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逆行して歌手を目指します  作者: 林田力
オーディション
25/62

仕事

芸能界の体育会的な側面は、元々集団行動の苦手な詩夜葉には苦痛だった。しかし、芸能界は義務として通っていた学校ではなく、自分から進んで入った場所である。馴染めない点があっても、辛い思いをしても、我慢はできた。


ボイストレーニングやダンスレッスンも厳しかった。トレーナーや振付師が一流の方だったので、妥協を許さないという性格的な厳しさがあった。詩夜葉はあまり器用な方ではなかったので、かなり精神的負担に感じたこともあった。本番では絶対失敗してしまうと思って泣いたこともあった。しかし、そこで妥協してしまったら、いいものはできない。性格的なキツさが生じるのも、やむを得ない。


この世界では二十四歳という年齢は十分な大人であるが、歌手としては卵の殻に片足を突っ込んだままの新米だった。十代の子と一緒にレッスンすることもあるが、彼女達の方がはるかに熟練していた。それもそのはずである。詩夜葉が一人で歌ったり、カラオケで歌ったりする以外、他に何もしていなかった時に、彼女達はレッスンしていた。彼女達の親は「勉強しろ」「塾に行け」と五月蝿く言う代わりに、レッスンに励ませ、送り迎えまでしてくれる。


見た感じは普通の中高生だった。どこにでもいそうな子供に見えた。この普通の女の子達が歌い出すと普通ではなくなる。詩夜葉は彼女達についていくことに精一杯で、辛かった。自分が遅れてきた存在であることを否応なしに痛感させられた。皆が既にやってきたことをこれから覚えていかなければならなかった。


遅れを取り戻すには月並みだが、人一倍練習するしかない。詩夜葉は猛練習した。こんなに真剣になったことは生まれて初めてかもしれない。厳しい練習も夢の実現に直結すると考えれば熱が入った。練習を苦と思うより、一日中、音楽に没頭できる環境が嬉しかった。


ライブは歌手にとって自己の全てを表現できる機会である。一番楽しい仕事である。ステージは二つの世界の接点である。現実の虚構が結婚して、感動という子供を産み出す。


テレビは誰が見ているかわからない。詩夜葉の歌に興味があるからではなく、時間つぶしのために偶々見ているだけかもしれない。しかしライブは違う。観客は皆、詩夜葉の歌を聴くためにわざわざやってきた方々である。


テレビ出演を拒否し、ライブ中心に活動する歌手が少なくないことも当然である。詩夜葉自身は、自分にそれほど興味がない層に対してもプロモーションを行う必要性を感じているため、テレビ出演を拒否することはない。それでもライブが、やはり楽しい。


しかし、ライブの観客にも例外はある。業界の常としてマスメディア席や関係者席なるもの用意されている。チケット取得の苦労もしていない、その席の連中が会場の一体感を損なっていることは事実である。東京より地方の公演の方が盛り上がることが多いのも、そのような席がほとんどないためである。何れにせよ、世の常として例外はあるものも、それはごく一部であり、より多くのファンがチケットを取りやすくするためにできるだけ減らそうと努めている。


加えてテレビは大勢の人が観ているとしても、リアクションが返ってこないので実感がわかない。業界人は視聴率を尺度にするが、歌い手の立場では出来の良さと視聴率に相関関係は感じられない。この点、ライブは観客の生の反応が返ってくるから面白い。


CDを聞いただけでは、「ちょっとダサい」と思わせてしまう曲もある。しかしライブで堂々と、それでいて実にのびのびと歌えば「一〇〇パーセント真剣だよ」と伝えることができる。肌から滴る汗がレザーを濡らして黒々と輝き、汗の一滴毎に観客の熱狂も高まる。そして何だかバカみたいなリフを自信満々かつ大音量で繰り返せば、全身の血が溶解した銅のように煮えたぎっていく。ダサいという解釈は破壊され、後は音そのものの響きが何処とも知れぬ場所で不気味に膨張しはじめる。


逆もまた真でテレビでは楽しませることができても、ライブで聴かせると、それほどでもない曲もある。テレビと同じことをステージでやっても面白くない。ライブでしかできないことがある。歌うならフルコーラスで聞きたい曲もある。中途半端にやるくらいならば、やらない方がましと思えた。


今でも他の歌手の公演にはよく行かせてもらうが、デビューする前は専ら観客の側だった。中学生の頃から、よくライブに行った。とても楽しかった。ステージで歌って踊る歌手と一緒になって踊った。歌手の暖かさ、優しさ、一生懸命さが充分伝わってきた。自分もステージに立ち、スポットライトを浴びて歌いたいという思いは募るばかりであった。


友達と一緒に行くこともあったが、ある時、一緒に行った友達の感想が「椅子が堅くて腰が痛かった」というものだった。以来、その友達と一緒に行くことはなかった。


学校が休みの日に行くことが多かったが、学校を勝手に休んでいくこともあった。平日に行くライブは休日のそれとは雰囲気が違い、より深く楽しめた。ライブで好きなアーティストの歌を聴く楽しみを経験しているから、今度は自分が歌う側になっても楽しませることができている。


生放送では本番が始まる前から「今日は何を話そう」、本番中はモニターを見ながら「あ、映っている!」と終始緊張しっぱなしである。精神が高揚する一方で、恐怖も深まる。心臓が飛び出しそうなほど早く打ち、それに呼応して目まぐるしく思いが駆け巡る。


呼吸を整え、気持ちを落ち着かせようとするが、どれだけ深呼吸を試しても、胸の鼓動は少しも楽にならない。緊張という名前の背後霊に取り付かれたかのようである。逆に不自然に深呼吸を繰り返すと自分で緊張していることを認めることになって、余計プレッシャーがかかるため、最近は無理にしないようにしている。


生放送では編集が効かないため、うっかりとんでもないことを口走れない。生放送で、やってしまったら、スタッフやスポンサーの皆さんに多大な迷惑をかけることになる。そして、それが自分に跳ね返ってくることが一番きつい。


但し、それを気にしすぎて、生放送では固くなりすぎているという指摘を受けたこともある。そのために今では意識しすぎないように心がけている。逆に油断し過ぎると、つまならそうな表情や退屈している表情が映されてしまう。詩夜葉はすぐ表情に出るため、集中力を保つように気をつけている。


一方で時々は訳の分からない行動をして、番組の進行をめちゃくちゃにしてしまいたいとの衝動に駆られることがある。いい気持ちで酔っ払っている連中を見ると水をぶっ掛けてやりたくなる悪い癖が出てくる。お笑い上がりで司会者気取りMCの下らない進行を根こそぎ覆した時など絶頂すら覚える。


事務所のスタッフとはあまり仲良くしていない。スタッフとアーティストは、ある意味、対立する存在である。アーティストは、まず自分自身の利益を考える。それに対し、スタッフは会社の利益を考えるべきものである。実際のスタッフの全てがそうとは限らないし、そうであるならば着服も使い込みも交際費での飲み食いも起こらないはずであるが、あるべきスタッフとは会社の利益に貢献するものでなければならない。


そうなると、アーティストとスタッフの間には当然軋轢が生じる。だから、あまり仲良しこよしになることはあり得ない。考えすぎかもしれないが、用心しておく方がよい。そして仲良しでないことが悪いわけでない。緊張関係があるからこそ、いい作品を制作できると信じている。和気藹々でいることが生産性を高くするわけでもない。同僚の未熟やミスに対する寛容さがより大きな危険を招く例は多い。逆に、友達とずっと仲良しでいたかったら、一緒に仕事をしない方がいい。これは結構大事である。


詩夜葉が大阪に出て大親友となった人も仕事とは全く関係のない自動車教習所で一緒だった人である。今でもその人とは大親友で大阪に行った時は遊びに行く。友達にも仕事の話・相談は一切しない。そもそも大事なことは誰かに意見を求めても結局は自分で決めるしかないと思っている。たとえそのとき仕事上で悩みがあったとしても、友達といる時聞は忘れることにしている。



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