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[二 天津悶] シラネエ

 学校は楽しい。少なくとも、楽しいような気がしている。

 みんなが笑顔を向けてくれる。悶も笑顔を返す。そうすることで、誰の視界にも、楽しそうな世界が映る。


 とあるニュースのテロップで、こんなことが書かれていた。真の監視社会。そう言われれば、確かにそうだった。アイシステムを装用している人が大勢いる。それは、そこにビデオカメラが存在するのと変わらないのだ。


 何か事件が起きても、目撃者がいれば、その視界データを解析できる。どんな犯人の顔で、誰がいつ、どこで、誰に何をしたか。何もかもが、目撃者の視界データから、あっという間に判明する。事件の解決は、難しくなくなるのだ。

 視界データがあれば、一般人であっても、その情報には信頼が持てる。視界データの改ざんは、よほどのプロでない限り、難しいらしいからだ。


 子役女優として、世間的に認知度の高い自分は、より強く監視されている。マネージャーの和久井が、そう言っていた。一挙手一投足が監視されているから、気をつけなさいと。嫌な時代になったものだ、とも。

 誰もが監視者であり、監視対象にもなりえるのだ。


 外にいる限り、本当の意味で、気を抜ける時間はない。安心出来るのは、家族とマネージャーだけ。そう思っていた方がいい。


 考えようによっては、仕事で役を演じている時の方が、気が休まるとも思えた。そこで撮られる自分は、天津悶ではあるが、本当の自分ではない。役になりきっているのだ。自分でない以上、いくら監視されようが気にはしない。それが仕事でもある。


 警戒しすぎても、仕方はなかった。開き直ればいい。どこにいても、人に恥じる行動を起こさない。演じてでもそうするよう、母からは言われていた。


「天津、放課後に遊ぼうぜ」

「ごめんね。今日も仕事で」

「またかよ。中学生なのに働いてばっかだな」

「うん、ごめんね。でも、誘ってくれて嬉しい」

「いいってことよ」


 忙しくなってからは、友達と遊ぶ時間は、ほとんどなくなっていた。仮に時間があっても、和久井から止められる。

 いつからか、プライベートでの異性との接触は、必要以上に心配され始めたのだ。煩わしくはあるが、反発するつもりはなかった。納得しているつもりである。


 学校を出ると、校門付近で車が待っていた。和久井が車内から手を振っている。手を振りながら近づき、悶も後部座席へ乗り込んだ。


「今日の学校は、どうでしたか、悶ちゃま?」

「楽しかったです。今日はプログラムのお勉強が、特に楽しかったの」

「それは、良かったですね。何も問題はありませんでしたか?」

「うん、つまんないくらいに」

「では、ずっとつまらない方が、きっといいですね」

「どうして?」

「悶ちゃまに何かあっては、わたしがお母様に叱られてしまいます」

「じゃ、つまらない方がいいね」

「そうでございますよ」


 自分に何か問題があれば、困る人は自分だけではない。事務所で働く人。一緒に働く人。契約している企業の人。みんなが困ってしまう。これまで散々注意されていた。

 それでも、何か思いもよらない出来事がおきて欲しい、とも期待していた。自分だけの胸がドキドキするような何か。それがおきてほしい。


 車が信号で止まった。窓の外を見ると、数人の警察官がフロートムーバーらしき機器を用い、空を移動していた。


「今日ね、学校にフロートムーバーを持ってきている人がいたの。怒られていたけど」

「おや、それはいけませんね」

「車も、いつかは飛ぶようになるのかな? 電車も」

「そうかもしれませんね」

「今って、警察とかしか、高くは飛べないじゃない?」

「そうですね。行政機関や限られた人だけでございますね」

「もっと、みんな自由に飛べたらいいのに」


 悶が言うと、和久井は含み笑いを漏らした。

 何が面白いのだろう。


「そうしたら、お空は大混乱に陥るかもしれませんね」

「どうしてですか?」

「お空には、道路も信号もございませんから」


 なるほど。


 信号が青になると、道に沿って車は進んでいく。


 和久井の運転は、優しい安全運転で、急ぎでも速度が変わらない。他の車は、次々と追い越していく。それを苛立たしく思ったことも、過去には数え切れない。


 そんな和久井でも、一度だけ、乱暴な運転になったことがある。事故に巻き込まれそうになった時だった。急な加速と減速を織り交ぜて衝突を避け、交通事故に巻き込まれるのを避けたのだった。それ以来、車の運転について、悶が何かを言うことはなくなった。


 ドゥエッジ社に到着すると、小さめの部屋に案内された。楽屋代わりである。

 放送内容の資料を渡されたので、それを頭に入れながら時間を過ごした。


 出演予定の放送が始まった。様子を映像で観覧し、雰囲気を取り込んでおく。


「大丈夫ですか、悶ちゃま」

「はい、大丈夫です。緊張もしてないよ」


 スタッフに呼ばれ、撮影に使われている会議室の外まできた。

 胸に手をあて、深呼吸を一つ。


 うん、問題ない。


「それでは、もう一人のゲストに登場して頂きましょう。この方です」


 スタッフに促され、室内に入っていった。拍手で迎えられた。現場の人数はそれほど多くない。


 悶は、美杉長政と華道遊々(かどうゆゆ)を見つけた。両足を揃え、腹部の前で手を組む。そして、折り目正しく頭を下げた。


「ノイアー、遊々ちゃん、お久しぶりです。映像秘書のモンです。またお会い出来て光栄です」

「モンちゃんだ」

「おう、モンか。誰が来るのかと思えば」


 二人は、最初こそ目を見開いていたが、すぐに懐かしむような視線をよこした。

 しかし、初対面だった。

 うまく騙せた。


「……んふふ。なーんて。改めまして。お初にお目にかかります。天津悶と申します。初めての気が、あまりしませんね。お二人のロールクエストのご活躍、とても楽しく観れました」


 胸の前で手を合わせて、挨拶をし直した。


 ロールクエストは、リアルタイムでは観る時間がなく、あとで見ただけだった。優勝パーティの映像は、移動中などの手透きの時間に観ておいた。だから、まるで一緒に旅をしたかのように、二人のことは知っている。


 二人は口を開けて呆けている。悶がピースサインをつくり、笑顔を見せて身体を揺らすと、ようやく時が動き出した。


「お、おう」

「ん、ほんとに? 本物? どれどれ」

「おい、遊々、遠慮を知れ」


 ベタベタ触ろうとする遊々を、長政が後ろ襟を掴んで制していた。


 促され、席に着く。司会者の隣に座った。続けて、長政、遊々と並んでいる。


「いやー、天津さん、本日はお忙しい中来て頂けて、本当に感謝しています。見て下さい。ディレクターも顔が緩みっぱなしですよ」

「こちらこそ、呼んで頂けて嬉しかったです。おかげでロールクエストの勇者に会えましたよ」

「勇者達の活躍、何が印象に残っていますか?」

「オークの集落です。あのオークの巨体を、盾で受け止めていましたよね。あのシーンがとっても痺れました」

「これはコアなシーンを選ばれましたね。ネット上では、最後のドラゴン戦が一番好評でしたが。それよりも、そんなところまでご覧になられていることに、私ちょっとびっくりしました」

「もちろん、ドラゴン戦も印象に残っています。すごい飛んでいましたよね。怖くなかったんですか?」


 司会者と反対側にいる二人に話を振ってみた。


「もちろん、怖い気持ちはありました。あれだけの高度でしたからね。ですが、公平と羽瑠が相当怖がっていましたから、逆に冷静になれました」


 イメージと違って、粗暴さがあまり感じられない。丁寧な受け答えだった。長政の印象を改める必要がありそうだ。


「あー、一枚さんと東雲さんですね。確かに怖がっていましたね。そうでもなさそうだった華道さんはどうでしたか?」


 司会者が遊々にも訊く。


「あたしは、楽しかったなあ。ふわふわしたり、ビューンってしたり」


 遊々が身振り手振りで、その時の様子を表現しようとしている。


 この人はイメージ通りだ。


 そのあとも途切れることなく話は弾んだ。司会者は、進行に慣れている人のようだ。悶がここまでは話せる、といった事情を、事前に伝えられているはずだった。その範囲内で、うまく話を広げ、場を盛り上げている。


 司会者と長政に挟まれる形なので、上半身を左右に振るようにして、それぞれの話を聞いた。首だけで反応すると、事務所の人間から小言を言われる。


 長政に隠れているので、遊々の顔は直接見えない。だが、撮影カメラの映像を、アイシステムで正面に表示させているので、遊々の表情もよくわかった。撮られる側でありながら、視聴者でもある。


 視聴者のコメントもあるはずだが、出演者は見ないことになっていた。コメントを拾うかどうかは、司会者任せらしい。


 長政が発言している最中、長政の顔を生で見続けた。

 美杉長政は、容貌だけで言えば、かっこいいとか言われる類ではない。芸能界の世界では、一流の人間が多くいて、容貌に優れた人も多く、枚挙にいとまがない。そういった人達と比べること自体が間違いだが、何か一番を探したい気持ちになっていた。


 声。髪型。眉毛。鼻筋。唇。顎のライン。喉仏。どこをどう見ても、これは一番だ、というものがない。

 なんだろう。何か思うところはあるのだが、胸の内でモヤモヤしており、それが形にならなかった。


 長政の隣にいる遊々は、これはもう、とんでもない容姿だった。羨ましい程に整えられたパーツばかりで、全身が恵まれている。気を抜くと見とれてしまいそうだった。

 数年後、今の遊々の年齢になった時、これほどの容姿に自分がなれているかというと、全く自信が持てない。

 悶が知っているどんな女性よりも、優れた容姿を持ち備えている。だが、充実した交友関係があるわけではなく、普段はゲーム三昧だ、と先程答えていた。


「それでは、ロールクエストの話題は最後になりますが、今日の話題で消化不良なことって、何かありますか?」


 特には、思い浮かばなかった。


「ねぇね、長政ちゃん。ツーはまだ? って訊いてよ」

「何ツーって」

「二作目。ロールクエスト2だよ」

「ああ、それか。んーっと、ロールクエスト2って、どうなってますか?」


 伝言ゲームのように、長政から訊かれた。

 伝言される前から全てが丸聞こえだったので、つい苦笑してしまった。


 新しくモーションキャプチャーはされたので、聞くまでもなく悶は、二作目の始動を知っている。しかし、守秘義務の契約があるので、知らないテイでいなくてはならない。


 悶は、司会者に顔を向けた。


「ロールクエスト2は、まだですか?」


 司会者も笑いを堪えきれないでいた。


「だ、そうですけれど、ディレクター、なんか聞いてますか?」


 ディレクターは、薄い笑みを浮かべながら、首を振るばかりだった。


「不明だそうです」


 伝言を戻すように、司会者から言われた。


 既に聞こえているだろうが、悶は身体を長政に向け、小声で伝えることにした。

 身体を寄せたその時、頭と頭がごっつんこと衝突した。お互いに痛い。


「あれ、お二人、大丈夫ですか」

「イタタ、いえ、俺は大丈夫です。それより、大丈夫ですか、天津さん?」


 天津さん、って違和感あるね。


「大丈夫です。それと、不明らしいです」

「了解です」


 これが使命とばかりに、長政に小声で伝え、小声で返事があった。

 こういうのは、ちょっと楽しい。出演中なことを忘れ、自然な笑みがこぼれた。


 長政が一つ、咳払いをした。そして遊々に向く。


「シラネエ」


 外国人が、覚えたての日本語を発するかのような、変な口調だった。

 司会者と一緒に吹き出した。


「あれえ、長政ちゃん、いきなり雑になってない?」

「んなことねーよ。端からここまで、一字一句変わってねーよ」

「えええ? 悶ちゃんも、シラネエ、って言ったの?」

「ああ、そうだよ」


 一呼吸置いてから、長政と遊々がこっちを向いた。


 えええ。どうしろと?


 反応を求められているのは分かる。何を言えばいいのかも、なんとなく察しがついた。だが、今、そんな言葉遣いをしても良いのか。

 チラっと和久井の姿を探した。微笑んでいるだけだ。自分で考えろ、とでも言いたいのかもしれない。


 やり取りには、間というものがある。考えている時間はなかった。


「シラネエ」


 結局言ってみたが、その瞬間、室内は笑いに包まれた。

 言ってから、後悔が押し寄せてきた。自分のキャラじゃなさすぎる。視聴者の反応が、おかしなことになっている気がする。顔が暑くなるのを感じてきた。赤面しているに違いない。いや赤面していた。メインカメラが悶を映し続けている。


 手の平で胸をトントンと叩き、落ち着きを取り戻すことに努めた。


 恥ずかしい。

 なんでノッてしまったのだろう。茶目っ気を出しただけのつもりだったのに。気がついたら、オチ要員になっていた。


 長政にジト目を向けると、遊々と一緒に小さなガッツポーズを作っていた。悪いことをしたって顔ではない。よくやった、とでも言いたげだ。


 二作目のことを訊かれても。絶対教えてあげないんだから。


 笑顔をつくり、内心では仕返しを誓った。


 その後は、ロールミステリーの宣伝だった。ロールミステリ-では、映像秘書のモンは登場しない。だから、悶にとっては、仕事に関係のない話だった。


「どうでしたか、悶ちゃま?」


 放送が終わり、楽屋代わりの小部屋に戻ると、和久井が訊いてきた。


「もう。あんな恥ずかしい思いをしたのは、久しぶりです」

「良い体験を出来ましたね」

「良くないです」

「笑いを知ることは、演技をする上でも、いいことでございますよ」

「ほんと?」

「ええ、そうですとも」

「じゃあ、勉強になったと思うことにします」


 でも一言、二人に何か、言ってやりたい。


 この遊び人ーーー。


 違う。


 見栄っ張りーーー。


 いや、悪口を言いたいわけではない。


 とりあえず顔を見れば、なにか言葉が出てくるはず。


「では、ご挨拶をして、引き上げましょうか」


 上着を着た。あまり物が入っていない鞄も持った。忘れ物はない。

 和久井は、まだ荷物の整理をしていた。


「じゃあ、今日の共演者さんに、ご挨拶してくるね」

「悶ちゃま、お若いお二人に対してでしたら、不要でございます。それと、一般の方です。むやみに接触しては、お母様に怒られてしまいますよ」


 さすが和久井。読まれている。挨拶だけと思っていない様子だった。


「おトイレに」

「悶ちゃま」


 咎めるような口調だ。見通されている。警戒が強い。


 和久井は優しいし、他の人と比べると自由にさせてくれるが、他人との接触については、厳しいところがある。特に一般人相手になると、途端に神経質になる。


 長政と遊々とは、プライベートでもう少し話してみたかったが、諦めるしかないのか。そう思うと、残念な気がした。


 悶は、唇を尖らせ、僅かな抵抗心を示した。




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