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STIGMATA  作者: maria
16/63

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 リョウはひっそりをPA卓の裏に身を潜めながら、I AM KILLEDのリハを見守っていた。一回目に見た時より随分音がタイトになっている、というのが第一印象である。この一か月半、相当バンドとしての練習を重ねてきたな、とリョウはほくそ笑んだ。

 タツキのギターも、スタジオリハを繰り返すことでみるみる上達している。たしか幼少時代からピアノをやってきただとかで、耳はすこぶるいい。リョウはタツキの音作りに対して自分の音を聴かせつつ助言をしてきたが、それをもうそっくり自分のものとしている。これはどこまで行くかわからない。リョウのギター講師としての血が騒いだ。

 「おお、おお、やってるねえ。」とそこにシュンがビール片手にやってくる。「お前の弟分。」

 「初ライブん時より、全然良くなっていやがる。」リョウはシュンのビールを奪って一口飲んだ。

 「まあ、誰使った所でミリアの完璧代理って訳にはいかねえだろうがな、そこそこはやってくれんだろ。」

 「そうだな。」とはいえリョウは楽し気である。

 「お前さ……。」少々呆れたようにシュンが耳打ちする。「俺らのライブを完璧にするってよりは、まだ全然売れてねえようなのに、スポットライト浴びせたかったんだろ。」

 リョウはシュンを睨む。「俺が、ライブ下手打ってもいいなんて思う訳がねえだろ。」

 「否、そこまでとは言わねえけど……。」

 「ただな、」リョウはにやりと笑んで、「あのギターいんだろ? あれ、まだまだだが表に引っ張り出してやりてえんだ。凄ぇ才能がある。」と耳打ちした。「そんでゆくゆくはな、北欧ばりに日本のデスメタルシーン全体を盛り立てていく。てめえでヴァッケン行って満足なんてケチなマネはしねえ。なんならヴァッケンで日本枠を奪取できるぐれえにな、盛り立てていきてえんだよ。」

 「そうかい。」シュンは頓狂な声を上げた。

 「その第一歩だ、あいつらにチャンスをくれてやんのは。」

 「ほお。」シュンも面白そうにステージを注視し始める。

 「あいつらが、これからの日本のデスメタルシーンを担ってくんだよ。面白ぇじゃねえか。」リョウはそう言って満足げに若者たちのリハを見守った。もはやシュンが持ってきたビールはリョウによってその半分も飲み干されていた。


 しかしそう思うまでにリョウにも逡巡は、あった。そもそもリョウが十数年もの間共にギターを弾いてきたミリア以外の人物とツインギターを弾くこと自体が、想像だにできな事態であった。

 「あのね、安静にしなきゃなんないの。」産婦人科からの帰り道、ミリアははっきりとリョウの目を見て言った。いくつかの検査をし、ミリアの子供は無論順調に育っていたものの、これからは激しく頭を振ったり、海外へ行きライブをするといったような無理はしてはいけないと強く医師から進言されたのである。

 「そりゃあ、俺も聞いてたよ。」旦那さん、との呼び方に酷い羞恥心を覚えつつ診察室の中にも同行したのである。

 「だからね、ギター、他の人、入れて。」それはリョウにとって意想外な言葉であった。てっきり、自分以外のギターは入れてくれるなと、暫くバンド活動は休止してほしいと、そう言うものだと信じ切っていたから。

 リョウの驚愕と焦燥の顔を見詰めながら、ミリアはリョウの腕を大きく振りつつくすりと微笑んだ。「あのね、ミリア、もうリョウとずっと一緒にいなくっても、大丈夫になったの。だって、リョウの赤ちゃんがお腹にあるでしょう? これって、ミリアの中にリョウがいるのとおんなしなんだから。一緒にいるよりももっと一緒なの。……あのね、これは別にもうバンドやりたくないってことじゃないよ。でも今は、ギター弾くよりもリョウの赤ちゃんを元気に産みたいの。ママとしての務めをちゃあんと、果たしたいの。でもバンドを止めてほしくは、ないの。わがままだとは思うけどさ、だってヴァッケンやって帰ってき、みーんな、待ってるじゃない。ヴァッケンまで来れなかったファンもいるし。それにそれに、これからリョウの夢の第二弾が始まっていくんだもの。」

 「何だ、第二弾って。」

 「……うふふ。わかんない。」我が子の順調な成長を確認したミリアは、頗る上機嫌である。「でもリョウはわかってるはずだもの。第二弾。」

 「知らねえよ、んなの……。」リョウはそう言いつつ、そこで考え始めた。長らく自分の夢はヴァッケンのステージに立つこと。これ以外にはなかった。しかしそれが叶った現在、次に自分が目指すべきは何なのであろうか。リョウはそれから暫く考え続けたものの、帰宅して、飯を食い、風呂に入り、ギターを弾いてベッドに潜ってもはっきりとした答えは出なかった。

 しかしベッドに潜り、天井を見ながらふと頭に思い浮かんだのは、母の遺言書とも言うべき手紙の一節であった。

 ――あなたは周りの人を幸せにできるという点で、誰よりも幸せな子です――

 周りを幸せに? 職質が習慣化している、デスメタルのバンドマンである、自分が? 最初に読んだその時にはとてもではないが苦笑してしまうようなその文言が、なぜだかリョウの頭を強く支配していった。

 自分が携わって来たこのデスメタルというジャンルは、数ある音楽ジャンルの中でも相当の不遇を託つものである。反社会的とみなされ、音楽性よりもその北欧のバンドマンによるセンセーショナルな事件ばかりがクローズアップされてきた。だからレコード会社も最初はなかなか決まらなかったし、CDが売れる、といった所でその天井はほぼ(無論かなり低い位置で)決まっていたようなものである。それに少々の風穴をこじ開けられたという自負はあるが、だからと言って海外の売れ行きと比較すればまだまだ雲泥の差である。

 しかしだからと言ってこのジャンルが、誰にも知られるだけの価値のないジャンルだとは到底思われない。誰しもが免れることのない苦悩、絶望、痛苦、それらが音として昇華されるのはデスメタル以外にはないとさえ思う。だとすれば――、リョウの顔に笑みが射していく。第二弾、とやらがはっきりと胸中に具現化していった。


 日本のデスメタルシーンにスポットを浴びせること。幸運ながら、自分はヴァッケンのステージに立ち、今ならば少々の注目は浴びている。これを利用し、若手バンドマン、若手ギタリストを発掘しようと、そう考えたのである。

 しかしそうとは言え、ミリアと共にギターを弾いて十五年にもなろうか。自分が教え込み、それ故自分とそっくりそのままの音を出すに至ったミリア以外の人間とギターを弾くなど、したこともなかったし、考えたことすらなかった。しかし実際にミリアは今のこの体ではライブは、できない。だとするならばギタリストを探すのは自分がバンド活動を継続するにあたって、必要不可欠なことであるとも言えた。最悪、バンド仲間は多い方であるし、それ故ギタリストの友人もぱっと思いつく限りでも十指では足りないのであるから、そこから選べばいいという考えもあった。長らく一緒にデスメタル界隈で活動してきたLunatic Dawnのユウヤも、Conquered Sunのシンも、Damnation Callingのキョウも、はたまたジャンルは異なるが今飛ぶ鳥落とす勢いのロック・バンドBlack Pearlのレンだって、自分が依頼すれば一晩のギタリスト役ぐらい、快く引き受けてくれるであろう。でも、それに安易に甘んじたくないという思いもあった。日本のデスメタルシーンを盛り立てていける若手ギタリストを発掘し、チャンスを与え育てていきたいという思いと、自分のライブに来るファンのためにも妥協は絶対にしたくないというその狭間でリョウは悩んでいた。

 海外に出て、幾度となく訊かれたのが、日本のメタルシーンについてである。メタルに携わっていながら、日本のデスメタルではLast Rebellionの存在をしか知らない、あるいはLast Rebellionが日本のバンドであるということさえも知らぬという人が数多くいるのには驚かされた。しかし、では実際に日本のデスメタルのレベルが低いのかと言われると決してそうではない。それは、リョウが世界の舞台に立っても揺るがぬ思いであった。だとすれば数少ない世界を知る日本のデスメタルバンドの一員として、自分ができることは、後継を育て、日本のメタルシーンを盛り上げ、ゆくゆくは日本のデスメタルを海外に発信していくことにあるのではないか。

 リョウの次なる夢は朝を待たで、はっきりと、決まった。

 その翌朝であった。デスメタルバンドで全国ツアーを成し遂げたばかりのヒロキから連絡が来たのは。だからそれは当初、ただの雑談に過ぎなかったのである。――リョウさん、ヨーロッパツアーお疲れ様でした。ところで、最近、俺の地元から上京してきた、若い子がいるんですよ。中卒で上京してきた子で、まだ十五やそこらなのにギターも巧いしいい曲を書く。こっち来てすぐにバンド始めたんですけれど、なかなかその音源がいいからリョウさんにも送りますね。時間ある時にでも聴いて下さいよ。――

 リョウの元には黙っていても数多くの音源が届く。ライブをすれば、若手バンドマンが挨拶がてら音源を渡してくれる。リョウはそれらを必ず聴くようにしはしているが、正直、食指を動かされるのはほんの僅かにすぎなかった。だから悪いとはいえ、期待はしていなかったのである。しかしタツキの曲を聴いた時(それは家のパソコンだったけれども)、リョウは衝撃を覚えた。自分が将来作る筈だった曲を聴かされているような、そんな気にさえなったのである。バンドの名前も覚えていなかったリョウはすぐにヒロキに連絡を取った。ヒロキは「何て言ったかなあ。ううん、何か不穏な感じの……。あ、そうだ、今日ライブなんですよ。もしよかったらリョウさんも一緒に行きませんか? ワイドグライドなんで近いすよ。」と答えた。そうしてリョウはタツキと初めての邂逅を交わしたのである。

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