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カクリモン  作者: 廿楽 亜久
4章

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36話 最後の一手

 生き物としての本能が悲鳴を上げた。


「――」


 声より、なによりも早く、後ずされば、無くなった足場に従うようにガレキの下へ落ちる。


「イタッ!」


 反射的に頭を抑えたが、見上げた黒い影に、慌てて転がるように距離をとった。

 体の横で砕けるコンクリート。


「……」


 黒鬼に追われるサンを横目で見ながら、ルナは至極めんどくさそうに視線を日向に戻す。

 今だに、死骸にその辺のガレキ、果ては破損した部位にまで憑依させて襲わせているのに、周りにいる精霊のおかげで、日向には体液ひとつ届かない。

 だが、黒鬼は術師であるサンを仕留めようと動き出した。つまり、もう長く付き合うつもりはないということだ。

 使役者には、必ずフィードバックが存在する。

 見た目では、日向のフィードバックはわからないが、限界が近く、さっさと決着をつけたいというところなのだろう。


「ふーん……」


 あんなザコの憑依では、日向に届かないが、黒鬼がいない今、自分の手なら届く。

 たぶん、一手だけ。だが、一手届けば、奴の首が切り裂ける。


「ヒヒッ……」


 踏み込めば、頬を切り裂く風と雷の刃。

 あと三歩。


「我は結びし汝の力」


 引き裂く音の間に聞こえた、契約の口上。


「刻め、我が名は結鬼」


 この場に、日向と契約している以外の精霊はいない。

 ルナの呼び出したカクリモノも契約できる範囲にいない。

 なら、この契約は、


「応えよ、汝の名は”ルナ”」


 ルナに当てられたものだ。

 思考が追いつかなかった。

 どうして、力の契約を、ここで自分としようとするのか。


 あと、二歩。

 あぁ、自分よりも強いつもりがあるのだ。契約して、押さえつけられる自信が。

 そうすれば、周りにいる奴ら諸共抑えられる。


「――イイヨ! バイキングだ!」


 口元が大きく歪み、強制契約ではなく、自ら受け入れる。

 驚いたように目を見開いた日向が、おかしくて堪らない。


 あと一歩。

 この手が切り裂くより早く、目の前の人間から力を吸い取り、巻き上げる。

 この人間の力さえあれば、鬼にだって楽勝――


「ル、ナ……?」


 それは一瞬のことで、ルナは何も理解することもなく、赤黒い炎を上げて燃えた。


「ルナ、待って! ヤダッ!! ヤダよ!! イヤァァァァァァァァアアアアッッッ」


 燃える手を掴むが、崩れて落ちる。

 想像以上に熱かったそれに、日向も慌てて距離を取り、自分の体の中も熱いことに、体を振って冷まそうとするが、なかなか冷めない。


「アチチ……」

「ユーキ! またムチャしたな!?」


 冷たい風が体に巻き付くように吹く。


「あー……涼しい、けど、中はやっぱあっつい……!」


 サウナ後の扇風機の前を陣取ったような、なんとも言えない気分を味わいつつ、ルナへ目をやれば、内部だけではなく体も燃えていた。

 力の契約をすれば、日向とルナの力は繋がり、どちらからでも吸い上げることもできる。それは、黒鬼の炎が直接ルナへ流し込めるのと同意義でもあった。

 もしかしたら、中身だけ燃えるかもと思ったが、どうやらムリだったらしい。


「まぁ、そもそもあそこまで憑依されてて、まともな意識ある方がありえない、か」


 燃え上がる炎の中、人の影がこっちを見ていた。

 泣き叫ぶ女の子によく似た女の子が、こちらを見て、悔しそうに舌を出して、消えた。


「…………ぁ、あー……あははは……そう、うん。そう」


 まだ残ってたのか。

 しかも、嫌だと叫ぶわけでもなく、アレが答え。


 消えた炎の後に残ったのは、元が何かもわからない煤だけ。

 こちらに向かってきていたはずの死体たちも、すっかり元の姿。残ったのは、放心して座り込んだサン。


「殺すか?」


 黒鬼の問いに首を横に振った。

 あの様子では、もう襲ってこないだろう。日向は大きく息を吐き出した。


***


 遠慮なしにえぐりこまれる頬の肉に、目を開ければ、雷鬼が羽で日向の頬を持ち上げていた。

 それから、干川と梶、それに大きな犬。


「…………はい?」


 寝る前の記憶を辿れば、ガレキの少ない足場に移動して、混線している無線や繋がらない宮田を待つ間に眠気が来て、眠ってしまった。

 普段に比べて力を使っているから、フィードバックがくるのはわかるし、ここで眠ったところで黒鬼や風鬼、雷鬼が絶対に守ってくれるので問題はないが、目の前のそれの方が問題だった。


「だ、大丈夫ですか? 日向さん」

「いや、そうじゃなくて……えぇぇっと……」


 寝起きで回らない頭では、言葉が出てこなかった。

 なんでいるの? そんな単純な質問が、声にならない。

 日向が言葉に詰まっていると、騒がしい声と足音がこちらに近づいてくる。


「おい! クソガキ! 終わった――ンデ、いんだよ?」


 斎藤も意外だったのか、眉をひそめて干川たちを見た。

 日向も何度も頷いている。


「あ、えっと……」

「俺、ホッシーの付き添いっす」

「ハァ? ホモかよ」

「いやいや、さすがにひとりで行かせるのも心配で……この人? も、見た目かっこいいけど、なんか、ポンコツが滲み出してるっていうか……」

「なっ……! 我のことを莫迦にしたか!?」


 尻尾を立てて威嚇する狛犬は、確かに強そうだが、どこか不安になる気持ちもわからなくはない。

 狛犬の怒りを、のらりくらりと躱している梶に、ようやく回り始めた頭で干川に聞く。


「なんで戻ってきたの? というか、警部たちは? 死んだ?」

「生きてますよ!? 要を破壊して、しばらくして軍の方々が来てくれて」


 四人は一度は保護されたという。結界も破壊しなかったため、中に入れば安全だと、戦いが終わるまで出るつもりはなかったのだが。


「逵中さんが負けてるって聞いて……」


 何かできるのではないかという気持ちと、自分が行っても足でまといになるだけだという気持ちがせめぎ合い、察した狛犬に連れていってやると言われたのだ。


「弱点とか、視えないかなぁって……」

「お前、一回会っただろ。視えたの?」

「み、視えなかったです……」

「実はコイツ、俺よりバカなんじゃねーか?」

「サイトー、バカって自覚あったんだな」

「あ゛?」


 斎藤から抜け出し、日向の手の中に収まった炎鬼を労うように撫でれば、声を上げたのは狛犬。


「だが、力がなくとも志を持つなら、それを守り導くのも我の役目だ」


 なんとも頭痛が痛くなるような内容だ。


「ね?」


 こいつらだけにできないでしょ? というように、同意を求めてくる梶には、賛成しよう。きっと、止めたのだろう。

 梶も、警部も倉田も。


「……なら、せめて警部とか、軍がいたならガチの人もいたでしょ」


 表情が固まった。

 たぶん、その辺、話し合う間もなく、梶が手を挙げてついてきたのだろう。


「……」


 言いたいことが多過ぎる。そもそも梶は本当に異能の力がない。この辺はまだマシではあるが、ミントのところに行けば、呼吸だってまともにできるかわからない。

 干川はその辺は平気だろう。だが、単純に戦う能力がなければ危険なだけだ。

 しかし、ここまで来てしまったことも事実。


「つーか、テメェ、その刀で戦う気か?」


 斎藤の言葉に、目をやれば、梶の手には、確かに日本刀が握られていた。


「ここに来る時に拾ったんすよ。無いよりはマシかなって」


 胸を張って、刀を握ってみせるが、全く戦えそうにない。


「無いほうが早く走れんだろ。重り持ってどうすんだよ」

「これでも、剣道やってますよ? 学校の体育で」


 真っ直ぐ、折れずに輝きを放っている刀。


「でも、これのおかげで俺たち、ここに戻ってこれたんですよ?」


 道という道がわからない状態で、たまたま見つけた逵中の作った刀。これのおかげで、ミントと逵中が戦う場所を探し、日向を見つけることが出来た。

 これがなければ、もう少し時間が掛かっていただろう。


「呪いのアイテムか。見つけねェ方がよかっただろ」


 見つけなければ、ここに戻って来れなかったかもしれないのに。そうすれば、戦いに首を突っ込もうなんて考えなかっただろう。


 いや、違う。

 知っている。こういう人間を。


『たとえ勝てなくても、君を逃がす時間は稼げる。いや、稼ぐ。だから、逃げたまえ』


 てこでも動かない人間を知っている。


『人を助けるのに、理由が必要なのか?』


 必要に決まってる。


『なら、今度考えておく。そして、答えよう』


 結局、答えてもらってないから、たぶんまだ思いついていないんだろう。

 思い出したら、なんかムカついてきたぞ。あの人、理由もなく、死のうとしてるのか。


「ねぇ、干川君。もう一回聞くけど、この先に行っても、死ぬよ?」


 表情が強ばった。

 要の時とは違う。今回は、本当に死ぬ可能性が高い。


「どうして行くの? 死ねるの? いや、死ぬのはいっか。なんとなくで遊べるのは、力のある人だけだよ。君はないでしょ」


 視えるからなんだ。回避する力も倒す力もないなら、ただ死ぬ瞬間が視えるだけじゃないか。

 自由に過ごす権利はない。


「……わからない、です」

「なら――」

「でも! 後悔、します。絶対に」


 それが嫌だから、せめて、何かしたい。

 まっすぐに見つめられる目。似てる。


「結鬼。灼くか?」

「えぇぇえ!?」


 黒鬼の言葉に、干川が慌てるが、日向の大きなため息に黒鬼もその視線を日向へ戻す。


「で、でも、逵中さんを助ける方法考えないと」

「簡単にいってんじゃねェーよ」


 背中を蹴られた干川が呻く。


「さっき見てきたが、ありゃ、誰かが横槍入れられるもんじゃねェ。フツーに死ぬ」


 実力はある斎藤がいうのだ。間違いないのだろう。


「だいたい、技術では届いてんのに、力が届かねェって、勝てるわけねェだろ。やるなら、逃がす方だ」

「どっちも逃げる機会伺ってるならいいっすけどね……これがラストチャンスで襲ってきたら、厳しいんじゃないっすか?」


 梶の言うとおりだ。逃げるきっかけが欲しいなら、まだ手の出し用があるが、ミントが次のこの計画を実行できないから。と、せめて逵中を倒そうとすれば、逃げることも難しいだろう。

 手を貸してくれる部隊は、多分ない。

 天魔波旬をなんともできないから、逵中がひとりで戦い続けているのだから。


「……」


 ふと目に入った逵中の刀。

 折れず、今だに鈍く光り続けている。


「それ貸して」


 不思議なもので、逵中(みかた)のためなら、この手を差し出すことに違和感はなかった。


「あ、はい」


 梶に渡された刀は、やけに重かった。


「おい。何する気だ」

「打ち直す」


 意味を確かに理解した斎藤は、日向の手から刀を奪い取った。


「なら、テメーより俺のが得意だ」

「火傷するよ」

「上等だ」


 ニヒルに笑う斎藤に、日向は呆れたような目で笑う。


「梶君。君は、ここまで。いい?」


 確認ではなく、命令の笑みに、梶は一度干川や斎藤を見たが、これ以上自分がついていっても何かできることはないどころか、本当に足でまといになってしまう。

 縦に振った首に日向は、安心したように息をつくと、黒鬼たちへと振り返った。


「手伝って」


 それは、心底楽しそうな声色で。


「誰も倒したことがない天魔波旬を倒す武器なんて、楽しそう」


 難色を示した風鬼は、少し迷った仕草をした後、黒鬼へと目を向けた。


「ユーキが楽しそうだからな。いいが……」

「そうだね。楽しそうだよ」


 黒鬼を見る目は、睨んでいるようだった。

 そんな視線を後目に、日向へと近づく黒鬼はその頬へ手をやり、嗤う。


「悦と共にあるは、鬼と人間の業だ。いいだろう。結鬼。唱えよ。汝の悦を」


 死ぬなよ。人間。

 赤い視線が斎藤を貫く。


「上等ォッ」


 手の平から汗が滲む。


「結鬼が名をもって契約せし者に命ずる”天魔波旬を倒す武器を作れ”」


 熱、風、雷、炎、氷、水。干川の目ですら、その全てを捉えることができなかった。

 ただ、ただ恐ろしかった。目の前で収束する災害に似たそれが。少し離れている自分でこれなら、中心で刀を握る斎藤はどうなっているのか。

 だが、信じるしかない。

 後退りそうになる足を、必死に踏みとどまらせた。

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