【短編】異界の賢者は魔法国家を相手取る 〜銃じゃ魔法に敵わない? それなら魔法技術を機械に取り入れればいいじゃない!〜
──あ、これマズいわ。
そう思った瞬間には、全てが手遅れだった。
気が付けば青年は、見慣れぬ部屋の中に立っていた。
名はマイア・セレーネ。二十代の見た目をした赤髪の青年だが、実年齢はマイア自身も忘れている。
古くから王家に仕える魔法使いとして生き、その知恵をもって国家の危機を救ってきた。
故に彼は『賢者マイア』と呼ばれ、皆に慕われている存在だ。
今日もマイアは魔法の実験として、転移の術式を組み込んだ魔法陣を描いていた。
それが上手く発動したまでは良かったのだが、肝心の転移先を指定し忘れていたのである。
その結果──
「きゃああぁぁぁっ⁉︎ 誰よアンタっ!」
甲高い悲鳴が鳴り響くここは……そう、浴室だ。
マイアが転移した先では、今まさに見知らぬ人が一糸纏わぬ姿で入浴を楽しんでいたのである。
とにかくここは謝罪せねばなるまいと、マイアは急いで後ろを向いて口を開く。
「すまない! 転移の魔法を試していたんだが、うっかりこの浴室に飛んでしまったみたいなんだ。いや、本当にすまないと思っている!」
転移先を指定していなかったのは事実であるし、それをマイアがうっかり忘れてしまったのも真実だ。
けれども浴室の主は、マイアの謝罪に更なる怒りをあらわにする。
「転移の……魔法ですって⁉︎ アンタ、魔法使いなのね⁉︎」
「あ、ああ……。俺は【賢者】の称号を貰った魔法使いだが……」
「そうと決まれば……!」
ザバァッ! と、背後で相手が湯船から上がる音がした。
するとその人物は、湯で濡れた身体のまま、背後からマイアを羽交い締めにしてきたではないか。
相手の身体の感触が、服越しにリアルに伝わってくる。
「な、何をする気だ君は……!」
戸惑うマイアに、その人物──
──全裸でマイアに組みついてきた、筋骨隆々の男が叫んだ。
「魔法使いを見付けたら、即通報! この国に攻め入って悪さをするつもりなんでしょうけど、アタシの目が黒いうちは、そうはさせないわよぉ!」
次の瞬間、そのままマイアは背後から首を絞められ……意識を手放した。
*
マイアが目を覚ますと、そこにはマイアの顔を覗き込む少女の顔があった。
美しい黒髪に、透き通るような青い瞳。凛とした顔立ちをした美少女である。
「目を覚ましたようね」
「君、は……くはっ!」
ベッドに寝かされていたマイアが起き上がろうとすると、すかさず少女がマイアの首を押さえ付けた。
眉を八の字にしてゲホゲホと咳き込むマイアに、少女は悪びれる様子もない。
「捕虜の分際で、王女の許可も無くベッドから起き上がれると思わないことね?」
「ほ、捕虜……? この俺が、か?」
「貴方以外に誰が居るの? まあ、他の仲間の所在を吐くなら積極的にお願いするけれど」
彼女が王女?
そんなはずはない。
マイアが仕える王家というのは、世界統一国家を治めるマグノリア王家だ。その血筋を引く者の顔なら、マイアが何代も前から見知っている。
けれども王女と名乗った黒髪の少女に、マイアは全く覚えが無い。そもそもマグノリア王族の髪は、月夜の雫を思わせる幻想的な銀色だ。この少女の特徴とは一致しない。
ならば、目の前の彼女は何者だ?
それに、捕虜というのはどういう事だ……?
「……貴方、自分の置かれている立場が分かっていないのね。敵国の王女の顔を見て、何か思うところは無いのかしら?」
「……綺麗な子だなぁ、とか?」
「髪の毛全部むしり取るわよ?」
「冗談じゃなく、本気でそう思っただけなんだがなぁ……」
呆れる王女は、背後に控えていた男に声をかける。
「お呼びですか、ソウ王女」
ベッドの側へと近付いてきたその男は、正規軍と思わしき制服に身を包んだ大男だった。
そのうえ、マイアはその顔に覚えがあった。何故ならその男は、マイアが浴室で鉢合わせしたあの男だったからだ。
「君は、もしかしてさっきの……!」
「……さっきどころじゃないわよ。アタシがアンタをお風呂場で気絶させてから、二日も経ってるわ」
「あれから二日も……?」
「彼はラジアン将軍。私と共にこの戦地に陣を張る、勇猛な軍人よ。貴方は転移魔法でこのクスノキ将軍の自宅に転移し、浴室で拘束。そのまま薬を注射して、捕虜としてここへ送り届けてもらったの」
ソウ王女と呼ばれた少女の言葉を信じるならば、あの時浴室で出会った彼は将軍なのだろう。
そうして何故だかマイアは拘束され、捕虜としてどこかの戦場の天幕に移送されてしまったらしい。
「そして貴方の事は……これから有効的に利用させてもらうわ。発動条件の厳しい転移魔法。それを行使出来る人材を失うのは、敵国マゴスも惜しいでしょう」
「……つまり、王女様は俺を何らかの交渉材料にしたいと言うんだな?」
「ええ。貴方の身柄を引き渡す代わりに、第二魔法障壁の解除を要求するわ。そうする事で我が軍は、リナ平野全域を支配下に置く事が可能にな──」
「それは無理だな。だって俺、そのマゴスとかいう国の人間じゃないからな」
「なん……ですって……?」
マイアの言葉に遮られ、目を見開くソウ王女。彼女のすぐ後ろで、クスノキ将軍も信じられないという目を向けて来る。
「俺は聖マグノリア統一王国の国民だ。俺の知る世界にマゴスなんて国は無い。それに、君のような愛らしいお姫様も知らない。……どうやら俺は、転移魔法で全く別の世界に転移してしまったらしいな」
そうとしか考えられない情報はいくつかあった。
まず、魔法陣で転移した先で見た浴室。
湯を張った桶の中で人が入浴していたから、そこが浴室だというのは理解出来た。
だが、壁に取り付けられた奇妙な管や、複数並べられたカラフルなボトルの材質。浴槽の材質だって、マイアのよく知るものとは異なっていた。
次に、王女と将軍の纏う衣服の違い。
マイアの暮らす聖マグノリア統一王国では見られない、一枚の布を巻き付けたような服装。そして、ソウの頭上を飾る髪飾り。
ティアラでもなく、バレッタでもない。細い棒に花飾りのようなものが付いていて、王女が動く度にシャラシャラと音を立てて、細かな飾り揺れるのだ。
マイアが見慣れない服装ということは、彼の知らない文化圏の人物である事が窺える。
そして最後の一つが、ソウ王女とその敵国だ。
ソウ王女という人物は、マグノリアに居ない。マゴスという国も、統一王国が存在する以上は実在するはずがない。
──ならば、マイアが全く異なる世界に渡ってしまったとしたら?
……そう考えれば、全ての謎に説明がつく。
マイアの中で一つの結論が出た直後、ソウ王女が初めて声を荒げた。
「ふざけた事を言わないでッ‼︎」
「…………っ!
見れば、ソウはこれまでに無い剣幕でマイアを見下ろしている。
「この世界の人間じゃない……? そんな幼稚な嘘で、このソウ・ツクヨミを騙し通せると思っているのかしら⁉︎」
「俺は、そんな無意味な嘘はつかない」
「それこそ嘘だわ! 魔法使いは性根の腐った嘘付きばっかりよ! そのせいで、私はッ……」
グッと奥歯を噛み締め、何かを堪えるソウ。
クスノキも何か知っているのか、眉間に皺を寄せて黙り込んでいた。
しかしソウは、気持ちを切り替えるように頭を左右に振った。彼女の頭上で、異国の髪飾りが音を立てる。
「……いいわ。それなら試してあげる」
先程までの取り乱した様子から一変して、無表情に唇を動かす王女。
「貴方が本当にマゴスの手の者でないと言うのなら、この先を塞ぐ第二魔法障壁を解除なさい。それが出来なければ──即座に貴方を射殺するわ」
そう言って、ソウは懐から金属の塊を取り出す。
「火薬の臭い……それは何かの武器か?」
「銃よ。見た事も無いの?」
「小型化されているけれど、王女殿下の所持する銃は軍の中でも一級品の威力を誇るわ。少しでも妙な動きをすれば、アタシも殿下も容赦しないわよ」
「銃……か」
銃。話には聞いた事がある。
マグノリア王家が世界を統べる以前、火薬を利用した武器がよく使用されていたという。
当時もマイアは生きていたが、魔法にしか興味が無かったので、よく知ろうともしていなかった。
今では誰もが魔法を使える世の中になった為、大きな博物館にでも行かなければお目にかかれない骨董品。それがマイアにとっての『銃』という印象だ。
「さあ、時間は有限よ。起きなさい、下賎な魔法使い」
王女の命令を受け、マイアはゆっくりと上体を起こす。
そのままマイアはクスノキ将軍に連れられ、ソウ王女と共に天幕を出た。
*
少し雲は出ているものの、青空に恵まれたリナ平野。
そこに設置された天幕から出ると、マイアの視線の遥か先に、もう一つの陣営が見えた。
二つの陣営の狭間には、青白い半透明の壁。あれが魔力で編まれた壁──王女の言う第二魔法障壁というものなのだろう。
「王女様、あの壁をどうにかすればいいんだな?」
「やれるものならね。私の率いる軍ですら歯が立たなかったアレを、貴方一人でどうにか出来るのか……じっくり見物させて頂くわ」
するとソウは、側に用意させた簡易式の椅子に腰を下ろして脚を組む。
余裕そうにくつろいでいるように見える彼女だが、怪しい動きを見せれば即座に銃を撃つつもりだろう。鋭い視線がマイアに注がれていた。
そこでマイアは、自分が逃げ出さないように控えているクスノキ将軍にこう訊ねた。
「なあ、将軍殿。銃っていうのは、確か金属の弾を込めて敵に発射する武器なんだろう?」
「え、ええ。そうだけど……それがどうしたってのよぉ?」
「イイコト思い付いたもんだから、ちょっくら実験してみようと思ってね」
「実験ですってぇ?」
マイアは続いて、クスノキに『ある道具』を用意してもらうよう耳打ちした。
それを聞いたクスノキは首を捻っていたが、マイアはどうにかその頼みを受け入れてもらう事に成功する。
それからしばらくして、マイアの準備が整った。
クスノキの手には、マイアが『ある道具』を使って細工をした銃が握られている。ここから魔法障壁まで届く、狙撃型の銃だった。
それを構えたクスノキに、マイアは目で合図を送る。
これが失敗すれば、マゴス帝国はこちらが挑発を仕掛けたと判断するだろう。
即ち、マイアはその時点で射殺される。
──そして遂に、クスノキが動いた。
クスノキの銃から放たれた弾丸は、帝国の魔法障壁へと突き進んでいく。
これまでどんな兵器による攻撃をも防ぎきった障壁に、賢者マイアが施した『知恵』が通用するのか……?
「……何の、変化も無いわね」
どこか残念そうに呟いたソウの声。
少女が静かに愛銃へと手を伸ばした、次の瞬間。
「え……?」
銃弾は確かに、魔法障壁に届いていた。
けれどもその衝撃が伝わりきるには、あまりにも障壁が大きすぎたのだ。
クスノキが狙ったある一点から、青白い魔力の壁にピシピシとヒビが拡がっていく。薄いガラス板を叩き割ったように、無数の白い稲妻が走っている。
最後に一際大きな破壊音を響かせて、リナ平野を分断していた第二魔法障壁はガラガラと崩れ落ち、壊れた壁は霧散していく。
「どうでしょうか、お姫様? ご満足頂けました?」
「あ、貴方……いったい、あの魔法障壁をどうやって……?」
「簡単な事ですよ」
言いながら、マイアは手にしていた『ある道具』をソウ王女に見せ付けた。
「クスノキ将軍に撃って頂いた弾に、鑿と槌で刻印を施したのですよ。簡単な障壁なら一撃で貫くような、魔法刻印をね?」
「魔法、刻印……?」
弾丸にマイアの『知恵』を凝らすのに少々時間がかかったが、元々手先は器用な方だ。
形を変えた事で、弾丸の軌道を逸らさないように補助をする風の刻印と、障壁破りの刻印をそれぞれ刻み込んだのである。
戸惑うソウに、マイアは更に続けてこう告げた。
「あの程度の障壁なら、俺の魔法でも対処は出来たんですがね? でも王女様ったら、俺が気絶している間に魔法封じの首輪をはめさせてたんでしょう?」
確かにマイアの首には、特殊な金属で作った魔封じの首輪が着けられていた。
マイアの実力なら無理にでも壊すだけの魔力があるが、ここで反抗してしまっては、彼女の信用を得られない。
故にマイアは、魔法無しでこの場を突破しようと思い至ったのだ。
「……思いのほか、頭のよく回る魔法使いだったようね」
「お褒めに預かり光栄です、ソウ王女」
ソウは椅子から立ち上がり、マイアを見上げた。
「……そういえば貴方、名前を聞いていなかったわね」
「マイア・セレーネ。賢者マイアとでも、好きにお呼び下さい?」
「マイア、ね。……貴方の働き、気に入ったわ」
するとソウは、後方に控えていた軍団へと振り返る。
彼女は天に向かって銃を撃ち鳴らし、高らかに宣言する。
「我らの新たな参謀、マイア・セレーネの活躍により、第二魔法障壁の破壊は成った! これより我が軍勢は、リナ平野攻略に着手する!」
ソウの言葉に、空気がざわつく。
けれどもソウは臆する事なく、堂々と続けて叫ぶ。
「第一陣、第二陣、進軍を開始せよ! 悪しき帝国に、我らツクヨミ王国の銃弾の雨を降らせる時よ‼︎」
麗しき王女の号令に、兵士達が雄叫びを上げた。
*
障壁が破壊されたのは想定外だった帝国は、慌てて兵を撤退させた。
帝国が退き、静けさを取り戻した平原。マイアがそれを横目に見ていると、ソウが静かに歩み寄って来る。
「……いきなりあんな事を言ってしまって、ごめんなさい」
「急にどうしたんです? 王女様は、軍を預かる者として当然の事をしたまででしょうに」
「それはそうだけれど……。貴方の言っていた話、信じてみても良いのかもと思って……」
「俺が、別の世界から来たって話を?」
「ええ、そう。もしもそうでないのなら、私がとっくに貴方を殺していてもおかしくないのだから」
二人で並んで、平野を眺める。
少し前まで、大きな壁があった場所だ。
ソウは、少し穏やかな声音でマイアに言う。
「……私はね、絶対に帝国には負けられないの。──いいえ、勝つしかないのよ。そして今日、その野望を果たす為には、貴方が必要なのだと思い知らされたわ」
少女の青い瞳が、マイアを見上げる。
「貴方を正式に、私の参謀として雇いたい。貴方が魔法使いだというのを責める者が居れば、私が黙らせる。例え、どんな手を使ってでもね」
「……それだけ君の国では、魔法使いは禁忌の存在という訳か」
「そうなるわ。だけど、私は貴方が魔法使いだから雇う訳ではない。いつ殺されてもおかしくない状況下で、平然と受け答え出来る度胸。そして、この国の誰にもなし得なかった偉業を達成したその知恵を、私に貸して頂戴」
そう言って、マイアに手を差し出すソウ。
少女のその願いは、単なる平和の為ではないのだろう。
しかし、その野望はどこまでも真っ直ぐで、曇りが無い。
いつだったか、彼女と同じ眼をした人が居た。
また一から始めてみるのも面白そうだ。自然と、そう思えた。
マイアはニヤリと笑うと、ソウの手を取って頷いた。
「ええ、喜んで。ですがお姫様、賢者の知恵をご所望とあらば、少々高くつきますよ?」
「構わないわ。ツクヨミ王国がこの戦争に勝利した暁には、貴方の名前を付けた領地を与えると約束しましょう」
固く握られた手は、民の命を背負うには小さすぎるけれど。
いつの日か元の世界へ帰るかもしれないが……その志の向かう先を隣で見られるのならば、異界の参謀となるのも悪くない。