都会への脱出
詩夜葉にとって故郷は田舎であった。変化の少ない町だった。昨日と同じに積み重ねた今日を明日も同じように繰り返す。着実な時間だけが頑固に積み重ねられていた。それが嫌だったわけではない。誇りを持って自分の故郷と言うことができる。
しかし早く大人になって、都会に脱出したいと思っていた。都会を文化の源と思っており、憧憬していた。昔から都会で流行っているものがあれば、すぐに真似した。自分の生まれ育った街から離れ、都会に行きたい、そこで何かを成し遂げたい。色々な人や物と触れ合って、故郷では得られない刺激を経験したい。
就職先を決めた理由も、会社が大阪にあったからであった。とはいえ大阪に住んでからは、なんで東京の会社に就職しなかったのだろうと後悔することもあった。それでも当時は大阪に住むこと自体が大冒険であり、東京までは考えられなかった。
家を出ることに対しては、女手一つで育ててくれた母に申し訳ない気がした。しかし、願望が勝った。母も詩夜葉の希望を笑顔で許してくれた。「今というのは今しかないから、やりたいことはやった方がいいから」と言ってくれた。娘の自立に際し、とびきりの笑顔で送り出したい、そのような気持ちが伝わった。
大阪は人間的であると同時に非人間的な都会だった。一人暮らしを始めた時は本当にウキウキした気分だった。一人暮らしの自由気ままさを満喫していた。最初は会社の寮に住んでいたが、その後、京橋の賃貸マンションに引っ越した。
寮を出たのは、プライバシーのなさと通勤ラッシュに辟易したためである。会社の寮なのに通勤時間二時間弱のところにあり、通勤だけで疲れてしまった。たとえ家賃が高くても近くの方がよかった。
一人暮らしを満喫していたが、それでも故郷を思い出すことも起きた。寝る前に、ふと「お母さん」と叫んでしまった。故郷を思い出せそうな公園を雑誌で探し、行ったこともあった。来る前は、まさか自分が望郷の念にかられるとは思わなかった。
詩夜葉は人と待ち合わせをして、ハッキリした理由もなく遅刻することはない。仕事も遅刻しない。だから周りの人間に、時間にルーズなヤツと思われてはいない。しかし、詩夜葉には密かな自覚症状がある。職場で勤務中は問題ないが、プライベートで特に一人でいる時に、時間の流れに現実感がなくなってしまう。
言葉で上手に表現することは難しい。映画館で映画を観ている時の時間感覚の無さとは異なる。何かの空想の世界に浸っている訳でもない。勤務時間中は大人時間が流れているが、一人でいると子供時間のような、就学前の幼い頃と同じ感覚になってしまう。
「解離性……」という言葉を知った時は正直驚いた。詩夜葉は記憶が無くなったことはなく、虚言癖もない。だから人格障害というほど病的ではない筈である。それでも時間感覚がおかしい。これは詩夜葉の密かな悩みである。
就職当初は通勤時間二時間弱のところに住んでいて、満員電車に乗って通勤していた。それがどうしようもなく嫌であった。痛勤とはよく言ったものである。満員電車に物のように押し込められると、いかに自分と自分の周辺が矮小か、目を瞑ったままでも明確に分かる。他の人がよくこんな毎日に耐えられるのか不思議だった。特に腹立たしいのはラッシュの電車の中で人に寄りかかる人である。すごく重たくて死ぬかと思ったこともある。押し付けられた仕返しに、ハイヒールを打ち付けたこともあった。
会社で働くことは必ずしも嫌ではなかったが、満員電車に乗らなければならないと思うと毎朝憂鬱だった。朝、目覚ましが鳴ると「朝が来てしまったか」と溜息が出る。焼けた金属が胃の辺りに詰まっているようで、吐き気を伴う不快感と毎朝戦っていた。だから好きなだけ寝ていられる休日には感謝していたし、休日が待ち遠しかった。
満員電車の中での沈黙と不動は憤怒の激しい爆発に先立つ集中と沈着であった。感覚を研ぎ澄ますと、毎日満員電車に詰め込まれる囚人の鬱積した怨念が痛いほど伝わってくる。満員電車はそこにいる者の生気を吸い取り、恐ろしい無意味さを満たそうと無駄な努力をしているかのようだった。満員電車の中では社会が限りなく醜く見えた。そして醜さを嘆き悲しむよりも、欲求を満たすことが先にあった。苦しいのだが、空腹を満たそうとすることしかできなかった。
満員電車で立っているだけの時間は苦痛だっただけでなく、無駄に思えた。効率的な時間の使い方として読書があるが、混雑のピーク時はそれも不可能だった。ここでも詩夜葉を助けてくれたのは音楽である。心の中で好きな歌を歌い続けることで、多少はこの苦しみから気をそらすことができた。時々は集中するあまり、声を出してしまい、周囲から変に思われることもあったかもしれないが、構わなかった。
今は幸いなことに非人間的な満員電車に詰め込まれなくてすむ生活を送っている。それが自分の心と体を傷めていた長年のストレスを綺麗に解消してくれた。ゆっくり寝ることができ、毎日が快適である。ぐっすり眠ると、今日はどんな楽しい一日にしようか、と考える意欲も湧いてくる。
社会人になってからの楽しみは沖縄旅行だった。毎年、六月になると自分への誕生日プレゼントということで、沖縄へ遊びに行き、真っ青な海で日焼けした。誰にも何にも縛られない、のんびり気ままな一人旅だった。
沖縄に毎年行くようになったきっかけは、沖縄を舞台とした映画を観たことである。映画自体は陳腐だったが、景色は最高だった。日本国内にこういうところがあるのか、と驚いた。沖縄では国内なのに、海外にいるような感じがする。大阪よりも台湾の方が近いと知って不思議な感じがした。
旅行ではカメラは持たず、心に景色を写してきた。思い切って紅白の派手なアロハを購入した。日本ではアロハシャツにはカジュアルウェアのイメージがあるが、アロハの本場ハワイではフォーマルウェアとしても着用されているようである。そのようなオールマイティーな一着を持っていると何かと便利である。