姫君について~ノエンナ領の話
※この作品は裏に置いてあった『ノエンナ領について』を大幅改稿したものです。
あるところに魅力的な笑顔で“姫君”と称され、愛される令嬢がいました。
容姿が飛び抜けて優れているわけではないのですが、ひとたび微笑えば見る者を虜にし、またたき微笑えば争いも止まります。とっても気分屋で、うんざりするほど飽きっぽく、したたかにわがままなのに、ここぞとばかりに振りまく愛嬌に周囲はつい気を許してしまいます。
きらきらとした彼女のまっすぐな瞳には抗いがたい魅力がありました。
領主の娘であった姫君には三人の婚約者候補がいました。いずれも古くから領主を支えてくれる有力貴族の跡継ぎです。しかし、彼らは姫君を取り合ってなにかとつまらない諍いを起こし、いずれは協力して領地を守るべき貴族だという自覚がまったくありません。
いつまでも飽きることなく争いを続けて。
ついに見かねた姫君は、嘆き悲しんで言いました。
「私と結婚するのはきっと、私よりお金持ちか、私より頭の良い人ね」
それを聞いた三人は蒼白になりました。彼らの家は、領主に対して財力では敵いません。のみならず、成長とともにますます笑顔が魅力的になっていた姫君は周辺の大貴族からも求愛されるようになっていて、各地の土地を彼女名義にしてもらったり、そこに別荘を建ててもらったりしていました。個人としても敵いません。
姫君を巡って争っていた彼らにとって、姫君に失望されることはなによりの恐怖でした。
彼らは失った時間と失いかけている信頼を取り戻す勢いで勉学に打ちこみました。領主の娘は領地の内情に深い関心を示していたので、彼女の気を引きたい一心で家業を知ることから始めました。今まで家を継ぐことや領地のことなど考えたこともなかったのに、見違えるほど真面目になった姿は周囲を驚かせるほどのものでした。
姫君はとても喜びました。
「ようやく話し相手になってくれて嬉しいわ」
まばゆいばかりの笑顔は、流行りの髪留めを贈っても気の利いた口説き文句を捧げても得られなかったものでした。きっと別荘を建ててあげたとしても同じだったでしょう。
しかし、三人は相変わらず姫君を巡って争っていました。姫君が三人のうち誰かを褒めていると躍起になって張り合って。どうしても彼女の一番になりたくて。
争って。争って。争って。
一人は領地の勉強に専念して、いずれ領主となる姫君の弟に助言出来るまでの知識を得、経験を積みました。領内で不満がくすぶることがあれば、領主に代わってそれを鎮めるのも彼の役目です。
一人はひたすら仕官の道を目指し、軍務宮の宮長補佐官にまで昇り詰めました。これは小領地出身の貴族としては異例の大出世です。彼は王城で地位を固めることによって、領地に危害を及ぼす可能性のある貴族に目を光らせました。
最後の一人は勉学や鍛錬の質においては二人に及ばず、遊び人気質がどうしても抜けませんでしたが、領地を股にかけた交流で特殊な人脈を形成し、折衝役として不可欠の存在となりました。
彼は家の格が低いために上位の夜会には出席出来ませんでしたが、おしゃべりな貴婦人や情報通の商人と親密になれるのはかしこまった場とは限りません。そうやって得られる情報は数をすり合わせば思った以上に洗練されていて、時には姫君の弟が夜会で繰り広げてきた腹の探り合いの真実を暴く力を持っていました。
姫君はもう、彼らの争いを止めることはありませんでした。むしろ煽るように、たきつけるように――。
そしてある時、彼らはふと気がつきました。
争っていたつもりが、いつしか互いを励みにしていたということを。
領主ハスニカ家を支える有力貴族シャスティ家、レンブラン家、アズライト家。
いずれが欠けても、大貴族の支配する領地に取り囲まれた小さな領地を守ることは困難でした。今の彼らならノエンナ領がどうやって生き抜いてきたかが分かります。圧倒的な力を持つ大貴族の干渉に対して、それぞれに働きかけ、手を出そうとする領地があれば近隣の領地が邪魔をするように、あらゆる取引を持ちかけ知略の限りを尽くしていました。
そして、もう一つのことに気がつきました。
姫君を取り合って互いに牽制していた彼らの姿はまるでその縮図ではありませんか。
違いがあるとすれば、周囲の領地はノエンナ領を巡って反目していましたが、自分たちはノエンナ領を守るという共通認識のもと、姫君を巡って手を組むことが出来ました。
姫君を手に入れるための努力は、彼らが手に入れた地位や権力や領民から頼りにされる自信によって、次第に領地を守るという目的のために変化していったのです。
ようやく気がついた時、姫君が見せた憎らしくも愛らしい“してやったり”という笑顔を彼らは一生忘れることはないでしょう。
三人は互いを認め合うようになりました。
姫君は嬉しそうです。彼らを利用し、誘惑し、意のままに操った事実は変わりませんが、誰も恨みには思いません。彼らはすでに、姫君の本当の気持ちを理解する賢さを身につけていたからです。姫君の弟も輪に加わり、領地は平和に守られました。
――これまでも、きっとこれからも。
【終】