思い
男も女も年齢も関係ない芸能界は、常に戦いの場でもある。戦いは結果が全てであって、努力の過程を見るものではない。「一生懸命」や「頑張る」というようなつまらないことは言いたくない。一生懸命やってようがいい加減にやってようが、面白いものは面白いし面白くないものは面白くない。
そしてプロの歌手として、ここまで続けることができたことは、成功だと自負している。自分に誇りを持っている。歌手を続けることができた理由は多くの人に支持されたからである。多くの人に支持される、これだけでプロとしては成功である。「学芸会の延長に過ぎない」と批判する人もいるかもしれない。しかし何であろうと、支持されてしまえば、プロとしては勝ちである。
私みたいなものが支持されるという現実が、日本の音楽シーンをダメにしている、という御高説を振りかざす方も稀にいることは知っている。しかし、それは次元の違う話である。その種のご高説を全否定するつもりはないが、それはあくまでその人の私見であり、普遍の原理ではない。そもそも芸の評価に、普遍の真理などは存在しない。
仮にそれが同時に多数のアンチを生み出したとしても、それは価値を下げるものではない。無論、依存性薬物の使用のような倫理的に許されないようなことをしているならば別論である。むしろ有名になればなるほど批判のボルテージも上がることが多い。アンチは増えることはあっても、減ることはない。
いかに支持されているアーティストであっても、アンチや無関心は存在する。いないということは、全員が賛成ということになり、思考停止状態である。万人の心が一つで感じ方も一つでは気色悪いだけでなく、恐ろしくてかなわない。否定する人達は放置し、応援してくれる人を喜ばせたい。批判者も他人の揚げ足取りに費やしていないで、もっと生産的なことをすればいい。
二十四歳でデビューという女性歌手としては遅咲きだったため、デビュー当時から年齢の話題を振られることが多かった。仲間やライバルはほとんどが十代であり、常に年齢の話題に晒されていた。年齢はセンシティブな話題である。
逆に言えば、詩夜葉を怒らせることは簡単である。年齢の話をすればいいだけである。その反応見たさにわざわざ年齢の話題が持ち出されることも少なくない。あわせて「恋人は?」「結婚は?」という音楽とは全く関係ない無神経な質問にも耐えなければならなかった。それが嫌でオフの日はアルコール漬けになったこともある。
三十歳を迎えて、「ああ三十か」という気持ちの反面、この歳までよくやって来られたという感慨がある。三十歳になる直前は、「このまま三十代になって大丈夫かなぁ」と不安だったが、いざなってみると楽になった。
二四歳でこの世界に入って六年。小学一年生だった子が中学に入るまで続けられたことになる。六年は、この仕事を辞めていたとしてもおかしくない年月と思う。会社員生活でさえ、これほど続けてはいない。この六年の間に詩夜葉が契約している事務所からも新人がデビューしていき、詩夜葉にも大勢の後輩ができた。詩夜葉と同時期にデビューした人の引退を見送ったこともある。
デビュー当初は先行き不透明だった。売れるようになっても、一発屋の運命を辿るのではないかと思うこともあった。薄氷の上に片足で立っているような気持ちであった。この日々をいつか失う時が来るだろう、と想像してビクビクしていた夜もあった。
今の状況がずっと続くとは思えないし、長い人生の中の一瞬に過ぎないとも思う。必死にやってはいたことは確かだが、一方でどこか醒めていた面もあった。「歌手一年総理二年の使い捨て」という言葉が頭から離れなかった。
もう歩けない、そう言いながら歩いてきた。休み休み、それでも何時の間にかここまで歩いてこられた。とはいえ、まだ六年。これからも、厳しいサバイバルレースに挑まなければならない身である。事務所には前々から、ずっと仕事を続けていきたい、と伝えてある。どの程度続けられるにせよ、人生の白いキャンパスには自分の筆で描いていかなければならない。そして既に夢の基盤は整っている。気を引き締めて行きたい。
歌えることが自然に嬉しい。歌を歌えていればそれで幸せである。幸せ過ぎると時に幸せの意味を失いがちになる。幸福を侮ると、落とし穴の口が開く。歌が今の詩夜葉の原点であり、基盤であり、核である。歌が嫌と思った時は、この仕事を止める時だと思う。
これまで決して楽しいことばかりではなかった。本当は辛いのに「何で詩夜葉、笑っているんだろう」と思うこともあった。皆に笑顔で応えるだけでも、嫌な汗が噴出し、呼吸が苦しくなることもあった。光の中を歩くと決めたら、行きたくない場所に連れて行かれることもある。しかし、上り坂ばかりだろうと、この夢を選んだ人物は他ならぬ詩夜葉である。避けるわけにはいかないし、そのようなことがないと今がない。
辞めようという考えがよぎったことも一度や二度ではない。しかし、もったいなくて、そう簡単に中途半端に投げ出すわけにはいかない。一度辞めたら中々戻ってこられない世界である。当時悩んでいたことが、今クリアになっていたら素晴らしいことであり、何よりも今歌えていることが一番の幸せである。
他の仕事もやらせてもらって、色々ないい経験をさせてもらっているが、その分、難しさも分かった。例えば演技は演じる役柄を理解しなければならない。どんなに非日常的な役でも、「その人にとっては、それが自然」と観客が思えるように演じなければならない。
しかし詩夜葉はどんな性格、どんな境遇の人物を演じるかというよりも、ヒロインになって拍手喝さいを浴びたいという意識がどうしても先行してしまう。その結果、場面一つ一つの華麗さに酔って全体の構成を置き去りにしてしまう。
歌以外の仕事をやらせていただけるのはすごくありがたいし、やりたいことでもある。それでも、やはりずっと歌を歌っていきたいという気持ちが大きい。「器用だね」と言われるよりも、「色々な歌を歌えるね」と言われるようになりたい。もっともっと上手く自分の心情を込めて歌っていきたい。そこを忘れずにやっていきたい。




