ばあちゃんのこと
前、書いた作品です。
いいタイミングかなと思いました。
僕は病院まで車を走らせる。
ばあちゃんの容体が急変して、予断の許さない状況となったからだ。
ばあちゃんは一年以上、病院に入院していた。
見舞いに行くと、いつもにこにこの笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい」と柔和に微笑むばあちゃんは、二言目めには「いえにかえりたい。いえにかえりたい」とばかりこぼす。
それが冗談なのか、どうかは分らない。
ばあちゃんは耳の聞こえが悪く、耳元で話しかけないと聞こえない。
なので、僕は自分から話しかけない。
それは物心ついた頃からずっと、恥ずかしかったのか、面倒くさかったのか分からないけど。
今思うと、勿体ない事をした。
若い頃の古い写真を見ると、それはべっぴんさん、可愛くて、年をとった今でも面影残るおばあちゃんに、もっと、いっぱい話しておくんだったと後悔した。
ばあちゃんは香港で暮らしていたこともあり、当時は裕福な生活をしていたらしい。
ハイカラな令嬢だったと母から聞いた。
そういえば、上品なおばあちゃんの笑顔が浮かぶ。
優しい笑顔、皆を和ませる笑顔がそこにある。
そんな、ばあちゃんの笑顔に、僕は思わず笑顔で頷き「元気になってね」と返す。
月日が経つにつれ、少しずつばあちゃんの具合は悪くなっていった。
亡くなる前、病院へ行った時には、笑顔が無くなっていた。
看病する母に「いたい。いたい」とこぼしていた。
寝ると呼吸が難しくなるそうで、ここ何日かはベッドを起こして座った状態で荒い呼吸をしていた。
そこで母が少しでも呼吸が楽になるようにと、酸素マスクを差し出すが頑なに嫌がった。
じいちゃんが病院で亡くなった時、酸素マスクをつけていたのを見ていたこともあり、元々の病院嫌い、さらに長い入院生活で拍車がかかったのだろう。
本当ならば病院のお世話にはなりたくはなかったのだろう。
およそ100年という時代を生きてきた者の頑くなまでの頑固な意地。
だが祖母の目は輝いている、生きるまで生きる!僕は生に対する強い執着を感じた。
母は溜息をつく、僕はいたたまれなくなって外に出た。
それから数日後、ばあちゃんは99歳で逝った。
病院の駐車場に着くと、看病をしていた母からそれを告げられ、僕は間に合わなかったと脱力した。
震える足で父と母そして僕、ばあちゃんが戦った病室へ向かう。
白い扉の向こうには、何も言わぬばあちゃんがいる。
祖母は静かにそこにいた。
母はそっと白い布をとる。
僕は思わず「はー」と息をついた。
顔は数日前のつらそうな表情ではなく、それは安らかな顔だった。
不謹慎だろうが、文句のつけようのない死に顔だ。
さらに僕は「はー」と息をつく。
その日、僕はばあちゃんに「また来る」と挨拶をして、みんなと別れた。
翌日、父や母の礼服いるものを携えて、通夜の行われる斎場へ向かった。
そこで、約束通り眠るばあちゃんにお別れの挨拶をした。
化粧をしてもらったおばあちゃんには、いつもの笑顔があった。
思わず、その顔に安心してしまう自分がいた。
そして(良かったね)なんてことを心の中で思ってしまった。
「ありがとう」
ばあちゃんに感謝の言葉を贈る。
僕はもう一度、ばあちゃんの安らかな顔を見た。
「ありがとうございます」
僕はもう一度、感謝の言葉を伝えた。
ありがとうございます。