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STIGMATA  作者: maria
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 アンプもタツキのギターケースも傷がついてはいたものの、アンプは頑丈そのものであるし、ギターも全くの無傷であった。全てはアオイが守ってくれたのである。

 しかしそれよりも、アオイの言葉が出たという事実の方が、遥かに衝撃的であった。タツキは後部座席でアオイを抱き締め、アオイを泣き止ますと「そうだ、清さんに電話しねえと。」とはっと我に返って言った。

 「ちょ、ちょっと待てよ。」慌ててレンがタツキの携帯を奪い取る。

 「何すんだよ。」

 「おい何て言うんだ。アオイちゃんが喋ったっつうのか?」

 「そりゃそうに決まってんだろ! アオイが喋ったんだぞ! お前、清さんが聞いたら卒倒するか感涙するかそのどっちもかに決まってんだろ!」

 「だったらよお、お前、電話じゃねえ方がいいんじゃね?」ショウが眉根を寄せて言った。

 「は?」

 コウキも自分の腿を打って「そうだよ! サプライズだよ! サプライズ!」と叫んだ。

 「サプライズ?」

 「そうそう、電話だと半信半疑ぐれえになったりもすんじゃね? 笑えねえ冗談なんじゃねえのって思われても何だし。……普通に家帰って、『ただいま』とでも言わせた方が清さん喜ぶだろ!」コウキは堪え切れない笑みを湛えながら言った。

 「アオイちゃん、『ただいま』って言える?」レンがそう言ってアオイの顔を覗き込んだ。

 「たーいま。」

 アオイは今まで一言も口を利いたことがなかったなど、全く信じられないように何でも無さそうに言ってのけた。

 「おお、上手上手。」

 タツキは目を丸くする。

 「じゃあ、おうち帰って、清さん出てきたら『ただいま』って言える?」

 「たーいま。」再びアオイは繰り返した。

 「タツキ、清さんに電話してもいいぞ。でも内容は、こうだ。夜遅くなるけど起きて待ってて貰えるか、ってな。」コウキは携帯をタツキに返した。

 タツキはそれを受け取りながらただただ目を瞬かせた。アオイは何を想像したのだか、肩を竦めてにっと笑った。


 車中アオイは、主にレンが問いかける言葉をそのまま繰り返す形で喋り続けた。それはあたかも今まで喋ってこなかった分を取り戻すかのようでさえあった。

「俺たちはな、あいあむきるど、って言うの? 言える?」

「あむ……っど!」

「そうそう、上手だなあ、アオイちゃんは。」

タツキは訝し気に急速に喋り始めたアオイを見詰める。無論喋り始めたのは歓喜も歓喜、信じがたいばかりの歓喜であったのだが、こうも急速に喋り始めるのを聞くと、また黙りこくってしまうのではないかと気が気ではない。

「アオイちゃんのお兄ちゃんはたちゅ、でしょ? 俺はレン。レンも言える?」

「れん!」

「おお! たつより巧いぞ! さては俺のが好きなのか?」

「……良かったな。」タツキはぼそりと呟く。

「でもお前本名桐ケ崎じゃん。アオイちゃーん、きりがさきは言える? きりがさき。」コウキはハンドルを握りながらバックミラーでアオイを見る。

「きー……き。」

「あっは! やっぱお前の名前なんて言えねえよ!」コウキはそう言って鼻で笑った。

「やっぱあのでけえ声でのたちゅー! だよなあ、一番は。たちゅー! 俺はアオイちゃんのあの第一声を一生忘れねえ。ああ、忘れねえよ。」ショウはそう言ってしみじみと肯いた。

 アオイはスケッチブックを取り出して、何やらお気に入りの灰色クレヨンで描き殴り始めた。

 今まで(清子に関しては今もなお)幼稚園に入れるか、学校に入れるか、社会でやっていけるのか否かと気を揉み続けてきたことは一体何であったのかと、タツキは嬉しさと同時に困惑も覚える。

 しかし、一体なぜ突然アオイは喋り出したのであろうか。たしかにカウンセラーによれば、子供の緘黙という症状は突然治ることもあるのだとは聞いていた。しかしなぜツアー中のこのタイミングなのか。清子や自分、メンバーたちによる言葉を喋るに足る愛情の量が一定数を超えたばかりに、喋り出したのであろうか。それとも自分のギターが取られてしまうことが、アオイにとってもそれ程耐え難き苦痛であったのか。それともあそこの神様が初めて訪れた(そういえば一円の賽銭も投じていない)自分の祈りを叶えてくれたのか。タツキは答えの出ぬ問いに、溜め息を吐きながらアオイの頭を撫でた。

「たちゅ。」アオイは絵を描きながら言った。

「そうだよ、俺はたつだ。」

「きよ。」

「そうだよ、家で待ってんのは、清さんな。」

 アオイはそう言うと満足げに頷き、盛んにクレヨンで画用紙を塗りたくった。タツキがふとスケッチブックを覗き込むと、てっきり灰色のクレヨンを握り締めているのであるからモモを描いているのかと思いきや、どうやら真っ直ぐな線であって、道路のようであった。その上を車が走り、信号らしきものも描かれている。

 「なあ、これ道路?」

 アオイは小さく肯く。

 「これは、この、車?」

 再び肯く。

 アオイはもしかするとこの「遠足」が痛く気に入ったのかもしれない、と思いタツキは目を丸くした。

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