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タツキが初めて自分の職場兼住居であるライブハウスに昼枠で出ることとなったのは、その翌月のことであった。翌日のライブのため、スタジオでの最終リハを終え、タツキの住居である楽屋にメンバーがやってくる。
「社割なんか、あるんか。」と、タツキの差し出した用紙を凝視してメンバーが口を揃えて言ったのもやむを得ない。他のメンバーは既に幾つものバンド経験があるが、一度だって社割で出たためしはないのである。
「凄ぇだろ! だって家賃も電気代も水道代もいらねえって言ってくれて、おまけに自分が出る時には半額でいいっつうんだぜ! バンドマンはみんなライブハウスに住むべきだろ!」タツキの極言を三人は冷たい眼差しで聞き流す。
「ま、まあ、……そういうのはバンドで一人いりゃあいいだろ。」コウキが低く呟くように言う。「全員が全員ライブハウスで住んじまったら、ほら、……楽屋シェアハウスみてえになっちまってうるせえかんな……。」
「とりあえず初ライブだ。社割だかなんだかしんねーけどよ、ノルマも四人で分担したって大した額にはなんねえし、最初はどーせ知り合いぐれえしか来ねえんだし、ミスなんざ怖がらねえで思い切ってやっていこうぜ。」ショウが朗らかに言い放った。
「ヒロキさんが来てくれるっていうからよお! 緊張すっけどマジ楽しみ!」タツキは興奮冷めやらぬといった風に叫んだ。
「……で、お前マジなんかLast Rebellionの前座でやれるかもっつう話……。」レンは先日タツキから電話で聞いたばかりの話を持ち出した。そんな話はどう頑張ったところで、半信半疑ぐらいにしか考えられなかったのである。
「ううん、なんかヒロキさんがさ、俺らのスタジオリハの音源をLast Rebellionのリョウさんに送ってくれて、それを気に入ってくれたっつう話なんだけど、直接は知らねえんだ。俺なんて、まだライブもやったことねえ、ペーペーすぎるバンドだろ? だから一度会ってみねえととか、んなこと言ってたんだけど、多分まだリョウさん、ヨーロッパツアーから帰ってきてねえんじゃね? だからあれから特に話は、ねえんだ。」
「そ、うか。」レンの表情は疑い、の方に傾く。
「ま、でもよ、向こうさんだって忙しいだろうよ。だってヴァッケンまでやったバンドだぞ? んで世界のあっちこっちでライブやってるんだから、こんな、スタート地点にも立ててねえバンドにかかずりあってる暇ねえのは、当然だろ。前座つうのも、何つうか、社交辞令みてえなもので、あんま本気にしねえ方がいいと思うな。」コウキはそう言ってしかし、微笑んだ。「でもそっからどこまで這い上がれるかっつうのが、見ものじゃねえか。でもな、お前の曲なら、やれる。俺はそう思って、こっち、来たんだ。」
タツキはきょとんとコウキを見上げた。彼はちょうどタツキたちとバンドを始めるのと同じ時期に、他のそこそこ活動歴のあるバンドからの誘いもあったらしいということであった。なぜなんのキャリアもないタツキたちの方に靡いてくれたかは、未だ聞いたことはなかった。
「お前の曲を叩きたかったんだよ。最初に聴いたのも、これから作り出されていくだろう曲も、全部。」
「曲は、書ける。」しっかりとタツキは言った。「まだまだ尽きることはねえって思う。……今まで曲を書いたことはなかったんだけど、書いてみてわかったんだ。俺は作曲が好きなんだ。好き? 好き、っつうとなんか軽いけど、こう、内面抉り出して音にするっつう作業が、俺の人生にとって、命にとって必要な行為なんだ。だからこれからも書き続ける。」
「頑張れよ。」ショウが優しく微笑む。「楽しみだ。」
タツキはにっと歯茎を見せて笑い返した。
休日とはいえ昼枠のライブには、元より客数は望めない。本日出演するのも僅か五組のバンドであり、いずれもタツキたちのバンドを含め、まだまだ出たてのバンドばかりであった。タツキたちの出番は更にその最初である。さすが老舗ライブハウスの店長である。身内に対する贔屓、は皆無であった。
開場の三時間前、リハを終えたタツキがライブハウス入口に上がると、ブラックボードの一番上には、こうはっきりと記されてあった。
――I AM KILLED
それはタツキがこのバンドに冠した名であった。
スタジオでタツキがそれを披露したある日、「さすがに率直すぎねえか。」コウキはそう言って苦笑を浮かべた。「いっくらデスメタルバンドだっつったって、『俺はぶっ殺された』ってよお、それバンド名なのかっつうか、何つうか……。」
タツキはそれに対して素直にううむ、と考え込んで、しかし「でも俺は精神的に殺された体験で曲書いてっかんなあ。多分それはこれからも変わらねえことだし。バンド活動で唯一一貫することが、これだかんなあ」と言った。
「そもそも『ぶっ殺された』って言えるっつうことは、……俺ら、幽霊っつうことか!」レンが今更ながら目を見開く。
「人の体が死ぬのは一回切りだけどよ、心は何度だって死ぬだろ。心が死んで、次いで体が死ぬっつうパターンもあるけど。バンド名は心の死の方だな。」タツキの胸中にはバンドを始めて以来、決して絶やすことのできなくなった過去の思いがある。実の親から罵倒され、存在をなき者とされ、生きる意味さえ剥奪されかけたあの日を。
「まあ、俺はタツキがそうしたいっつうなら、いいよ。俺らはタツキの曲に惚れこんでるわけだしさ。今回、もしかすっとLast Rebellionの前座さして貰えるかもしんねえって話も、要は、タツキの曲のお陰な訳だしさ。」ショウがそう言ってタツキに微笑みかけた。
「まあ、そりゃそうだ。」レンも頷く。
「バンド名なんてさ、大御所様だって結構適当に付けてるモンらしぜ。ほら、Led Zeppelinも、お前らは絶対売れねえ、鉛の飛行船みてえなもんだって言われてそのまんま付けたっつう話、有名だろが。まあ、俺はタツキが納得いきゃあ、何でもいいや。」コウタもそう言って何度も肯いた。
バンド名を告げた店長も笑ったが、タツキらしいなと言われ、そうして初ライブの日を迎えたのである。
開場から三十分、既に暗転した客席はまばらであった。しかしタツキはそれに対して一切の負の感情を抱くことはなかった。それよりも間もなく自分の作り上げた曲が公の場で形となるという事実に、興奮を抑えきれなかったためえある。タツキが先程からギターを弾き、指を温めているのは隅に炊飯器が見え隠れしている、楽屋というか我が住居であったが、気分はいつもとはまるで異なっていた。
「おい。」と顔色を変えてそこに飛び込んできたのは、レンであった。間もなく迫る本番に備えて、胸を躍らせながらギターを弾いていたタツキは、何事かとばかりに不思議そうにレンを見上げた。
「……ヒロキさんが、来てる。」
「マジか。」タツキは破顔する。「来てくれるっつってたもんなあ。」
「そ、そ、そんで……。」レンはごくり、と生唾を飲み込んで深呼吸をした。「多分、リョウさんも、一緒に来てる。」
タツキの笑みは固まった。
「リョウさんって、あの……Last Rebellionか。」タツキの隣でストレッチに励んでいたコウキが恐る恐る身を起こし、尋ねる。
レンは震えるように頷いた。「見間違えては、ねえと思うんだ。……真っ赤な腰までの髪してた。」
コウキは慌ててタツキに振り返った。
「……お前、リョウさん、今日観に来るつってたんか?」ほとんど憤怒の表情で最早ベースを投げ出したショウが問う。
「い、いや、一度会ってから前座の話、考えるっつうのは聞いてたけど……。」
「それって今日だったつうことじゃねえのか! どーすんだよ! 今頃んなこと言われても!」コウキはタツキに掴みかからんとばかりに迫った。
その時である。タツキが用意したSEが流れ出す。この三分後にはステージに立つ流れとなっている。もう、後戻りはできない。四人は顔を見合わせて、黙した。
タツキは深々と息を吸うと、三人に向かい合った。「……客にアメリカ大統領がいたってよ、ステージングに影響及ぼすなんてしてたまるかよ。俺は誰がいようが誰がいまいが、俺のできる最善のプレイをする。それだけだ。」タツキはそう言ってギターを手に立ち上がった。それを見て三人は互いに目配せをして、なぜだか噴き出した。一番年下であるはずのこの男の決意に、全ての不安が吹き飛ばされた。その事実が可笑しくてならなかったのである。