[四 森都] がっかりされた
「おい、モリトー。近くを通ったんなら、声くらい掛けてけよ」
「ああ、塩貝さん。ごめんなさい」
森都は、塩貝源都に声を突然かけられ、驚きながらも謝った。
「どうした。元気ないな、モリトー」
フルネームが森都。気心知れている人は、都のことを『モリト』と呼ぶ。それは学生の頃からで、呼ばれ慣れている。
塩貝源都は、職場で都をモリトと呼ぶ者の一人だった。もう還暦を過ぎているが、今もバリバリのプログラマーである。管理職につかず、独立もせず。ずっといちプログラマーとして活躍をしていた。
「そりゃやる気なくしちゃいますよ。あんだけのクレームを見たら」
「あのなあ。そんなので一々やる気をなくしていたら、この先やっていけないぞ」
「とは言ってもですよ、塩貝さん。宛名こそ当然ないですけど、内容としては、ピンポイントでわたし向けのクレームばっかりでしたよ」
次作のために、苦情にも目を通しておこう、と思ったのが悪かった。スキルに対する苦情の内、そのほとんどは都が担当したスキルだった。
そして、苦情のほとんどは、男性プレイヤーからだった。女性からの苦情が少ないのは、身体能力の差異を考慮して、いくらか優遇したからだろう。
結果、男性らしい口汚い文面ばかりの苦情を、沢山頂いた。
「なに、どれくらい着てたの」
「プレイヤーからは二百通くらいですかね。そのうちの半分以上は、わたし宛ですよ」
「どうせ同じ奴が何件も送って、勝手に騒いでるだけだろ」
「そうだったら良かったんですけどね」
都は、大きくを溜息をついた。
確かに、同じ人が何件が送っているケースもあるが、少数派だった。
「そう落ち込むな。なあ? 今度牛丼奢ってやるから」
「嫌です。それを食べると仕事が増えそうなので」
「さすがモリトー。よく分かってるな」
「はー。誰も本気でわたしを心配しては、くれないのねー」
「心配してくれる相手を見つけて、とっとと結婚しろ。俺が生きてる間にな」
「塩貝さんが剥げきる前には、相手を見つけたいと思います」
「やめろ。ハゲるフラグを立てるな。ハゲるケースを作るな」
「ケースハゲ、ですね」
「例外仕込むぞ、こら」
「そんな脅しは、もっと偉い人にやって下さいよ。わたしは、ただの下っ端社員ですよ」
また溜息が出た。
「おう、風で思い出した。次作で気圧制御が導入されるから、風のスキルを試験導入しておけよな」
気圧を制御することで、任意の場所に風を生み出そう、という装置だった。
初代ロールクエストでは、システムを通しては見えない送風機や映像演出で、風が吹いたように見せていた。
気圧制御を加えることで、より自然な風を演出することができる。
「え、本当ですか。今度体験しに行ってもいいですか?」
「いいぞ。セーフティバンドをつけてればな」
「結構危ないんですか?」
「生身だと、ちょっと耳がやられそうになるな。人によっては頭痛や吐き気もあるだろうし、セーフティバンドは必要だ」
「わかりました。スキル担当が続くようでしたら、体験しに行きます」
「ま、あんま重く考えるなよ。どうせ増えるから」
「はぁ」
何が増えるのか。塩貝がよくわからないことを言うのは、今に始まったことではない。曖昧な返事で放っておく。
苦情に関しては、考えないわけにはいかなかった。プレイヤーの怨念のような苦情は、鋭い刃となり、都の心に突き刺さっていた。メンタルが弱いと言われれば、その通りだった。
世には有名人がいっぱいいる。芸能人や俳優がそうだし、自分を映像で配信している人も数えきれない。ロールクエストに参加したプレイヤーもそうだ。
そういった有名人は、日頃から苦情や悪口、批判を受けたりしているのだろう。何をしたって、どんだけ善良なことをしようと、反発や嫌う人は存在する。
その反発にめげず、あるいは気にもせずに活躍している人が、さらに名を売って、人気や実績を得ていくのか。
都には、そんなことが出来る気がしなかった。打たれればへこむ。へこめば心が痛い。痛ければ嫌になる。
発見した不具合内容の説明を開発者にした帰りだった。文章で意図が伝わらず、口頭で認識のズレを詰める。珍しいことではなかった。
ロールクエスト1では、不具合は多く出ていた。
テストで発生しない不具合は、まだいい。いや、良くはないが、想定内だ。
問題はデグレードだった。直したはずの不具合が、リリース後に発生する。あらゆる意味で最悪だった。自分で作った箇所でなくとも問題提議され、再発防止策として、チェック項目が増えたりと、とばっちりに苦しめられる。
例えば、優勝パーティの華道遊々が使っていた【遊び足りないよ】というスキルがある。友好度の高い味方の疲労が募り、自身の体力が回復する、というスキル効果だ。これはデグレードした障害だった。友好度の高い味方を参照する際、必ずパーティリーダーを参照してしまっていた。
華道遊々が所属するパーティに関しては、実際に友好度が一番高かったのはリーダーだったから気付かなかったが、他のパーティではごまかせなかった。翌日、開発部長直々にお説教があったらしい。都が所属する運用部でも、チェックが甘いと問題視された。
「課長、報告会が終わりましたよ。これ、課長に渡しておけって言われました」
「で、ミステリーの方の進捗はどうだ?」
「受け入れ中です。リハーサルの準備も勧めていますが。……課長。ちゃんと進捗報告見てます?」
「見てるよ。タイトルだけ」
それは、見ていると言えるのでしょうか。
「ロールクエストの二作目の開発が、着々と進んでいるようですが、わたしは何をすることになるのでしょうか?」
「一作目と変わらないぞ。量は増えるが」
「え、な、な、なんで増えるんですか。苦情がいっぱい着ているのは、平手課長もご存知でしょう?」
「見るなって言っただろうに」
「見ますよ。いくら会社としての作品だって言っても、自分が密接に関わっている箇所の話なんですから」
「みんなモリトーを評価してるの。だから、増えるの」
「でも、あんだけ批判されているんですよ」
「そんなに納得がいかないなら、一番モリトーを推してくれてる方がいるから、直接伺ってみなさい」
課長はそう言って、都の後方に頭を下げた。
うしろを振り返ってみる。
「社長」
「やあ」
そこには博雄社長が立っていた。すぐ後ろには、秘書もいる。
この社長、神出鬼没に出現する。仕事中、気がつけば隣にいることも、何度かあった。いつ見られているかわからない。神出鬼没すぎて怖い。
「途中から聞いていた。苦情が多いから、自分はやるべきでない。そういう話かね?」
「え、ええ」
「多いといっても、プレイヤーからだろう?」
「そうですが」
「視聴者から多いのであれば、検討の余地はあるかもしれないが、プレイヤーからの苦情なんて、真に受ける必要はない」
「ですが、苦情は苦情なのでは」
代表取締役でもあるので、社内では一番偉い人だ。自然と緊張してしまう。悪い印象を持たれたくはない。
「ではなにかね。苦情じゃない便りだったらいいのかね。称賛されるような」
「はい。いいと思います」
「では、要望がいっぱいきたら?」
「応えるべきと思います」
それが求められているのならば、開発の側に立つものとして、期待に応えるべきだ。模範解答をできた、と都は思った。
見れば、社長は悲しそうな表情をしていた。
「平手君、ちゃんと教育しておきたまえ」
「はっ」
言って、社長は去ってしまった。良いことを言ったつもりだったが、お気に召された様子はない。
秘書が残っていた。
「社長は、森さんの成果を評価されておりました」
「はぁ」
秘書なら、いくらか話しやすい。歳もそんなに離れていないだろう。
それにしても、なんで自分の名前を知っているのだろう。社員カードを見たのか、と首にぶら下がっている自分の社員カードを見たが、裏返っていて都の名前を確認できなかった。覚えられていた、ということだ。
「一度、配信を見直されてはいかがでしょうか」
言った秘書はお辞儀をすると、博雄社長を追っていった。
実際の配信は見ていない。ロールクエスト開催中も、フィールド保全の仕事があったので、姿を消してずっと現場にいたのだ。フロートムーバーで駆けずり回っていた。
一度も観ていないが、また観るのか。そういう気持ちがある。
「モリトー。さっきの社長からの質問の、君の答えについてだがな」
「はい」
「間違えている」
えええ。
「なぜですか?」
「利用者の意見を全て取り入れれば、良いものが開発できるのか?」
「できると思います。それが求められているのですから」
「じゃあ、相反する二つの要望があったら? 例えば美杉長政だったか? のスキルを、素晴らしい、と評価する人と、まるで駄目だ、という人がいたら?」
「それは」
「参考にするのは良い。こういう人がいる。ああいう人がいる。なら、こうすればどうだろうか。そんな具合にな。だが、影響されてはいけない。我々は、求められているもの以上のものを、開発しなくてはいけない。そのためには、ユーザーと同じ目線ではいけないって話だよ。もちろん、中には素晴らしい意見もあるだろうが、極少数だ」
「わかるような、わからないような、です」
「苦情も、称賛も要望も、内容は違うし、貴重ではあるが、皆ひとつのデータだ。そうだろう?」
「はい」
「そのデータに対して、悪意や好意などの感情まで感じる必要はない。モリトーが今感じている一番の問題は、多分それだろう?」
「あ~」
言葉では理解できないが、感覚では、なんとなく腹に落ちた気がする。
そうだ。苦情を通して、不特定多数から嫌われているような気がしていたのだ。嫌われないために、望まれることをしなくてはいけない。そう思っていた。
「モリトーのことを救世主のように思っていただろうから、さっきの問答でがっかりされただろうな、社長は」
救世主。何も助けた記憶がない。
「大げさですね」
「そんなことはない。危うく盛り下がったエンディングを迎えそうだったのだし」
「そうですか」
どんな反応をしたらいいか、よくわからない。褒められているのだろうが、理由を理解できていないので、実感が全く湧かないのだ。
「それに、レビューもしているのだから、スキルに問題があったとしても、モリトー個人の責任ではなく、私達運用部全体の責任なのだよ。それとも、私達全員に落ち込めと言っているのか?」
「いえ、そんなことは。わかりました。もう大丈夫です」
「なら、失った信頼を取り戻すため、精を出すことだ」
「はい」
小走りで自分の机に戻った。据え置き型のアイシステムを起動する。映像が眼の前の空間に浮かび上がってくる。
まず、ロールクエスト2のシナリオを、読み込んで見る。各種仕様も、落とし込んでおく必要があった。やるとなれば、準備は膨大だ。
人によって身体能力に差はあるので、やはりスキルでバランスを取りたかった。それがスキル考案の指針でもある。そのバランスが想定通りだったか。配信を観ながら、確認してもいい。秘書の言葉の真意も分かるかもしれない。
ロールミステリーの作業もある。やることだらけだ。それでも、何か充実した気持ちを感じている。
にわかに、やる気に火がついてきた。