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ステージが終わると歓声と共に、メタルのライブには珍しい温かな拍手がどこからともなく沸き起こった。それはメンバーと、タツキとに同等に与えられたものであることは誰にも知れた。タツキは嗚咽を抑えながら楽屋へと戻った。
「お疲れ。」と迎えてくれたのは、I AM KILLEDのメンバーである。タツキは目の前に伸ばされたショウの腕を取り、そのまま瞼に押し付けた。
「おお、おお、どうした。」ショウは腕に熱いものを感じて、タツキの頭を二度、三度優しく叩いてやる。
「……俺は、自分の世界をこれからも曲にしていく。俺を作ってくれた、経験を。」そう訴え、顔を上げたタツキの目はやはり赤かった。
「そうか。」ショウは面白そうに笑って、「頑張ってくれ。俺はどこまででもお前に付いていくかんな。遠慮はいらねえ。これからもバンバン最強の曲を作ってくれ。」
そこに満足げな笑みを湛えたリョウが、ステージから戻って来た。
「いやあ、おたくのリーダーはいいギター弾くな。また借りてもいいか。」
「どうぞ、どうぞ。こんな野郎でよろしければ、いつでもどうぞご自由にお気軽に。」ショウが緊張感を漂わせながら、慌ててタツキをリョウに向き直らせる。
リョウはそのタツキの目の赤いのを見て、優しく肩を揺さ振ってやった。
「でも、まあ、とりあえずは自分たちのバンドをでかくしな。ライブやって曲出してな。なんだかんだ言ってそれしかねえよ、でかくするためには。どんなビッグバンドでもそうやってる。そうしたら、今度は対バンやろう。平等な立ち位置でな。」
その一言はタツキの胸を一瞬にして打ち抜いた。
そうだ。あのステージで見た絶望とそこからの奮起は、これからの自分なのだ。リョウはもしかするとあれを見せたくて自分をステージに上げてくれたのかもしれない。そう思うとタツキの胸は酷く高鳴った。
曲を作ろう。そしてそれを一人でも多くの客に届けよう。その決意がタツキの胸中に燃え滾っていった。
その翌日からは、当然のことながら驚くほどいつもと変わらぬ日常生活が始まっていった。
タツキはいつものように昼近くに起床すると、少々の体の痛みを覚えつつ、ライブハウスの電話番をしながら、今日のライブの予定を確認し、掃除と、ステージの準備を行っていく。少し時間が開けば、ギターの練習と作曲活動に励んだ。ただし、昨今では店長に代わりブッキングにも力を入れ始め、日本のメタルバンドの音源をインターネットで聴き漁りながら、食指が動かされるバンドには目星をつけて出演を呼びかけ、多様な対バンをやらせていくことにも専念した。そうすることで自身もまた、多くのバンド仲間たちと繋がれるようになってきた。
しかしタツキは思う。上京して以来、多くのバンドマンたちと交流を持つに至ったが、やはりヒロキとリョウ、この二人はその向上心においても、音楽に対する熱意と真剣さにおいても、別格であったと。その二人と音楽人生の出発地点において出会えたことは、奇跡にも近い幸運であったと。
あのライブ以来、タツキは幾度となくリョウに呼ばれ共にステージに上がったり、また、レコーディングに付き合ったりもしてきた。ミリアもあれから二か月後に男児を出産し、健康そのものであるものの、まだまだ子育てに手がかかるとのことでサポートギタリストを必要としていたのである。
「いつも悪いな。」リョウは自宅のスタジオにタツキを呼び、新曲のレコーディングに勤しんでいた。
「いえ、とんでもないです。」そう答えるタツキは身長も髪も伸び、いつしかメタラーとして相応しい風格、のようなものが備わり始めていた。
「これ、次の曲な。」リョウはそう言って譜面を手渡す。バンドマンの中には譜面を読めない者も多くいたが、タツキはさすが幼少時代からクラシックピアノで鍛えただけあって、正確に読み取ることができた。そればかりか時折はリョウのミスさえ指摘する始末で、リョウはそれを苦笑しながらも頼もしく受け止めていた。
「……相変わらず凄いっすね。」タツキは譜面を凝視しながら感嘆の声を漏らす。
「まだ音出してもねえのに。」リョウは苦笑する。
「でも、これ読めばわかりますもん。……ああ、やっぱ敵わねえな。」
「あっはははは!」リョウは哄笑する。「年の功っつうやつだな! まだお前二十歳にもならねえんだろう? んなのに敗北喫してられっかよ。」
「そのうちリョウさんをビビらせてみせますから。俺の目標なんです。リョウさんは。」
そうタツキがにやりと笑った瞬間、スタジオの扉からひょい、と顔を出したものがある。赤子を抱いたミリアであった。
「あー! 赤ちゃん!」タツキは声を上げ、おもむろに立ち上がった。「リョウさんそっくりじゃないすか!」
リョウはスタジオの扉を開けてやる。
「何してんだ。」
「だって、英才教育が大事なのよう。母親学級で教わったんだから。」ミリアは真面目に答える。
「英才教育?」リョウは首を傾げる。
「だって、ギタリストになるんだもの。」
「誰が。」
「リュウちゃん。」
「へえ、リュウちゃんって言うんですか、名前決まったんですね。」タツキは赤子の元へと歩み寄り、そのふっくらとした頬を人差し指で優しく突いた。
「生まれる前からずっとリュウちゃんに決めてたのよう。黒崎隆司って言うの。」ミリアは指先で漢字を教える。
「へえ、顔どころか名前までリョウさんに似てますね。リョウさん亮司でしょ。」
「そうなの。リョウとそっくりおんなしにしたくって。」
「女だったらどうする気だったんだよ。」
「だって男の子だと思ってたもの。」
タツキはくすくすと笑う。「さすが、母親。ミリアさんはこの子、ギタリストにしたいんですか?」
「だってリョウの子だもん。こんなに顔もそっくりなんだから、きっとリョウみたいな立派なギタリストになると思うのよう。だから、せっかくだから、英才教育しようと思って。」
「英才教育っつったってなあ! 新生児にデスメタルなんざ聞かしたら鼓膜ぶん抜けるぞ。外で聴いてろ、外で。」リョウはミリアと赤子をそっと追い出すと、ギターを爪弾きちら、と扉の外を見た。そこにはミリアが赤子に微笑みかける姿があった。
「リュウちゃん、可愛いすね。」
「まさか、俺にガキができるなんざ思ってもなかったけどな。人生どう転ぶかわからん。」リョウは照れたように言った。
「え、そうなんですか。」
「まあ、そうだ。」
「でも、可愛いでしょう?」
「まあ、……そうだな。」リョウは堪らぬと言った笑みを溢す。それを見てタツキは、いつか自分も小さな命を見守りながら暮らすことがあるのだろうかと思った。それは現在の生活からは全くと言っていい程に考えられない事態ではあったが、想像するだけでもどこか胸が温かくなるのを感じた。




