退職代行
退職には退職代行サービスを利用した。退職代行サービスは退職手続きを本人に代わって代行するサービスである。日本社会では退職手続きは苦痛や面倒が大きい。それら苦痛や面倒をアウトソースするという価値を提供する。ここに退職代行のニーズがある。
退職代行は、退職手続きは自分がやることが当たり前という昭和の常識を打ち破るサービスである。退職手続きは自分でやるべきという固定観念を壊したことが退職代行という新しいサービスのイノベーションになる。
退職代行サービスはブラック企業対策として発達した。かつて労働問題と言えば不当解雇が中心であった。それは今も重要な問題であるが、ブラック企業では「辞めたくても辞めさせてもらえない」という問題も起きている。退職しようとすると莫大な罰金や違約金を請求するブラック企業がある。莫大な違約金という点ではゼロゼロ物件などの貧困ビジネスと重なる。このため、内容証明郵便で退職届を送付したり、退職代行サービスを利用したりすることが労働者の身を守る手段として注目されている。
「今の仕事を続けていると、精神疾患(うつ、適応障害など)を患ってしまう恐れがあるのであれば、話は変わってくる。退職代行サービスのような外部のサポートを受けてでも、早急に退職を進めた方が良い。一度精神的に病んでしまうと、回復に時間がかかってしまうだけでなく、退職後の転職活動も難航してしまう恐れがある」(「「退職代行サービス」が続々生まれる深刻理由」東洋経済オンライン2018年11月21日)
アイドルグループの嵐が2020年末の活動休止を発表した記者会見で、活動休止を無責任と主張する記者がいた。今は辞めさせないブラック企業が問題になっているが、記者の感覚は昭和の滅私奉公のままであった。つくづく日本社会は昭和の精神論根性論やブラック企業と親和性がある。
一方で退職代行サービスはブラック企業だけでなく、自称ホワイト企業の退職でもニーズがある。自称ホワイト企業では離職率が低いことをセールスポイントとし、それが目的化して退職者を出さないようにしようとする。そのために退職希望者が出ると社内公務員的な存在が延々と面談を繰り返し、退職を妨害する。
退職代行が利用される自然なケースとして「退職の相談をしたい」と切り出したところ、「そのようなことを言うな」と頭ごなしに否定された場合である。真面目に相談しても意味がないから、二度と直接話そうとはせず、ある日突然、退職の通知が送られたり、退職代行業者から連絡が来たりする。これは労働者の言い方が悪いと労働者側にコミュニケーションに応じるように責任転嫁するならば、世の中のパワハラも不当労働行為も皆、労働者が悪いとなるだろう。
退職代行のニーズの出発点は無駄なコミュニケーションを避けることである。退職希望者が出ると社内公務員的な存在が延々と面談を繰り返し、退職を妨害する社内公務員的存在が登場する。論理に一貫性がなく、こちらの要望を通さず、諦めてもらいたいという動機だけで、次々と否定論をあげるだけである。もっともな理由を述べたら、別の問題点をあげてきて、次々と論点をそらしていく。
最初は「退職なんて言うな」と頭ごなしに否定する。それで諦めれば良いとする。曲げない人には部署異動やら休職やら退職以外の解決策に誘導しようとする。それでも曲げないと今退職することのマイナス面やリスクを色々と話す。それでも曲げないと引継ぎを持ち出す。引継ぎ要員がいないから辞めさせないという論理は、典型的なブラック企業のものである。
社内公務員的存在は離職率を低くするという点数稼ぎしか考えていない。そのために理由は何であれ、退職を思いとどまりさえすればよい。そのような人間と話すだけ時間の無駄である。そのような会話は苦痛の種でしかない。陳腐な会話は嫌いである。社内公務員的存在に語ることはなく、社内公務員的存在から聞きたい話もない。
ここに退職代行サービスのニーズがある。退職にために必要な書類を出し、必要な書類を受け取るだけで済むならば、それほど退職代行サービスの必要はないだろう。事務的な手続きだけで済まず、面談と称して説得や説教が繰り返されるために、それをシャットアウトするために退職代行サービスの意義がある。
退職代行は面談せずに辞表が通る労働基準法に照らして当たり前の状況を実現する。雇用関係の法令を守る企業ならば面談を強要することはできない。面談を拒否して退職することは当たり前のことであり、面談を強要する義務は誰にもない。
退職代行サービスに対しては、そのニーズを理解せず、サービス利用者を批判する見解がある。ステレオタイプな批判は「自分の退職手続きは自分でやれ」というものである。この批判は労働問題への無知と無理解を露呈している。労働組合も代理人弁護士も労働者個人と使用者が直接交渉することが実質的な意味での公平でも平等でもないことから生まれている。そのために労働者本人と会社が個別に話すのではなく、組合や代理人弁護士を通して話す。
ステレオタイプな批判は労働問題が積み上げたものを全否定することになる。本人が直接腹を割って話すならば良い解決が生まれるというのは昭和の対面コミュニケーション至上主義の悪癖である。それを個人に押し付けるならば昭和の精神論根性論になる。退職代行サービスのニーズを考えずにサービスを批判するだけでは頑張ることを強要する昭和の精神論根性論と変わらない。
「もっと直接会って話し合えば良いのに」という意見は無責任である。「会ったことによって事態は益々悪くなる」(黒岩重吾『落日の王子 蘇我入鹿 下』文春文庫、1985年、188頁)。昭和的な対面コミュニケーション至上主義を強要することはできない。
退職代行を利用し、面談を拒否して退職すると後々「悪い噂」が出て不利になると言うこと自体が恥ずかしいことである。「皆が残業している時に付き合い残業をせずに定時で帰ると白眼視される」ことと同じ次元の感覚だろう。職場の宴会に参加しないと、この会社で円滑に仕事が出来なくなるという類の時代錯誤の発言である。批判者は「いい印象は残さないでしょう」という主観で退職代行に反発しているだけだろう。
昭和の非常識は21世紀の常識になる。無駄なコミュニケーションが苦痛であり、それを避けたいという人の問題意識に応えないと、退職代行の問題に向き合うことにはならない。真の意味で社員に優しいホワイト企業ならばコミュニケーションの負担をかけない。そのような企業ならば退職代行のニーズも乏しくなるだろう。




