す幻覚の数も刻一刻と増えていった。目の前を血まみれの雲のように漂っていた。詩夜葉は逃げ出したい気持ちと必死に戦っていた。「錯覚よ」と自分に言い聞かせても錯覚は酷くなるばかりだ。審査する部屋に通じる扉が、これからの人生に立ちふさがる障害物のように見えた。
「どうかしているわ」
パチパチと自分の頬を叩き、自分を取り戻そうとした。
「もうすぐよ」
詩夜葉は自分に言い聞かせた。
「もうすぐ、私の番が来る。そうすれば全てが決まる」
だが、この「もうすぐ」は果てしなく続いた。まるで自分の誕生までも遡り、二十三年間の人生を繰り返しているようだった。