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STIGMATA  作者: maria
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 雲のない月夜であった。田舎の空は広い。上半分が空である。タツキは灯りさえほとんどない田舎道を真っ直ぐに進んだ。アオイは静かに眠っているようである。すると来る時に寄った神社が見え出した。

 「ああ、昼寄った神社だ。」タツキは誰へともなく呟いた。

 「きっとさ、あそこの神様、アオイちゃんのことが気に入ったんだよ。」レンが欠伸をしながら答える。

 「もしかすっと、親御さん奪っちまってごめんなっつうことかもしんねえな。」コウキもぼそりと答えた。

 「泥棒も神様の一派かもしんねえよ。もしかすっと。」

 「んな訳あるかよ。」

 「わかんねえよ。」

 一行はそんなことを口にしながら神社の前を通り過ぎていく。

 「ばいばい。」

 「は?」

 突如眠っているかに思えた、アオイがそう口走ったので四人の男たちは一斉にアオイを見た。しかしアオイはタオルケットの中ですやすやと眠っていた。

 「い、今バイバイつったよな。」アオイの隣でレンが恐る恐る眠っているアオイの顔を覗き込んだ。

「誰に?」コウキが助手席から後部座席に身を捻る。

「寝言だろ。ほら、寝てんだし。」ショウがしかし焦燥感たっぷりに言う。

「神様に、バイバイつって言ったんじゃねえの。」レンは窓の外を見遣った。

「あの絵に描いてあったろ? きっと子供にだけ見えてんだよ。トトロみてえに。」コウキがこっそり耳打ちするように言った。

「んなことあるかよ!」タツキはそう言ってハンドルを叩いた。「もうわかんねえ! 何もわかんねえ!」


 清子はテレビから流れてくる時代劇を、一つも頭に入らぬがまま眺めていた。そしてふと時計を見遣る。まだ食事を終えてから十分しか経っていないのか。アオイのいない一日は何て長いのであろうと思う。

今朝はタツキとアオイを送り出した後、一通り家事を終え、タツキから買い物にでも行って羽を伸ばして、なんぞ言われたので駅前のデパートまで行ってみようと出かけてみたものの、近所の幼稚園の前を通り掛った時、元気に遊ぶ園児たちの姿を見て胸が痛くなった。この子たちにアオイは連なれないのだと思った途端、とてもではないが悠長に買い物なんぞできる心持ではなくなり、いつものスーパーに立ち寄って夕飯の食材を買いそのまま帰って来てしまったのである。

ちょうどその頃タツキから電話があって、「夜遅くなるけれど十一時頃には帰るから、それまで起きて待っていて」と言われ、「アオイさんがいないのに先に寝ておられませんよ」と笑った。病院から連れ出してからというものの、アオイとこんなに離れ離れになるのは初めてのことである。それで何をしても一日中アオイのことばかり心配しているというのに、先に寝ているだなんて、天と地とが引っくり返ったとしても、あり得ない話である。掃除機をかけながら、アオイは長旅に疲れて泣いたりはしていないだろうかと思い、トイレ掃除をしながら、おしっこを伝えられずに失敗して泣いたりはしていないだろうかと思い、夕飯を拵えながら、お弁当はちゃんと食べられたであろうかと、そんなことばかり思いつつ、一日を過ごしていたのである。

清子は溜め息を吐きながら再びテレビを見た。髷を結った幼子が、父親役の侍と旅にでも出ているというのであろうか。馬に乗せられ、懸命に演技をしていた。「父上!」台詞も立派である。アオイもいつかこんな風に自己表現ができるようになれば――、清子は食後の番茶を啜りながら、小さな溜め息を吐いた。

 その時であった。車が庭先に停まる音がしたのは。清子はほとんど第六感とも言える判断で立ち上がり、ぱたぱたと玄関に駆け付けた。そして扉を開けた。

 「おかえりなさいま……」

 「たーいま。」

 清子ははっと目を見開き、玄関先でじっと自分を見上げているアオイを見た。

 アオイはもう一度、その口を大きく開いて「たーいま!」と叫んだ。

 清子はわなわなと唇を震わせ、それからその場にしゃがみ込んだ。

 「おっと、清さん大丈夫か。」タツキが笑顔で清子の背を支える。

 「清さん起きて起きて。」その後ろにはバンドのメンバーたちも勢ぞろいしているのである。何が起きたのか、夢なのか、幻なのか、これは、何だ。

 「ほら、アオイ。清さんって、呼んでやんな。」

 「きよ!」

 清子の目に光ものが浮かんだと思った瞬間、大粒の涙が溢れ出した。

 「あのね、今日突然アオイが喋り出したんだよ。」タツキが清子の背を摩りながら言った。「本当は電話で言おうと思ったんだけど、実際に目の前で聞かした方がいいかと思ってさ。」タツキはそう言って清子を抱き上げた。よろよろ、と清子はどうにか立ち上がった。

「あのね、ライブ行く途中に神社寄ったの。そしてちょうどその時、車に泥棒入られてさ、俺ら誰も全っ然気づかなくて。そんでアオイが『たーちゅー!』って大絶叫してくれて。そんで、慌てて戻ってきて。で、何ともなかったんだ。盗まれなかったんだ。アオイのお陰でさ、救われたんだよ。アオイが俺らを助けるために、声を出したんだよ。しかもでーーっけえ声をさ!」

 清子は溢れる涙も拭わず、膝をついてアオイを抱き締めた。

 「アオイ様、……アオイ様……。」

 「きよ!」アオイは笑いながら再び叫ぶ。

 「ああ、ああ。七十年間生きていてこんなに嬉しいことはございませんですよ。アオイ様、ああ、きよは世界一の幸せ者でございますよ。」

 アオイは嬉し気に目を閉じて、全身に清子の幸福を自身の幸福として感じ取っていた。

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