[二五 博雄道三] 純朴ですから
「やあ、どうも。お疲れ様です。常磐君、お茶と菓子を頼む。いや、天津さんは、ジュースの方がいいですかな?」
部屋に入るなり、社長は声をかけた。天津はにこやかな表情だが、和久井は少し硬い笑みだ。その様子を見て、和久井の意に沿わない話なのかもしれない、と道三は思った。
「いいえ、お構いなく。すぐ終わる話ですので、少しだけお時間を下さい」
そう言って、天津は可愛らしくお辞儀をした。
「さて、どのようなお話ですかな。悪い話でないと、いいのですが」
着座を促す。やはり天津は、ニコニコとしていた。これほどの天津の笑顔は、面と向かっては初めて見る。
「視界データを提供します。きっと、お気に入り頂けます」
なんの視界データか。
続けてマネージャーの和久井が前のめりになり、口を開いた。
「私としては反対なのでございますが、天津の強い希望でして……。それで、視界データを提供するには、条件がございます」
特に望んだ記憶はないが、一方的に条件を突きつけられるという謎の状況だ。
まずは話を聞いてみることにする。
「なんですかな?」
「社長以外の第三者へ公開する場合、天津悶の視界だとわからないようにする。そうお約束願います」
外部に公開する場合、ではない。第三者へ、である。つまり、社内の関係者であっても知られるな。そう言われている。
道三にとっての悪い話では、どうやらなさそうだ。
「約束は出来ます。ですが、出来れば、ここにいる秘書だけは、ご容赦頂きたいのですが。他言無用できるな、常磐君?」
「はい、お約束いたします」
「口約束した視界データだけでご不安でしたら、書面でもサインしますが」
和久井がアイシステムは装用しているようなので、口約束で十分な契約となる。場合によっては、約束したという視界映像が、書面の契約より力を持つ。裁判で使われることもある強力な証拠能力があるのだ。
ここまで言うからには、第三者に見せたくなるような内容なのだろう。
しばし間があったが、和久井は納得したようだ。
和久井の許可を確認した天津が、視線を合わせてくる。空間が共有される。共有が終わると、映像が再生され始めた。
再生された視界は、美杉の後を尾行する映像だった。やがて、暴行事件の現場にたどり着いている。
一部始終、全ての出来事が映っていた。音声も聴こえる。
「これは」
決定的な証拠だ。美杉が集団暴行を受けた証拠であり、美杉が僅かな抵抗しか出来なかった証拠でもある。
「これで長政の……、美杉さんは悪くないって証明できますよね?」
「できるでしょうが」
なぜこの話を、道三に持ってきたのか。理由はいくつか推測できる。
和久井が釘を刺しているように、天津が関わっているとしたくない。それが一番だ。道三であれば、専門的なデータの取り扱いが可能だと期待したのだろう。
また、マスコミに直接データを渡すと、良さそうな内容であっても、どう転ぶかわからない。賭けのようなことはしたくないはずだ。その点、この件で困っている道三であれば、悪いようにはしない、という確信に近いものがあったはずだ。
もっと早く渡してくれれば、被害も少なかった。そんな恨み節も思い浮かんだが、言えるわけもなかった。
天津の意向が強く反映された行動だろう。だが、和久井の制止があったはずだ。その制止をどこかで、天津の気持ちが上回った。それが今。そう考えられた。
「天津さん。ありがたいです。有効に活用します。差し支えなければ、一つお聞きしたい。なぜ、視界データを提供して下さる気になりました?」
道三が訊くと、天津は腰に手をあて、片肩を僅かに突き出した。とびっきりの笑顔が、大輪の花のように咲き誇った。
「だってわたしは、純朴ですから」
意味がわからず、呆けそうになった。
どういうことだ。
天津が帰ると、映像を繰り返し、細部まで確認した。報復の一撃を入れている以外、問題はなさそうだ。この一撃は、すでに露見している。
音声があるので、華道遊々をかばっていることも、はっきり分かる。
素晴らしい。
この映像を、そのまま流出させない約束だった。第三者に見せられないので、部下任せにも出来ない。常磐に任せる作業でもない。自分で編集するしかない。
たまには実作業も悪くない。明るい未来の見える実作業だ。
「ときに、常磐君」
「はい」
「純朴ですから、の意味、なんだと思うかね?」
純朴という単語の意味は分かる。あのやり取りの中で、その反応だった理由が、理解できないのだ。同じ女の常磐なら、なにかわかるかもしれない。
「意味はございません」
では、なんだと言うのだ。ただの自己主張か。
「若い子の言うことは、時折よくわからんな」
「単純なことです。良いことがあったのですよ。きっと」
そんなものか。
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