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「タツキ、いたいた。」ダイシがまだ両膝に手を突き、荒い呼吸を鎮めているタツキの肩を叩いた。「ああ、良かった。」
タツキはぶんぶんと激しく何度も肯いた。
「メタルのライブって初めてだけどさ、なんつうか、凄いのな。また来ような!」ダイシがそう満足げに笑う。
タツキは再び激しく肯いた。この思いを、言葉などというカテゴリーに押し込めたくはなかった。ただただ、この感動とも衝撃とも言うべき思いを大切にしたかった。
その時である。客席の端でざわめきが起こった。そこには、先程までステージの中央でがなり立てていたボーカリストがいた。まだ汗にまみれた髪を一つに束ね、客に笑顔で接している。一緒に写真を撮ったり、サインをしたりしている。
「あー! あの人!」タツキはその人の名も知らぬことを悔しく思った。
「あ、ヒロキさん!」
タツキはびくりとして振り返った。それが、この人の、名。
観客の男は、足早にあのボーカリストに歩み寄っていく。凝視する先では「ヒロキさん、お疲れ様でした。今日もマジで最高でした。」と語り掛けた。
「おいおい、結構気軽な感じなのな。もっとおっかねえ人なのかなって思った。」ダイシは小声でそう耳打ちした。
ヒロキ、と呼ばれたボーカリストはステージとは一変した優し気な笑みを浮かべながら、観客の言葉にしきりに肯いている。優し気な人だな、とタツキは思った。そうして引き寄せられるように、タツキは一歩一歩半ば茫然としながらヒロキに近付いて行った。
「今日はありがとうな。」真っ先に駆け付けた客に最後の一言を告げると、今度はその側にいたタツキを微笑みながら見下ろした。
「今日はありがとう。」
タツキはその人を前に身震いがした。自分の得た衝撃を何と伝えていいのか、また、伝えるべきなのかさえわからなかった。その戸惑いを察してか、ヒロキは優しく微笑んで、「若いね。いくつなの。」と問いかけた。
「じゅ……、十三です。」そう答えたのは、タツキではなく、ダイシであった。
「え、十三? 中学生?」
「そ、そうです。俺ら中学一年で。初めてこういう……、ライブハウスっていう所に来て、メタルっていうのを聴いたんです。」
「そりゃあ、嬉しいな! どうだった? デス声がなり立ててて、びっくりしたろ。」
タツキはダイシを押し退けて、「あの!」ほとんど怒鳴るようにして言った。「俺、あなたみたいになりたいんです。」そう、叫んだ。さすがにヒロキは目を丸くする。「あの、ただの思い付きとかじゃなくって、否、思い付きなんですが、でも、でも! こう見えても、俺、ピアノは三歳の頃からやってるから、弾けます。今度全国のコンクールにも出るんです。でもそうじゃなくって、あなたみたいに、なりたいんです!」
「お前何言ってんだよ。」ダイシは顔を赤くしてタツキの腕を引っ掴み、この場を離れようとした。しかしタツキは頑として動かない。
「へえ、凄ぇじゃん。ピアノ弾けたら、音楽理論とかもうわかってるだろうしなあ。いいなあ。」
「あの、でも、……そうじゃなくって、あなたみたいになりたいんです! ヒロキさんみたいに!」
ヒロキはこの珍客に目を瞬かせた。
しかしタツキは真剣な眼差しでヒロキを睨むように見据えていた。「嘘じゃありません。本気なんです。」
ヒロキはふと真顔に戻ると、「バンドマンに、なりてえってこと?」と訊ねた。
タツキは考え込んだ。「……よく、わからない。……でもステージに立って、あなたのような音を生み出したい。そうすると、俺みたいな奴等が救われるから。」
ヒロキはふっと微笑んだ。「ステージっていうのは、自分の生きざまの全てが出る。あそこでだけ取り繕おうったってそうはいかない。即、バレる。だから、日頃から全てを音楽に賭して、楽器を習得すんのに死ぬ気んなって練習して、そんで曲作るのに自分の身削りに削って、苦しさから一歩も背くことなく、むしろ真正面から向き合って作ってく。そういうことをちゃんと段階踏んでやれば、自然と音に説得力が出る。一音一音に必然的な思いが籠められるっていうのかな。そうすれば客は引き込める。救える、ってこともあるのかもしんねえ。」
「わ、かりました。」その覚悟のようなものの片鱗を教えられ、タツキは身を硬直させた。
「まあ、これから中学出て、高校出て、五年後ぐれえにそうやって生活できれば……。」
「高校には行きません。」タツキはきっぱりと告げた。
「え、マジで。」ダイシは思わず困惑の声を上げた。
「二年後。中学出たら、東京に行きます。そして今、あなたが言ったみたいに、音楽に全部、全部、賭けていきます。」
ヒロキは黙した。「……親は許すのか。」
「許したって許さなくたって、俺は俺の人生に責任を持ちたい。そして、今、その責任の持ち方がわかったんだ。だから、あなたのいる所に行きます。そして音楽やります。」
「……そうか。」少々面食らったようにヒロキは肯いた。「……でも、ただ出て来たって、金も家も無けりゃあ死んじまう。」
タツキは渋々、肯いた。
「……でも、まあ、もし本気で出て来る気があるんなら、」と言ってヒロキは突然踵を返し、受付の方に歩いてくると、暫くして一枚のフライヤーを持って戻って来た。ひらり、と裏面を返すとそこには何やら横文字の名前と電話番号、メールアドレスらしきものが記されていた。「これな、都内にあるライブハウス、俺が紹介してやる。俺が十代の頃からずっと出さしてもらってる、老舗のライブハウスなんだよ。店長もめちゃいい人でさ、俺はここで音楽のイロハを叩き込まれた。店長に話しておくから、本気でやりたきゃここで働けばいい。で、こっちが俺の連絡先。マジで出て来るんなら、二年後連絡くれ。」
タツキは暫くわなわなと顔を震わせていたが、やがてうわー、と歓声を上げながらその一枚のフライヤーを押し頂くようにして受け取った。
「うわー! うわー! やった、やった、やった!」タツキはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。「これで俺は家を出るぞ! 二年後だ! 見てろ! 見てろ!」
ヒロキは唖然としたようにその様を見詰めた。
「おい……。」
「何ですか?」
「お前、名前なんて言うの?」
「タツキです。」
「タツキ……。」
「『寄らば大樹の陰』の『樹』の漢字一字で、タツキ。」
「へえ、俺は広いにジュで、ヒロキ。」
「広い樹か。……寄らせて貰います! 俺タツキなんで!」
ヒロキは腹を抱えて笑い出した。