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逆行して歌手を目指します  作者: 林田力
オーディション
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残念旅行

達成感のあったオーディションであったが、合格する自信があるか、となると別である。最終選考まで進んだ中では最年長であったし、選考者は詩夜葉でなく審査員であった。実力があるから合格、実力がないから不合格というものでも必ずしもない。


仮に自信があると虚勢を張ったところで、自信通りに物事が運ぶならば失敗する人は皆無である。それに物事は全て舞台裏で決められるということを知らないくらい愚かではない。公開性をウリにし、テレビで放送するようなオーディションであっても同じである。パンドラの箱ではないが、詩夜葉にあったものは希望だけである。その希望も日一日と薄れていくものだった。


審査結果の発表は「追って沙汰する」型で、いつまで待てばいいかも不明だった。テレビも結果は流すが、それはずっと後の話である。番組は後から編集したものなので、最終選考の翌週には結果発表となるが、そのような都合のよいスケジュールは当事者には与えられていない。


詩夜葉は気持ちが落ち着かなくて、ひたすら結果発表を待つだけの生活には耐えられなかった。そこで残念会を兼ねた旅行を思い立った。結果を聞いて改めて落ち込むよりも、今のうちから心を切り替えられるようにしておこうと考えた。少なくとも詩夜葉はオーディションでよくやったことは確かである。だから自分にご褒美をあげることは悪いことではなかった。


もし不合格の結果を聞いて改めて打ちのめされたとしても、その時は改めて旅行に行けばいいと思った。二度も残念旅行をするのは無駄遣いかもしれないが、とにかく今は結果をただ待つということができなかった。


太陽が激しく燃え盛る暑い夏の一日だった。泳ぐと、海の底の砂に網目模様のチラチラした光と共に自分の泳いでいる影が映る。冷たい水の快い刺激で神経も程よく緊張し、心身ともに充実した気分だった。海の中で自分の肌を他の人の肌と比べたが、周りには誰一人、太刀打ちできる者はいなかった。自分の美しさにすっかり満足して上機嫌になった。


それでも泳ぎ疲れて浜に上がると、寂寥感に襲われた。熱で周囲の景色がゆらゆらと揺れているようだった。時間なんてものはここにはなかった。時間が流れると言うが、天動説の主張者の錯覚と同じく、人間が流れているのであって、時間は止まっているものなのかもしれない。


この旅行は残念会の位置付けで、自分の中では区切りをつけた筈だった。それでも区切りを付けられない自分がいた。詩夜葉は秋の日暮れのような表情をしていたに違いない。おまけに雨まで降りそうだった。様々なことが頭に浮かび、何かを思うと途端にその何かが現れる。オーディションの記憶がビデオを再生するように頭の中にくっきりと明滅していた。


自分の心に大きな穴ができてしまった。あるべきものがそこにはなかった。ぽっかりと口を開けた、やるせない穴は、当座は何物によってもふせげないはずであった。詩夜葉はその穴に呑み込まれてしまい、空洞が詩夜葉を動作ののろまな考え込む女にしてしまった。


夜の支配を完全に退けた空は一片すら雲の存在を許さず、すさまじいほど底知れぬ青さが広がっている。宇宙の彼方で燃える太陽から放射された紫外線が、水平線を眺める詩夜葉の目に突き刺さってきた。眩しくて仕方がなかった。まるで果てしなく広がる砂漠に裸で立ちつくし、夕日に焼かれているようだった。だけど詩夜葉にはどうでもよかった。


打ち寄せる波の音を聞きながら、鳥が水中に突っ込んでいく光景を眺めた。波が海岸線に打ち寄せて、飛沫が上がった。砂浜の小石や海の塩分が履いてきたお気に入りの靴を傷つけても、靴の中をグジュグジュにさせながら旅館に歩いて帰ることになっても、どうでもよいという気がしていた。風が吹いた。カサカサと捨てられたビニール袋が舞い上がる。踏まないで欲しいのか、手にとって欲しいのか。ただそれだけだった。


最後のチャンスと思って受けたオーディションだったが、詩夜葉の中で最後にすることはできなかった。ステージで歌った時の恍惚感は忘れられなかった。今までの不満や不安を抱えた生活に戻るのは嫌だった。だから大阪に戻ったら他にオーディションを探して、もう一回挑戦してみよう。ここまで自分をさらけ出したのだから。もうダメなのはわかっているが、やりたいのだからやってみよう。



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