11
そうしてタツキは日々バンド活動に邁進していった。ライブはまだであったが、タツキの作った曲を基にスタジオで録音された音源は、まずヒロキに献上せんとばかりに手渡された。ヒロキは驚嘆した。その独創性と完成度の高さ、それからその中心に包含されている悲哀と痛切さによって。とてもではないが十五、六の少年の作る曲とは思われなかった。ヒロキはその音源をバンド仲間に聴かせた。仲間たちの反応もヒロキと同様であった。ヒロキは自分の見出した少年がすぐれた才を有していたことが嬉しくてならず、更に更に他のバンドマンたちにも聴かせた。これから出てくる新人が、実に面白い曲を書いていると言って。
「この間聴かしてくれた曲あるじゃん。」ある日タツキの携帯にヒロキから連絡が入った。「あれ、マジで良かったよ。」
「マジすか。」ライブ終了後の静寂の中、一人客席の床をモップで拭いていたタツキは電話に弾けんばかりの笑みで答えた。「その前に作った曲、十曲ぐらいセットでこの間スタジオで録音して、今、あちこちのライブハウスに送ってる所なんすよ。どっかのメタルライブにでもブッキングしてくれって。そろそろ初ライブやってみようっつう話になってて。」
「ああ、そうなんか。じゃあ初ライブは決まりだな。」ヒロキが嬉し気に言った。
「は? ……どういうこと、すか?」
「あのな、Last Rebellionあんだろ。」
唐突に出てきた、今の日本のメタルシーンを牽引すると言われるバンドの名に、タツキはにわかに緊張感を覚えた。「……は、はあ。」
「来月ヨーロッパツアー終えて日本に帰ってくんだよ。でさ、リーダーのリョウさんがもうヴァッケンもやって、自分の夢だけ追いかけてんのは終ぇだって。これからは若い奴らと日本のメタルシーン全体を盛り上げていかなきゃなんねえっつって。」
「……はあ。」やはり成功を収めた人は考えが違う、とタツキは殊勝な心持になる。
「で、凱旋ライブの前座やってくれる、新しいバンドを探してたんだ。そんで、この前貰ったお前らのリハの音源を送ってみたらさ、是非こいつらとやってみてえって言ってくれて……。」
タツキの手からモップが落ちた。からん、からん、と静まり返ったライブハウスに乾いた音が鳴り響いた。
「否、まだ正式な決定つうんじゃねえんだが、一度、リョウさんがお前に会いてえって言ってて。話はそれからになるかなって思うんだけど。」
タツキは目を見開いた。自分のバンドマンとしての人生が、願ってもない方向に転がろうとしている。その事実に眩暈すら覚えた。
「……どうした? 悪い話じゃねえだろ。」
「よ、よろしくお願いします。」タツキはそれだけ呟くように言うのが精いっぱいだった。
「あっははは、何だそりゃ。ま、また音源できたら寄越してくれよな。お前の曲はなかなか評判いいぜ。さっさとライブやってもっと多くの人に聴かしてやりてえよ、俺も。」
タツキは思わず視界が滲むのを感じた。これはヒロキとの出会いと同じぐらい、自分の人生を変える出会いであった。
その翌日、早速ヒロキはタツキの元へとやってきた。
「……にしてもさ、まさか本当にここまでくるとはな。」いつしか生活臭漂うようになった楽屋を珍し気に見回しながらヒロキは言った。
「まだまだっすよ。」タツキは差し入れのコーラを呷りながら答える。「東京に来て音源だけ作ってるだけじゃあ、バンドマンとしてスタート地点にも立ててねえ。」
「でも、お前の曲の評判はマジで、いい。下手なライブ打たなきゃ、すぐ客は付く。」
そんなに巧く行くのか、と、訝し気にタツキはヒロキを見上げた。ヒロキはビールを呷りながら優しくタツキを見下ろしている。ステージを降りればヒロキはいたって温厚な先輩であった。
「昨日も話しただろ? Last Rebellionのリョウさんに認めて貰えば、一発だ。俺らなんかを追い越すのは時間の問題だ。あの人の影響力は、今の日本のメタラーの中じゃあ随一だかんな。」
それはタツキにとって酷く失礼な話に思えた。タツキはヒロキがいたからこそ、こうして上京し生活をすることができているのである。「たしかにLast Rebellionは凄ぇ半端なくかっこいいすけど、俺の目標はヒロキさんです。初めて見た時から、ずっと。」
「人を目標にしてちゃダメだ。」ヒロキはきっぱりと言った。
「……何でですか。」タツキはそう言って口を尖らせた。
「何でって。……お前は自分の内面に表現した世界はねえのか。そっちだろ、重点置くべきは。」
「ありますよ。」タツキは勢い込んで答える。「世の中の理不尽、憎悪、俺はそういったものを音楽に昇華してえ。俺は、……」さすがに一瞬躊躇して、「生まれて来て、一度だって自分のいていい場所ってのを持てた例がないんです。ここが、このライブハウスの楽屋が、初めて得られた自分の居場所なんだ。それまではずっと何で生まれてきちまったのか、何で感情を持っちまったのか、そんなことばっかり考えてきた。ただ、音楽の世界に没頭している時だけが、そんなことを丸ごと全部忘れられた。ピアノとギターに触ってる時だけが、俺のいていい世界だった。」
「そっか。お前ピアノ弾けるんだったな。」
「ええ。弾けます。」タツキは自信満々に答える。
「じゃあ、余計に部屋借りてピアノ買やあいいのに。」
「俺はここにいたいんです。」呆れる程繰り返された質問に、タツキは不機嫌そうに返す。
ヒロキは呆れたようにタツキを見た。「……あーあ、紹介するんなら、もちっと違う所紹介するんだったな。店長が絶対職場に住まわせねえようなの。つうか、普通そうだろ……。」独り言つように言った。
「タツキさんは俺に音楽を学ばせるために、ここを紹介したんでしょう? 俺はそう思ってますよ。だから毎日ライブの勉強してるし、刺激貰って曲書いてギター練習しようって思える。」
「……まあ、そういうことにして貰ってもいいけどよお。でもこんな落書きコンクリに囲まれて風邪引くなよ。で、そのうちリョウさんも絶対連れてくっから。茶でも出してもてなせよ。」
「茶か。」タツキは腕組みをして首を傾げた。「……カセットコンロ、店長に相談してみようかな。防火法がどうのとかっつってたかんな。」
ヒロキはその素直さに噴き出した。
「何ですか。」タツキは不機嫌そうに睨む。ヒロキはタツキの、この素直さと若さゆえの情熱がとても懐かしく、愛おしいものに思えてならなかった。かつてバンドをやるのだと上京してきた自分もそうだったかもしれない、と思えば何としてもタツキに成功、とは言わぬまでも豊かな音楽人生を歩ませたくてならなかった。道誤らぬよう、何としても応戦していきたいとそう思わせるのである。




