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それ以降、宣言通りタツキは傍目にも何かを一枚脱ぎ捨てたかのように思われた。観客の前で今まで以上の全ての感情を曝け出す。それらがはっきりと、音に、プレイに、籠められる。タツキの音はよりダイレクトに客の胸を刺した。それまでI AM KILLEDは残虐性の中にもメロディアスな情感がある、そういう二面性が売りであったが、更に後者に説得性が増したような、そんな感覚を観客たちは覚えた。
故郷でのライブを終えた後、更に北上しA市でのライブ、再び少々南下してK市で行った後は、海を越えて三度ばかりライブを行った。そして東京へ帰還する間にF市、M市でそれぞれ二度ずつのライブを行い、いざ明日は東京へ帰還という所となった。
ホテルのレンの部屋でビールとつまみを持ち込み、簡単なツアー前期の打ち上げに興じていると、「あ、そういや。」レンが赤い顔をしてタツキを見た。「土産買ったのか、お前。」
「土産?」
コウキが腿を叩く。「そうだよ! アオイちゃんのクレヨン!」
「ああ! ……買った。」
「いつの間に。」
「だってF市のホテルの目の前画材屋だったんだもん。凄ぇぞ。灰色のクレヨン30本も買って来てやった。こんでどんだけモモを書こうが暫くは大丈夫だろ。」
「やるな。」コウキが赤い顔をして片目を瞑ってみせる。
「でもよお、三歳やそのぐれえでそんだけ絵を描くのが好きってことは、モモだけじゃあなくって、その内でも色んな風景見せてやりてえよな。」レンはそう言ってビールを呷った。
「そうだなあ。」タツキも嘆息を漏らす。
「じゃあさ、次ん所連れてってやったらいいんじゃね? ライブに。」ショウがイカの一夜干しをしゃぶりながら言った。
タツキは目を丸くする。
「あ、それいいな。次は東京の近県だし。ライブやって日帰りできんだもん。ちっと遠足って感じでいいんじゃねえか。どうせ来年んから幼稚園だろ? いつまでも清さんにへばりついてる訳にはいかねえんだし、その練習だよ。」コウキもホタテの紐をしゃぶりながら言う。
「え、遠足。」その、普通の子供が享受して然るべき甘美な響きにタツキはにわかに酔った。
「そうそう。ライブ中は楽屋でお絵かきでもさせといてさ、夜帰る時はバンの後ろで寝かせときゃあ問題ねえだろ。始終俺らがついてる訳だから問題ねえんじゃね?」
「……い、いいのか。」タツキは緊張に声を震わせながら問うた。
「ああ、いいよ。」呆気なく三人は声を揃えて答える。
タツキはごくりと生唾を飲み込み、しかし内心は想定していた以上の土産を手渡せることに一人鼓動を高鳴らせていた。このままいけばどこの幼稚園でも受け入れて貰えないアオイに、そんな僥倖が不意に齎されたことにタツキは酔い以外の何かで目頭の熱くなるのを覚えたのである。
「お帰りなさいまし。」
昼過ぎに帰宅をすると、いつものように清子が丁重に頭を下げてタツキを迎え入れた。
「清さん、ただいま。」どっかと玄関先に荷物を置く。「ああ、重い。」
「お疲れ様でございました。お昼ご飯は召し上がりまして?」
「あ、ああ、大丈夫。これね、清さんへの土産。」
「あら、まあ!」大仰に仰け反った背を慌てて抑えつつ、タツキは紙袋を手渡した。
「凄ぇんだよ、中学の時仲良かったダイキ、いるだろ? あいつがS駅前で店出しててさあ。凄ぇ旨い和食の店だよ、料亭っつうのかな。清さん今度行こうよ。アオイも連れてさ。」
「まあまあ、本当でございますか。」清子の眼は既に潤み始めている。
「そうそう、本当はダイキの飯持って帰って来たかったんだけど、日持ちするのがなくってさあ、ダイキも是非清さんに食わしてえって言ってったんだけど。で、それな、ダイキお勧めのうどん。乾麺だけど旨いって。」
「まあ、まあ、そんなご立派になられて……。」
そこに二階からアオイが無表情にモモを引き連れながら降りてくる。
「おお、アオイ! アオイにもお土産だよ、ほれ。」
アオイは久しぶりのタツキに、恥ずかし気に顔を背けて手だけそっと伸ばした。
「袋開けてみ。モモ用の灰色のクレヨン。30本だぞ、こんだけあれば何枚だってモモ描けるだろう。」
アオイは驚いた顔をして暫くタツキを見詰めていたものの、手渡された袋を揺さぶられて恐る恐ると開けてみる。
中から出てきたのは灰色のクレヨンばかりである。
「まあ、良かったですわねえ! これでモモ様がたっくさん描けますよ。今度スケッチブックも買いに参りましょう。」
アオイは自分の手だけでは握り締められず、とりあえず十本あまりをぎゅっと両手で握り締め、どうやら驚きに目を丸くした。
「それでさ、」
清子とアオイは再びタツキを見詰める。
「今度、つっても来週なんだけど、アオイ連れて一日ライブ行って来てもいいかな。ま、遠足って感じで。」
「え、遠足でございますか。」
「そうそう、今度は一晩やって帰ってくるだけだから、こんな何日もかかんないし、場所もS県で近いし。まあ、帰りは夜遅くなっちゃうから車で寝させて帰ってくるようになっちゃうけど、……ダメかな。」
「まあまあ、遠足だなんて。」感極まった声を出しつつ、ふと我に返ったように、「で、でもメンバーの皆様にご迷惑をおかけしませんでしょうかねえ。」と眉根を寄せて訊ねた。
「それがさ、そのメンバーの提案なんだよ。アオイがモモばっかり描いてて灰色のクレヨンがなくなってんだって言ったら、じゃあ、もっと色んな風景見せてやんなきゃつってさ。途中山だの河だの、こっちではなかなか見られねえようなのもあるから、どうかなって。」
「まあ、そんなアオイ様のことまで気に掛けて頂いて……。」
清子は悲しいような嬉しいような顔をすると、しゃがんでアオイの顔を見詰めた。
「アオイ様、どうなさいます。」
アオイはきょとんとしている。
「遠足でございますって。タツキさんと、タツキさんのお友達様と、お車で遠くまでお出掛け。お山もありますよ、川もあります。アオイ様の見たことのない景色がたーんと、ございますよ。」
アオイは頬を染めながら恥ずかし気に俯く。
「お弁当と水筒と、おやつ、作って差し上げますよ。モモ様はお連れできませんが、一日美味しいものお鞄に入れて、タツキさんとお出掛けなさってみてはいかがです?」
アオイは嬉し気に頬を綻ばせると、うんと小さく肯いた。
「おお、マジか!」タツキはアオイを抱き上げる。「あのなあ、山とか川とか田圃とか、そういうのいっぱい見せてやるから。楽しみにしてろよ!」
それから土産の追加として煎餅にクッキーに、その他諸々を手渡しながら荷物を解き、その晩、久しぶりの清子の手料理に舌鼓を打ちつつ、夕飯後、清子に実家の報告から、墓参りで住職から聞いた話を伝え、それからダイキの店がいかに素晴らしいか、ダイキが清子の握り飯の味が未だに忘れられないと言っていたことなどを伝えた。
「お恥ずかしい話ですよ。」
茶の入った湯呑を両手で包み込みながら、清子は照れ笑いを浮かべる。
「中学生でお腹がお空きだったからですよ。……でもお懐かしい。いつでも日焼けしておられて、お声も大きくて、……元気な方でしたねえ。」
「そうそう。全然変わってなかった。店でもでけえ声して『いらっしゃいませー』つってな。」
うふふ、と笑って「死ぬ前に一度ダイキ様のお店、お伺いしてみたいものですねえ。」と呟いた。
「なーに言ってやがんだ。ツアー終わったら連れてくよ。新幹線ですぐだし。」
「ほほほ。では、楽しみにしておりますよ。それに旦那様奥様方のお墓参りも……。」清子はそう言ってから、言ってよかったものかと少々躊躇いがちに瞼を伏せた。
「そうだな。」タツキはそう自然に声が出たのに、自分でも驚いた。「……墓参りも、また行かねえとな。」
清子は堪え切れないといったように嬉し気に微笑んだ。