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スモークの焚かれたほの暗いステージに四人は躍り出していく。ドラムセットの中央に座り、客席を睨みつけたコウキは先程のタツキの言葉を反芻していた。「俺は誰がいようが誰がいまいが俺のできる最善のプレイをする。」
――自分の最大のモチベーションは、周囲のメタラーたちが挙って挙げるような、武道館でのプレイでも、ヴァッケン行きでもなかった。言うならば、デスメタルが好きだから続けている、という非常に近視眼的なそれだけである。よって、誰に媚びる訳でもなく、誰に評価されたい訳でもない。ただ、タツキの曲を聴いて、その独自性とクラシックにも通ずる普遍的な美を感じ、その土台をぜひとも自分が作りたいと、今までになく強くそう思った。思えば、楽しいからやっている、という至極単純なモチベーションは、タツキによって支配欲にも似た感情へと変わっていったのかもしれない。
コウキは今更ながらタツキの音楽の持つ求心力、のようなものに尊崇の念を抱いた。
それが初ライブにメタルの大御所がやって来たからといって、一転してしまうことなど、あり得ない。コウキはざわつく胸中が急に落ち着いていくのを感じた。
コウキは深々と息を吐いた。これからが、I AM KILLEDの歴史だ。今から、全てが始まるのだ。そう思えば何もかもが愛おしくてならない。この空気。この明り。――そうして三人が振り向き、準備が整ったことを知ると、コウキは約束通り一つ肯いてスティックを掲げ、一斉に、轟音を鳴り響かせた。
I AM KILLEDの幕開け、であった。
タツキとレンが冷静かつ正確無比なリフを刻んでいく。少ない客はその音に、一気にステージを注視した。それと同時にリズム隊は正々堂々、といった形容がぴったりくる程にスタンダードな土台を創り上げていく。今日の持ち時間は三十分。その中で演奏ができるのはたった五曲である。しかし熟考した選曲とその展開に、タツキは絶対の自信を持っていた。曲数ではない。自分の構築しようとする世界がきちんと完成しうる確信を、抱いていたのである。
レンはタツキと一切ブレることのないリフを刻みながら、グロウルをがなり立てた。タツキの織りなす美麗なメロディーとの差異が、聴く者を否応なしに引き付けていく。
タツキは目の前にヒロキがいることも、そしてヒロキがリョウを連れてきているであろうことも、何もかも忘れ、ただ自分の作り出した音に没頭していった。
「あなたは、家族じゃないから一緒に行けないの。」そう言った母の信じられない程冷たい眼差しがふと、蘇る。あれは、母や姉が家族旅行の準備をしていたある晩のことだった。自分は単純に、何をしているのと問うた。その答えに自分は初めて震撼したのであった。たしか、小学生の頃、自分が入塾テストを受けそして入塾を断られた、その直後のことではなかったか。
「悪いけど、うちには馬鹿はいないの。たった一人も。ということはわかる? あなたはうちの血筋じゃない。あなたはうちの家族じゃない。他人と旅行には行けないの。」
あの時自分は泣いたのだろうか。……その記憶はない。もっと愕然として、そして清子にあれこれ慰めの言葉をかけて貰うまで、感情が死滅していた。そんなことを思い出す――。
タツキはまばらな客席に、ヒロキとリョウがじっと自分のプレイを注視している様など、何も感じてはいなかった。ただ、次々に自分の音楽の元となった過去が押し寄せる。記憶が、鮮明になる。
「ピアノがちょっと弾けるからなんなの? それが金になるの? あなた、もしかしてこれから延々と、私たちから金を搾り取って生きていくつもり? そんな図々しさで弾いて貰った入賞なんて、図々しい連中の間だけで通用するものでしょう? 大きな顔しないで。厚かましいったりゃありゃしない。」
入賞のトロフィーはそれからどこへ行ったのであろう。どこかに捨てて、清子が拾ってきた。これは大切な大切なものなんですから、母と全く違う言葉に、自分は混乱した。
タツキは目を閉じて、自分のギターソロに専念する。全ての苦しみを浄化させる音を。悲しみを悠久の彼方に流し出す音を。
ヒロキとリョウは食い入るようにして、タツキのソロを、バンドのステージを見詰めていた。
無論バンドとしての技量はまだまだである。一体感にも欠けるし、固い。感情が迸るための柔らかさが、まだまだ未成熟である。しかしタツキの音楽を生み出さねばならぬという必然性は、一種の迫力さえ生み出し、観客を引き付けるには十分であった。その卓越した作曲のセンスは既に音源で理解はしていたものの、こうして改めて生で観てみると、少なくともリーダーであるタツキは、こうするしかないという強靭な意志を持ってギターを弾いていることがはっきりと、知れた。こういう感慨を抱かせるバンドは少ない。実際に、ファッションめいた感覚でバンドをやっているものも多いのである。
曲は次々に展開していく。それはあたかも一つの物語を、ひいては映画を観ているようであった。その曲の持つバリエーションの広さに、二人は再び瞠目する。痛苦、絶望、悲嘆、恥辱、それらがみるみる美麗な音によって浄化されていく。リョウは口の端だけでにやりと笑んだ。自分の後継を今、まさに、ここに見出したと、喜びが隠せなくなったのである。
タツキはレンと共に前へ出ると、更にメロディアスなソロを奏でていった。テクニック頼りではない、本質的な音楽が、そこにはあった。これは考え抜いたものなのだろうか。それとも沸々と沸き起こってきたものであろうか。リョウはタツキに聞きたくてならなくなる。好奇心が自分でも呆れるくらいに溢れ出してくる。もっと彼の曲を聴きたい。これから生まれてくる曲も含めて。嗚呼、必ず彼らは広く知られる所となる。この会場にいるたった十数人の記憶から消えることはあるまい。
少数の彼らは、最初こそ周囲を気にして静かにステージの若き面々を見守っているだけであったが、今や広い会場を暴れ回り、感情の赴くままに叫んでいる。
その様を見、ヒロキとリョウが互いに笑みを交わし合い、そしてPA卓の後ろに座った店長がいつの間にやら満足げに頷く中、ライブは、終わった。四人は初めての観客に心からの礼をし、そしてステージを去った。




