5話 使役者
本日、土曜日。午前11時。特に用事もなく、干川はまた天ノ門の事務所にいた。
生憎、逵中も榊もいないらしいが、自由に出入りしていいと言われているそうだ。渡されたカードキーで地下の資料室に向かい、手につく本を開く。
先日の女子中学生が取り憑かれた時、何もできなかった。助けることができると言うだけで、方法を聞かれても答えられず、それではできないのと変わらない。
「っていっても、さすがに量が多い……」
書いてある言葉も比較的新しいものを選べば読むこと自体はできるが、理解はできない。
そんな資料と格闘すること一時間。
確かに見たことのあるものも多々あり、なんとなくだが理解できるものも多い。
「あー……ダメだぁ……こう、もっと根本的なことからやらないと理解できないぞ。コレ」
学校でカクリモノやそれに纏わる、数十年前の戦争”カクリ大戦”について授業で触れる程度はする。終戦日になれば、テレビでも特集が組まれることだってある。
だが、考えてみればカクリモノについても、カクリシャについても詳しいことなんて何も知らない。
ため息を共に本をしまうと、エレベーターに乗り、最上階のボタンを押した。
軽快な音と共に扉が空き、スイートルームのような部屋が開かれるが、誰もいない。
「まだ戻ってきてないか……」
どちらかが戻ってきていてくれれば、基礎的なことも聞けるかと思ったが、まだいないらしい。
むしろ、土曜日なのだからいないのが普通ではないか。という疑問に今更ながら気が付くと、干川は顔に手をやった。
「?」
違和感。
もう一度顔を上げれば、ソファの前のテーブルには閉じられたノートパソコン、ソファの傍には運動靴。
よく見れば、ソファの上に毛布が乗っている。
「……」
ここまでくれば誰かいることは確実だ。しかも、寝てる。
ゆっくりと近づき、あと少しでソファがのぞき込めそうな場所まで近づいた時、
「うわぁぁあ!?」
叫びながら飛び起きた。毛布を跳ねのけたワイシャツ姿の女は、パソコンの方を見たあとに自分の周りを叩くと、携帯を取り出し電源をつける。
「やば、提しゅ、ぁ……あ? いや、終わらせた。うん。終わらせた……」
数度頷くと、安心したように息をつくと、跳ねのけた毛布を見て数度まばたきを繰り返すと、たたみ始めた。
「あ、あのー……」
「へ? えっ!? いつからいた!?」
今になって干川に気がつくと、肩を震わせる。
「さっきからいたぞ」
呆れたように答えたのは干川ではなく、ソファの背に寝そべる緑色の羽を持つ小さな生き物。
「え、あ、そうだったんだ……すみません。気づかなくて」
「あ、いえ、俺の方こそ……」
少し寝癖はついているものの、前に助けてもらった女性だ。
「この前はありがとうございました」
「…………あぁ! 前の高校生!」
どうやら全く気付いていなかったらしい。
日向結城と名乗った彼女は、毛布を畳みながら、不思議そうに首をかしげる。
「今日、休日だよね? なんでこんなところにいるの? 追い出されたとか?」
「……」
「え゛っ図星……?」
日向の言うとおり、半分追い出されたようなものだった。特にやることもなく、なんとなく思いついたというのが本音だ。
「その年で家追い出されるって……」
「違います! 違います! 妹が受験だから遊ぶなら出てけって言われただけです!」
「あーー……それはまた、ドンマイ」
笑いながら運動靴を履くと、毛布を抱え隣の部屋に消えていった。ちょっとした興味でその部屋をのぞき込めば、ベッドがいくつか置かれ、日向はクローゼットの中に毛布を投げ込んでいるところだった。
「ここって事務所なんですよね?」
「そうだよ。ここは仮眠室。大戦の頃に拠点に使われてたんだって」
「へぇ……」
「ところで、なんか用があったんじゃないの?」
仮眠室から外に出ると、日向は冷蔵庫に向かい、開封済みのお茶に口をつける。
「えっと……その、俺、カクリシャのこととか全然わからなくて、下の資料も見たんですけど」
「視えるのに知らないの?」
頭の上から聞こえる声に、視線を上げるが誰もいない。
すると、突然逆さまになった顔が飛び出してきた。
「うわっ!?」
さっきソファに寝ていたのとは似ているが、今度は黄色い。
「仕方ないよ。最近じゃ、カクリモノごとカクシリャもロクに教えないもん」
お茶を一気に飲み干すと、少し考えたあと、本棚に向かい何かを探すようにいくつも本を引っ張り出しては閉まっている。
頭の上には相変わらず黄色い生き物。重くはないが、どうすればいいのかわからない。
「ねぇ、君」
「ん? なに?」
「えっと、君は……」
「ボクはライキ。アッチにいるのがフーキ」
「ライキとフーキ?」
「そうだよ」
「あった」
渡されたのは、一冊の本。タイトには『カクリモノ教本』。
「これ、警察とか軍が使ってる教本なんだって。基礎は変わんないし、見てみれば?」
「ありがとうございます」
「じゃ、私はやることあるから」
そういうと、日向はエレベーターに乗ってどこかに行った。荷物を置いたままのため、おそらくこの建物の中にはいるだろう。
干川はソファに座り、本を開く。
カクリモノは、カクリモンから現れ、かつて大門が現れた時は”カクリヨ大戦”と呼称されるほど、大きな戦いとなった。
現在、技術の向上、カクリモノは力の減少により、通常の人間でも対処が可能となった。
カクリモノに対しては、”祓魔弾”を使用することで倒すことができる。
ただし、憑依型に対して憑依された人間からカクリモノを引きはがすことは困難であるため、被害を増やさないためにカクリモノごと討つこと。
カクリシャによる除霊も可能だが、危険な行為のため推奨されない。
戻ってきた日向は、斜め前に座り風呂敷を広げる。
「これ、ひどくないですか?」
「なにが?」
箱を開けようとしたところで、不思議そうに顔を上げる日向に、憑依型について言えば、困ったように頬をかいた。
「でも、事実だと思うよ? 前に見たでしょ。アレ、どうにかしろって相当大変だよ」
「そ、それはそうですけど……除霊ってそんなに難しいんですか?」
教本にこれだけ書かれるのだから、簡単ではないのだろうが、あの時日向は簡単に行なっているようにも見えた。
「難しいっていうか、正式なのはめんどくさい」
「めんどくさい?」
「念仏とか祝詞とか唱えるんだよ。聖水にしっかり漬け込んだ状態で」
唱える時間も、カクリモノがどこまで魂を侵食してるかによって代わり、完全に融合し、喰い尽くされていれば、引きはがすことは無理らしい。
しかし、日向のやっていた方法はかすりもしていない。
「私はめんどくさいから、憑いてる奴が苦手な属性であぶり出すか滅殺するかだし」
「前のは”金”だったから”炎”のエンキであぶり出したってわけだ」
今度は緑色の方だ。名前はフーキ。
日向が箱を開ければ、そこに入っていたのはお守り。ただ干川の目には、腕が中から出ているように見え、思わず身を引いた。
その様子に日向が不思議そうに目をやる。
「な、何か出てますよ!? それ!」
「出てるよ。だから、封印し直してくれって言われてるんだし……って、もしかして、具体的に見えてるの?」
何度も頷くと、興味深そうに目を輝かせると、どんな風に? と聞かれた。どうやら日向には見えていないらしい。
観測者でなければ見えないものは多いらしいが、ライキとフーキが雑に何かを殴ったり蹴ったりしてから、物理的に押し込んでいる様子でなんとなく察せはするらしい。
今も乱雑にお守りの中に押し戻されている。
「……なんていうか、案外アナログなんすね」
「確かに……まぁ、飛び出してるのは押し込まないといけないし」
「詰めたぞ!」
腕はすっかり中に入れば、そこから封印するのはアナログではないらしく、日向がお守りの口を押さえると、
「不浄なりし影を収めよ」
唱えると同時に光の網のようなものがお守り全体にかかった。
「はい。終わり。風鬼も雷鬼もありがとう」
お守りは元の持ち主に返すそうだ。
仕事が終わり、風呂敷を包んでいれば、エレベーターの開く音に目を向ければ、斎藤がいた。
「んだよ。ガキとガキしかいねーのかよ」
「すばらしいくらいに、どっちのことかわからないな」
「確かに……」
「っせーな。つーか、門無かったじゃねーか」
「探してないの間違いじゃなくて?」
「探したっての」
干川の隣に乱雑に座れば、日向も風呂敷を結び、全く信用していない相槌をうつ。
ここ数日でなんとなくだが、斎藤がまったく信用ならないのだけはわかった。今回もしっかりと探しているとは思えない。
「ま、午後には榊さんも帰ってくるだろうし――」
日向が言い終わる前に、斎藤に襟を掴まれエレベーターに引きずられていく干川。
「え゛!? えぇぇえええ!?!?」
そのままエレベーターの中に消えていった。
******
プィギェェッッ
壁に突き刺さった小刀が小さな魚のようなカクリモノを壁に縫いつける。まだピチピチと跳ねているが、徐々にその動きも収まってきている。
結局、強引につれてこられた干川が見たのは、小さな門。これがカクリモンというらしい。
「あの、門ってこれですか?」
「あ? どこだよ」
どうやら斎藤の目には、すでに見えなくなっていたらしい。そこから出てきていたカクリモノがいることを伝えれば、相当嫌な顔をした後、追跡が始まった。
追跡開始から十数分。一目見たその瞬間に、今の状況になった。
「テメェがいるとラクだな。今度から全部お前がやれよ」
「んなムチャな……」
「気合でなんとかなんだろ」
「なりませんって」
「しろよ」
「できません」
睨み合いが始まったものの、斎藤はため息と共に頭に手をやった。
「腹減ったな。奢れよ」
「年下にたかるなよ……!」
「うっせーな。歳は関係ねェよ。持ってる奴が持ってない奴に奢るだけだろ」
「アンタの方が持ってそうだけど……これだって本当は斎藤さんの仕事でしょ?」
それには何も返事をせず、頭をかくだけ。その答えは、干川の予想外の場所から降ってきた。
「サイトーは金遣いが荒いから、いつも金欠なんだって」
頭の上から聞こえてくる声。まさかと見上げれば、驚いたような声と共に髪の毛が引っ張られる感覚。
「雷鬼!? いつから!?」
「なにいってんだ。お前。最初から乗ってたじゃねぇか」
「嘘ォ!?」
頭から雷鬼を捕まえ、手に乗せれば不思議そうに首をかしげている。
「君、ここにいていいの? 日向さん、心配してない?」
「大丈夫だよ」
「んなことより、早く行こうぜ」
よくあることなのだろうかと頭を悩ませながら斎藤についていけば、雷鬼が何かに気がついたように体の向きを変えた。干川も同じ方向を見れば、ジャケットを手にもった日向の姿。
斎藤も気づいたらしく、自然と足取りはそちらに向く。
「すみません……頭に乗ってたみたいで。それに本も持ち出しちゃったし」
「気にしなくていいよ。雷鬼が楽しくてしたことだろうし。本は榊さんが別に持ってっていいって」
干川の手の中で寝そべる雷鬼に小さく笑うと、思い出したように干川の方を見た。
「それから、時間がある時にまた事務所に来てくれだって。もし、色々手伝ってくれるならバイト代出すって」
「え……バイトになるんすか?」
「なるよ」
素直に驚いていると、隣にいた男が「飯、飯」と騒ぎ始めたため、三人は近くの牛丼屋へと向かったのだった。




