デビュー
デビューが決まってからは、自分でも不思議なくらい、毎日がとても楽しく、日毎に表情が生き生きして若やいだ。まるで恋する乙女のようですらあった。周りからも表情が穏やかになった、柔和になったとよく言われる。もとより落ち着いている方だったが、ある種の貫禄さえ感じさせるようになった。
身体も健康で、夏バテなども全くない。早起き等、それまでは苦手だったことも、今は平気になった。安定した職を捨て、自ら選んだ不安定な生活は、精神的・肉体的にも素敵な奇跡を起こしてくれた。
一方で我を忘れて浮かれるということはなかった。浮かれても足元も見つめることは忘れなかった。春が来たからといって飛び跳ねていると、薄氷を踏み割って水に落ちることもある。むしろ今まで感じたことのない深い安らぎがあった。これまで心に描いていた歌手像を実現するだけである。できることは全てやっていきたい。ゆっくりやっていきたい。
デビュー曲は信じられないほど純で感受性の強い思いやりのある女の子が主人公で、彼女の清潔で繊細な視線と心を歌っている。現実にはとてもいそうにない女性が出てくる。「自分もこんな経験したことあるなぁ」と思い出しながら作詞した。もってまわった難解な言葉遣いはなく、書いた本人が自分の言葉に酔っているといったところもない。自分の第一作目としては、すてきな作品ができたと思っている。
メロディーも覚えやすく、難しい技術を使わなければならない部分も一切ない。のびのびと歌える曲である。歌衣装も曲のコンセプトから、実際の年齢よりもかなり少女チックなものであった。二十四歳の詩夜葉がこのような衣装を着ることに対し、あれこれ言う人がいるかもしれない。しかし街に出ると、このような服装の女性は少なくない。
デビュー曲の作詞は詩夜葉が強く希望して実現した。自分の言葉ならば、歌うときも感情を込めやすいためである。デビュー曲以降も自分の曲は自分で作詞している。作詞は難しく、簡単に「詞を作ります」なんて偉そうなことは言えないが、やればできるものである。自分に正直な作品を書きたい。
作詞中は形の定まらない思いが潮のように押し寄せる。後から後から言葉がこぼれてくる。五感を研ぎ澄ませ、心の動きに忠実に、全てを表現していきたい。歌っていて説得力があること、リアルであることを大切にしている。
しかし頭の中では素晴らしい詩が完成しているように思われるのに、実際に表現するとそれほどうまくいかないという苦しみに悶えることもある。そのため、頭の中でモヤモヤしていた思いが、不思議なくらいすんなり形にできた時の喜びは大きい。目の周りを覆っていた膜が剥げ落ちた感じである。
創作は自分の世界を創ることである。自分の想像力を具体的な形にすることは楽しい。作品が完成して自分の手元から離れる時は恋人に別れを告げるような寂しさを覚える。とはいえ詩夜葉の場合は自分が歌うために書いている。これほど幸せなことはない。
最初のレコーディングでは実力を発揮できなかった。レコーディングは生まれて初めての体験であった。慣れないレコーディングブースの中では、そう簡単に歌えるものではなかった。
何度歌ってもオーケーが出ない。しかし詩夜葉には何が問題なのかわからなかった。しかも追い討ちをかけるように、マネージャーからは写真写りが悪いと言われ、ジャケット写真の撮り直しを命じられてしまった。
何で詩夜葉が選ばれたのかわからなくなった。才能がないのではないかとも思った。
「詩夜葉じゃなくても、他にもっといたでしょう……」
こんなことを考えてしまうほど、追い詰められていた。このままでは何も変わりそうにない。たとえレコーディングや撮影をやり直しても、今の詩夜葉の状態では納得させることはできない。この最悪の状態を脱するためには何かしなければならない。何をしよう。そうだ、思い切って髪を切ろう。二十四年間短くしたことがなかった自らの髪を、バッサリと切り落とそう。これで気分が変われるならば未練はない。
詩夜葉はロングヘアが好きで、子どもの頃からずっと髪を伸ばしていた。詩夜葉は十分痩せているが、身長がそれほど高くなく、顔が丸顔なので、ぽっちゃり系に見られてしまう危険がある。それを嫌ったために、ロングにして、スラっとしたイメージを出そうとしていた。実際、鏡に映ったロングヘアの詩夜葉は丸顔という感じがしない。
茶髪に対して怖いという印象を少し持っていたが、就職してから髪を染めた。軽く染めただけだったが、自分が自分でない感じがした。気持ちが軽くなった気がする。自覚してはいなかったが、周りからは、黒髪の時は性格が暗いと思われていたようである。日本女性は黒髪が一番美しいという類の頭の固い人間による根拠のない妄言に自分も囚われていたことに気付いて愕然とした。
「洋服が似合うようになったね」と言われてオシャレやメイクが楽しくなった。もっと髪を染めて金髪にしたい、ピアスもたくさん付けたいと思っていたが、従業員としての立場から、あまり派手にできなかった。
思い入れのあるロングヘアだったが、美容院に行ったらテンションが上がって、当初考えていた以上に短くした。これにより、心機一転が図られ、レコーディングや撮影も乗り切ることができた。ショートになって、重々しい雰囲気がなくなって若々しくなり、写真写りも良くなったと思う。以来、少しずつ伸ばしてセミロングで落ち着いたが、昔ほど長いことはない。
髪を短くしたのに合わせて髪の色も変えた。最初は茶髪でそれから金髪にした。髪の色を染めることが必ずしも人を美しく見せるとは決まっていないが、詩夜葉の場合はやはり重々しい雰囲気が薄まって華やいだ感じになった。田舎臭さも抜けた。美しい金髪には鏡を見ながら惚れ惚れする。今にもパチパチと電光を放ちそうだ。




