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STIGMATA  作者: maria
20/63

20

 「音源の通りに弾け。」リョウは最初のリハでそう冷たく言い放った。「一ミリのズレも許さん。」

 タツキは顔を蒼褪めさせ、全身を縮み上がらせた。「……は、はい。」

 「ビビらせんなって。さすがにな、お前とミリアの阿吽の呼吸は無理だ。リハあと三回しかねえし。」すかさずシュンがフォローに回るが、そんな言葉に当然聴く耳を持たせるリョウではない。

 「てめえ、このバンドの神髄は何だ。」リョウはシュンに言った。

 「はあ? 神髄だあ? んなのこちとら聞いたことねえよ。」シュンが顔を顰める。

 「てめえ、何年俺と一緒にバンドやってんだよ、ったく、クソが。」リョウの罵声に一瞬タツキは目を閉じる。「……教えてやろう。それはな、ギターのメロディが一触即発で一心同体、一蓮托生っつうことだ。」

 「何言ってんだ。」その意味不明な発言に、さすがにアキがぼそりと呟く。

 「俺とミリアの音を聴いてきただろ。」リョウはそれを無視してタツキに居直る。

 「CD、何度も聴いてきました。」タツキは目をぎゅっと閉じたまま答えた。

 「じゃあ、わかってんな、あれだよ、あれ。あれ以外は許さん。」

 「……はい。」

 リョウが何を言わんとしているのかは、わかった。あの、リョウと恐ろしく一致した音、僅かなズレもないあの音、あれを弾けというのだ。無理だと言うのは容易かった。そして実際に、あれは物理的にも理論的にも不可能に近いのであった。どうやってミリアがあのプレイをステージで再現しているのか、それは奇跡という他なかった。

 その日のスタジオリハは惨憺たるものであった。タツキのプレイの全てにリョウは「そうじゃない。」「違う。」を連呼し、シュンとアキを呆れ果てさせ、そして終わったのである。


 その翌日のことであった。タツキはギター練習もとい、特訓という名目の下、リョウの家に招待されることとなった。スタジオリハから戻るなりほとんど寝ずに練習をし、そのままタツキは指示された場所へと赴いた。洒落た洋館の佇まいにどこか実家の影を感じながら、タツキはチャイムを鳴らした。

 玄関に出てきたのは、身重のミリアである。マタニティ用のジーンズにカーディガンという部屋着の出で立ちであったが、さすがは元モデルである。ミリアは大きな腹をしながらも、美しい笑顔でタツキを迎え入れてくれた。

 「リョウ、この子がわたしの代わりにギターを弾くのね。」

 リョウがリビングから出てくる。「おお、来たな。」昨夜の鬼のような形相は全く姿を消していた。

 「す、すみません。」タツキは玄関先であるのにかかわらずがばり、と頭を下げる。「その、昨夜はご迷惑をおかけしまして……。ミリアさんにも出過ぎた真似を……。」

 「まあ、何言ってんのよう。精鋭たちにも、よろしく言っておいてね。」

 「はあ……。」

 「毎回来てくれるお客さんたちのこと、な。」リョウがそう補足をすると、リビングにタツキを促した。

 ミリアが二人にコーヒーを淹れながら、しきりにタツキに話しかける。

 「どう? Last Rebellionの曲は素敵でしょう。全部リョウの作った曲よ。」

 「はい……。」

 「たまあに、わたしがソロを考えることもあるけど、でも、ほっとんどはリョウなの。最高でしょう。」

 「はい。」

 初めて見るミリアは美しかった。無造作にまとめた髪も、化粧もおそらくはほとんど施してないであろう素顔も、タツキにとっては感嘆の対象でしかなかった。

 ミリアがコーヒーを二人の前に並べる。

 「わたし、リョウの曲が世界一大好きなの。こうしてね、お腹に赤ちゃんができてギターが弾けなくなってもね、ここで毎日聴いてるの。」

 リョウは苦笑する。

 「ここでお料理作るでしょう? ずっとね、Last Rebellion聴いてるの。そんでね、この前赤ちゃんが動いたの。リョウの曲聴いて、最高って言ってたのよう。」

 タツキはそろそろ現実に戻されていく。「そんな特別なバンドに、こんなペーペーが入っちまって、すみません……。」

 「まあ、何言ってんのよう。わたし、あなたに心の底からありがとうって思ってるの。だってね、」ミリアは悪戯っぽく笑んだ。「リョウは気難しいから、あんまし他所のギタリストを入れたがらないのよう。だのに、あなたには声をかけたのでしょう。そのお陰でわたしがこうしてギター弾けなくなっても、バンドがちゃあんと続いていけて、本当に嬉しいの。」

 タツキはミリアを見据えた。

 「あ、ミリア、こいつはタツキ、な。タツキ。」

 「そう、タツキなの。タツキ、ありがとう。」ミリアは身を翻して、台所から再び焼き立てのクッキーを持ってきた。「タツキ。いいお名前ね。タツキはおいくつなの。まだ若いわね。」

 「十六です。」

 「まあ。」ミリアは口元に手を持ってきて驚きの声を上げた。「そんなに若いの。高校生だなんて、思ってなかったわよう。」ミリアはまじまじとタツキの顔を眺めた。

 「高校には行ってないんです。……地元から上京してきて、今はライブハウスのバイトとバンドだけやってます。」

 「へえ!」ミリアは目を丸くした。「すんごいのねえ。まるですんごいわ。」

 「じゃあタツキ、それ食ったらスタジオ来い。この奥にあっから。俺先行ってんな。」

 「あ、俺も一緒に行きます。」タツキが立ち上がろうとした瞬間、ミリアがにっこりと微笑みながらタツキの腕を引っ張った。

 「あのね、こういう風に弾いてほしいって、言ってもいい?」

 リョウは口の端に笑みを浮かべたまま、リビングを出ていく。

 「……はい。

 「あのね」ミリアは言葉を選びながら訥々と語り始めた。「タツキ、リョウの音とぴったしおんなじに弾こうって、そう、思ってる?」

 ミリアの顔は真剣そのものだった。

 「はい。」タツキは苦渋の表情で肯いた。「……でも正直、ミリアさんみたいに、あんなにぴったりリョウさんのギターと合わせることはできないんです。ビブラートもワウも、何もかも本当に一緒じゃないですか。あんな風になるには俺はまだまだ未熟で、本当にライブ経験も全然なくて……。こんなこと、ただの甘えだってことはわかってんですけど……。」

 「そんなことはいいの。」ミリアはきっぱりと言い放った。「いいの。そうじゃなくって、……リョウの曲を好きになって?」

 「え。」タツキはミリアは一体何を言っているのだろうと訝った。

 「あのね、リョウがどうしてこの曲を作ったんだろうって考えるの。それでうんうん考えているうちに、この曲を作ったリョウとぴったり同じ気持ちになれるの。こう、……ぐんぐん一緒に沈んでいって、そうすると、リョウの気持ちと一つになる感じがあるの。」

 「……はい。」

 「きっとね、リョウとぴったりに弾こうって思うのは無駄、……とまではいかないと思うんだけれど、それだけじゃあダメだと思うの。それよりも、リョウと気持ちと一緒にしないと。そのためにはね、リョウの曲を自分の中に入れて。好きになって。」

 言葉だけで見ると、ミリアの発言は訳の分からぬものであった。しかしタツキはミリアが言わんとしていることが、何とはなしにわかったような気がした。小手先のテクニックではない。その深奥にあるもの、それを見据えていく。それはギタリストとして、バンドマンとして大切なことであるに相違なかった。

 「わ、……かりました。」だからタツキはそう答えた。

 ミリアの顔にぱっと笑みが広がる。

 「多分、わかりました。ありがとうございます。そんな風に、弾いてみます。成功するか、わからないですけど……。」

 「だいじょうぶ。」ミリアはそう言って大層美しく微笑んだ。「リョウがタツキ選んだんだもの。リョウはギタリストだけど、きっとほとんどのギタリストが嫌いなの。だからね、あんまり他にお願いしたりしないの。できないの。でもタツキにはちゃんと頼んだ。リョウはタツキなら弾けるって、そう思ったからなの。リョウは音楽のことに関してはね、絶対間違わないのよう。」

 「あ、ありがとうございます。」

 ミリアはそんなことはないのだとばかりに、首を横に振る。

 「何か、イケそうな気になってきました。ありがとうございます。いってきます。」

 ミリアはにっこりと肯いた。タツキは勢いよくリビングを飛び出していった。

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