51
「ダイキ!」タツキはギターを楽屋のソファに放ると、そう叫びながら客席へと飛び出した。まだ残っていた客が驚いてタツキを見た。
「ダイキ!」
出て行こうとしていたダイキがが驚いたように振り向き、そして歓喜に顔を綻ばせた。「いよう。」やはり、全く変わらぬいつもの挨拶だった。
「お前何でいるんだよ! どうして……。」
「いやあ」ダイキは頭を掻いてタツキに肩を揺さ振られた。「いいバンドが来るって聞いて。」
タツキは思わず噴き出す。「何で俺のこと知ってんだよ。だって、上京してから連絡も何もしねえで。」
客が好意的な視線で二人を囲む。
「ここ、タツキさんの故郷だかんなあ。」
「おかえりなさい。」誰かがぼそりと呟くように言った。
「おかえりなさい。」それは口々に輪唱されていく。
暖かな声に包まれ、タツキとダイキは暫く無言で見つめ合った。
「元気そうで、よかった。」ダイキがそう言って微笑んだ。
「まあ、……元気だよ。」それは先程のステージではっきりと示された所である。「お前も、ちっと肉付いたな。」
「まあ、いい飯食ってるからな。」
「マジか!」それが中学時代願っても得られなかった経済的な豊かさを意味する。思わずタツキは大声を発した。
「俺な、今結婚してんの。奥さん美人だぜー。」
「マジか!」タツキはダイキを抱き締める。「奥さんなんかいんのか! マジかよ! 凄ぇな!」
「あっははは。結婚はいいぞー。家にいんのが楽しいしな。ガキの頃なんて帰りたくなくって、二人であっちこっち放浪してたもんなあ! なあに、お前は一人なのか?」
「清さんと住んでる。」タツキは悪戯っぽく笑って言った。
「マジか!」今度はダイキが目を丸くする。
「清さん元気なのか。」
「元気元気。今子育て頑張ってる。」
「結婚してねえのにガキはいんのか!」
周囲の客たちが一斉に非難がましい目でタツキを見詰めた。
タツキは慌てて「ちちち、違ぇよ!」と叫んだ。「その、姉貴の子ども。」
ダイキは全てを察したように静かに肯いた。例の事故を、どこかで知ったのであろう。
「お子さんは、生きてたんか。」
「まあな。……で、今は東京で清さんと姉貴の子供と住んでんだ。」
「そうか。色々話聞きてえな。……そうだ。これから俺の店来ねえか。」
「店?」
「そう。俺、駅前で居酒屋やってんの。地元の食材出すから環境客に結構人気あんだぜ。」
「マジかよ!」
「そうそう。思いっきり旨いの出してやるから、メンバーさん引き連れてみんなで来いよ。従業員用の座敷になっちまうけど。」
「お、おおおお、お前店長なんてやってんの?」
ダイキはにっと笑った。「ああ。借金引く程あっけどな。でも奥さんいっから頑張るぜー。」
ダイキの店はたしかに繁盛していた。奥座敷が三部屋程あり、どこも仕事帰りのサラリーマンか旅行客と思しき女性たちで埋まっていたものの、ダイキは更にその奥にある従業員用の部屋を開放し、十数名にも及ぶメンバーとスタッフを入れてくれた。
「さすがにな、タツキ相手に金取ろうとは思わねえよ。」
タツキは早速頭にバンダナを巻き付けて料理人の風体になったダイキに近づいて、「そうはいくかよ。あいつらだってんなの一人も承知しねえよ。」タツキはちら、と部屋でくつろぎ始めた仲間たちを見て言った。
「おい、何やってんだタツキ。とりあえずビールでいいか? ビールで。」レンが座敷の真ん中で騒ぎ立てる。
「お前らちゃんと金払うよなあ!」タツキが叫んだ。「こいつが金取れねえとか抜かしやがんだよ!」ダイキが呆気に取られる。
「何言ってんだ、当たり前だろう! お前とデスメタルとを出会わせてくれた恩人なんだから二倍割増だっていいぐらいだ! いくらだって持ってけ!」そう言ってレンは尻のポケットから財布を取り出し振り回した。
タツキは噴き出し、「そういうことだ。それにまたこっちでライブやる時は、お前の店来るから。それまで繁盛しててもらわねえと困る。」と顎を上げて訴えた。
「あっは! また、来てくれんのか。」ダイキはさも嬉し気に笑った。
「ああ。お前がこんな立派な店持ってるってわかったかんな。もうここは厭な思い出ばっかじゃねえんだ。」タツキはそう言って俯き、小さく微笑んだ。
宴会は夜遅くまで続いた。ダイキが出してくれる料理はいずれも驚くばかりに美味しかった。しかも、いずれも地元の珍しい食材ばかりを使い、東京ではなかなか食べられぬものばかりである。
「お前、いつからこんなん料理巧くなったの。」タツキは出汁の沁みたあぶらあげを頬張りながら訊ねた。
ダイキは皿を片付けながら、微笑む。「お前が上京してからさ、……俺料亭の板前に弟子入りしたんだよ。住み込みで働けるし飯も食えるし。少なくとも帰って来るかこねえかわかんねえ親父待ってバイトしてるよかマシだしな。でもこれがまあ、なかなか忙しくってな。お前んで、と連絡取ろうにもなかなかそんな暇なくって。それで、まあ、五年も働いたか。したら……認められたっつうのかな、ここは元々兄弟子の店だったんだけど、その人が関西の方に行くつうんで、やってくれねえかっつう形で譲り受けたんだよ。とはいえさあ結構金もかかるし、凄ぇ迷ったんだけど。……その時付き合ってた今の奥さんがさあ、自分も手伝うからやってみろっつって応援してくれて……。」
「マジか、凄ぇな。」
「だろ。なかなか一人じゃあ決断付かなかったぜ。……でもいずれは店持つことになんだから、早い方がいいだろって言ってくれて、親方も祝い金だとか言ってまとまった金くれて、そんで……。」
「でも今日だって客いっぱいだし、儲かってんだろ。」
「まあな。」ダイキは顔を近づけて、にっと笑った。バイト先から給料をもらった後、先輩から割のいいバイトを紹介して貰った後、こんな表情をしていたっけとタツキは懐かしく思った。
「でな、今度嫁さん連れてハワイ行くんだよ。ハワイ。」
「マジか! 海外旅行かよ! ブルジョワじゃねえか!」
「だよな。中学ん時にまさか俺が結婚して、そんで嫁さん連れて海外行ける身分にになれるなんて思ってもなかったもんなあ。お前もあん時憧れたバンドマンになって、故郷に凱旋してよお。最高じゃねえか。」
タツキは安堵の笑みを浮かべる。
「……まあ、たしかに親御さんたちのことは、大変だったと思うけど……。」
タツキは息を呑んで目を見開いた。「知って、たんか。」
「地元じゃ大ニュースだったかんな……。あのでけえ病院の夫婦と、それから子供、孫が事故に遭うなんてって言って、みんなびっくりしてたよ。」
「……そうか。」
「病院挙げての葬儀で、凄かったっつう話じゃねえか。」
「俺、出てねえんだよな。つうか事故知ったのが、葬儀が終わった後で。全然親とは連絡取ってなかったもんだから。……んなことになってもすぐには連絡付かなくて。」
「……そうだったんか。」ダイキは絞り出すように言った。
「今日実家戻って、それから墓にも行って来たんだよ。でもなんか、……まだこの期に及んでも実感がねえっつうか。まあ、自業自得だけど。」
「だよな。」ダイキはそう溜め息交じりに言って黙りこくった。「お前が上京して、こっち戻って来ることはねえんだろうなって思ってたけど、でもいつか会いてえなって思っててさあ。んで、ふとしたことからお前がバンドやってるって知ってさ。それからバンドのホームページちょくちょくチェックしてたんだよ。」
「マジかよ。」
「ああ、ライブとかやんだ、凄ぇなあとか。でもこっち帰って来るなんて思ってなくてさ。ツアー先にS市の名前見た時にはびっくりしたぜ! 何度も見なおしてマジかよってなって。しかもライブハウスの場所検索したらなあんか覚えがあんなあ、やべえ! ここ昔タツキと来た所じゃんってなってな!」
「正直、ここ来んのは勇気要ったけどな。」
「そうか。……でも、悪くねえだろ。お前のこと見に来た客もみんな喜んでたしな。」
「きっと連鎖していくんだよ。ガキのお前みてえのがお前に憧れて、お前みてえになって……。なんか俺も料理人に弟子入りして、そういう技を継ぐっていうのか、そういうのが大事なんだなってわかってきてさ……。」生真面目な話になろうとした瞬間、ダイキははっと思いついたように、「ほら、俺の自慢の飯食ってくれよ。さんざ修行して磨いた腕だぜえ。これで嫁も貰ったんだ。」タツキの前にまた新たな皿を差し出した。