中学生
中学生時代は男友達といる方が多かった。性格が男っぽいからかもしれないが、男子といる方が気楽だった。気軽に話し合えたし、何より楽だった。男っぽい性格のせいか、普段は自分のことを「詩夜葉」と言うが、興奮すると「俺」と言ってしまう。人に見せる強気な自分が「俺」である。これは今でも直っていない。
しかも流すことが苦手で、真正面からやり合ってしまうタイプだった。性格的に真正面から自分の意見を言うことしかできなかった。攻撃を受けたら、本能的にそれを跳ね返していた。自己の尊厳が脅かされるや、途端に頭に血が上り、無理にも正さないでは始まらなくなる。だから迂闊に戦いを挑んでくる者は痛烈なお返しを受けることを覚悟せねばならなかった。
上級生に対しても、苗字の後に「さん」付けする以外、ほとんどタメ口だった。鶏の群れには激しい上下関係があることは知っていたが、学校もある意味、鶏の群れであることに気付かなかった。後輩に対しても、「これはこうでね、ああなんだよ」と優しく言えばいいのに、ドスのきいた声で「ちゃんとしいや」という言い方をしてしまう。
横柄な態度のせいで嫌われ者になってしまったこともある。気付かないわけでもなく、気にならないわけでもなかった。それでも折れる気はなかった。
中学校では集団主義のみならず、管理教育まで徹底された。田舎の学校では校則で髪の毛や制服、靴下、靴、放課後の行動等、事細かに定められていた。そのような生徒を縛り付ける管理教育には、反発する気持ちが強く、頻繁に校則違反をしていた。権威に対し、それが権威というだけで従う気は皆無で、自分の倫理観と合致しなければ従うつもりはなかった。
また、教師から、していない悪事までしていると責められていた同級生を庇ったこともあった。腕組みした姿勢や腰に手を当てた姿勢という、どこか偉そうな格好をする癖があった上に、派手好きだったため、見た目は、怖そうな姉ちゃんに見えたかもしれない。
そのため保守的な教師から素行が悪い、不良とレッテルを貼られたこともある。何しろ学校と家を往復する以外の道順を知っている生徒は全て不良と決め付けるほど頭の固い教師だったから無理もない。
しかしヤンキーは大嫌いであった。喫煙、シンナー、暴力行為、バイクでの暴走行為、器物損壊行為の類は間違っても行わなかった。傷つけられない限り絶対に相手に牙を向けることはなく、人を傷つけることは断じてなかった。特に煙草は歌手を目指す以上、吸わないだけでなく、受動喫煙もできる限り避けていた。
人の物を壊したり、夜中にバカ騒ぎしたりすることは、元々誉められたものではない。「こんなこと、やってのけるのは、俺しかおらんだろう」と思って行う阿呆もいる。しかし、そのようなことは恥ずかしいし、アホらしいし、やっても誰も誉めてくれないから、誰もやらないだけで、やること自体が難しいわけではない。たとえ面白おかしことだとしても、それは自分を辱めることでしかない。その辺を完全に見誤っている。
とはいえ法律や条令を盾に、厳格に取り締まったり補導したりするのは窮屈であり、反感を覚える。公道で大道芸が出来るようにライセンスを発行するのも本末転倒な話である。ああいうものこそ、公の許可云々とは最も離れた所で行われるべきものである。「東京都から免許を受けた大道芸人」の去勢された芸は見たくない。
自由が原則で、それでは不都合が生じる場合に例外的に制限をかけるのが、本来の姿である。しかし権力を持った大人の話を聞くと、制限するのが原則であるかのような主張である。人間は権力を握ると酔ってしまう。詩夜葉も小さい世界では経験あるため、よく実感している。
学校でも音楽は好きだった。歌ったり、楽器を演奏したりするのは、たとえ皆と一緒でも楽しかった。中学では吹奏楽部に入った。運動が嫌いだったし、ジャージに着替えるのも嫌だったので、文化系から選んだ。吹奏楽部では詩夜葉同様、運動部の厳しい練習が嫌という消極的動機で入部した部員も少なくなかった。
最初はクラリネットをやって、それからサックスを担当した。自分の小柄な体、繊細な唇から、どうしてあんなに力強い音が出るのか不思議だった。しかし、途中で楽器を替えたことが示すように、あまり上達せず、吹けた曲は校歌くらいだった。音楽は好きでも団体行動はやはり苦手だった。