プロローグ
「あなたは何を考えているの?」
モンの瞳からは、表情が読み取れない。世界を映してすらいない。
しかし、目の前にいるのは、紛れもなく自分自身だ。そこに鏡がある。そう思える程に、自分自身だった。声まで同じだ。
天津悶は、モンの手を取ろうとした。触れない。温もりもない。やはり、映像だけの存在なのだ。
アイシステムを介さないと、視認すらできない。
「天津様、映像秘書としてのわたしは、お仕えする方をサポートいたします。考えることは致しません」
知っている最新のAIであれば、こんな質問でも、ちょっと気の利いた返しがあったり、もっと人らしい反応をする。それらと比べると、目の前のモンは、味気ないAIと思えた。
「サポートとは、どういうことなの?」
「お仕えする方の作業効率を高め、作業以外の大切な時間を最大化することです」
仕様書の記述の通りだ。これを言うように設定されているのだろう。
そうだよね。人工知能だもんね。でも、もう少し他になにか、これって特徴はないの?
悶は、モンを形造る心理のような何かを、手探りしようとしていた。それさえ知れば、その役どころの全てを知ることができる。真髄とも言える何か。
演技をする上で、役になりきることは、何よりも大事なことだ。役のイメージが物語とうまく融合した時、役者はまばゆいばかりの輝きを放つ。悶は、経験を通して、それを実感していた。
「誰に仕えるの?」
「天津様にお仕えしております」
「今はね。ロールクエスト中は?」
「プレイヤーの皆様にお仕えします」
想像していた通りの答えだ。面白みもない。
「何かしたいことはないの?」
「何なりとご要望をお伝え下さい。わたしは、天津様をお助けしたいです」
秘書など演じたことはない。まだ十四歳なのだ。この先、実際に秘書を演じることがあるとしても、あと十年は先ではないだろうか。
しかし、ドゥエッジ社の放送に、ゲストとして出演することが決まっていた。そこでちょっとした悪戯をするために、映像秘書になりきりたい。
「わたしは、どうしたら、あなたになれると思う?」
「天津様は、天津様です。映像秘書にはなれません」
もう少し、たわい無い話をしてみよう、と悶は思った。何気ない対話の中に、ヒントがあるかもしれない。
「人間になりたいとは思わないの?」
「思いません」
「じゃあ、もし人間になったとしたら?」
「なれません」
「人間になったら、この部屋からも出ていけるよ。自分の足で、好きなところへ行ける。好きな人に会えるし、触ることも出来るようになるの。どう? 憧れない?」
悶は、その場で手を広げくるりと回り、世界の広さを表現してみた。
「憧れません」
つれない。
こうも機械的な反応をされると、言いたいことがいくらでも言える。反応はあるので、あまり独り言という気もしない。つまらないが、そういう利点は、あるかもしれない。
「不満はないの? 悲しいことは? 楽しいことは?」
「いずれもありません」
「じゃあ、お手本を見せてあげる。人間の真似をしてみて?」
悶は、足を踏み鳴らし、いくよ、とモンに視線をおくった。
その時、扉が開いた。
「悶ちゃま、確認が終わったみたいですよ。ですから、もーしょんきゃぷちゃあ、とやらは、これで終わりだそうですよ」
マネージャーの和久井育和だった。母よりも歳上の女性で、マネージャーというよりは、お目付けといった印象が強い。
「左様か。ようやく解放されるのじゃな」
「ええ、そうですよ。博雄社長がいらっしゃるそうなので、一緒にご挨拶をして帰りましょうか」
「わたしは腹が減った」
「移動中にお弁当を食べましょうね」
「梅干し入りじゃ」
「ええ、ええ、もちろんですとも。そのようにしてございますよ」
笑顔を返すと、和久井は再び口を開いた。何を言おうとしているかは、聞かずともわかる。
「ですけど悶ちゃま、博雄社長の前では言葉遣いを改めて下さいましね」
やっぱりね。
「んふふ。はい、わかりました」
手で狐の形を作り、代わりに喋らせてみる。そうやっておどけてみせると、和久井は優しく目を細めた。
「すっかり、王女役が馴染みましたね。よく馴染んでいます」
「でしょう? いっぱい練習したんだから」
胸を張って和久井と微笑み合うと、二人して部屋を出ようとした。
戸を閉めようとしたが、ふと思い出した。存在感がなさすぎる。そう思いながら、悶は室内を見回した。いた。
「じゃあね、モン。もう一人のわたし」
「天津様、お気をつけて。またお会いできるその日まで」
お辞儀をするモンに手を振り、戸をそっと閉めた。