35話 破壊
「数だけは多いな」
くだらないとでも言うように息を吐き出す黒鬼は、後ろで騒がしく喚く無線の音を聞く日向に目をやる。
「ヘッドショットで死なないって、閃光弾でも食らわせろってことなのかな?」
「波旬か」
「知ってたの?」
「魂での契約だ。人間相手だとでも思っていたのか」
天魔波旬により魂すら自由はない。
人間が精霊を殺したことがあるか? いや、ない。
そもそも精霊は殺せない。唯一、目の前に存在する、異端な存在、鬼を除いて。
「ミントさんは、人間っぽいけどなぁ」
「人間も精霊も変わりないのだろう?」
「見分けくらいはつく」
少しだけ不貞腐れたように黒鬼を見上げれば、小さく笑われた。
「見分けか」
「それだけできれば十分でしょ」
「そうだな。それでどうする?」
黒鬼の言葉で、ようやく今の状況を再確認する。
相変わらず、引きちぎれた体を引きずりながら襲いかかってくるゾンビに、時折日向を狙っては黒鬼に阻まれる術師のふたり。
正直にいって、勝てない戦いではない。というか、勝てる。
早く済ませて、干川たちを追いかけるか、斎藤に手を貸して、ふたりで追いかけるか。問題なのは、その程度。
「……」
ただ、気になっていることがひとつ。
「楽しそうなオシャベリ! 混ぜてヨ!」
また襲いかかってきたルナが、黒鬼に腕を抑えられる。
その目は、瞳孔は、やはり開ききっている。
「じゃあ、聞くけど、君、死んでるよね」
口元が大きく歪んだ。
「死んでないヨ!」
強く吹いた風に、足元からすくい上げられる。
バランスを崩した視界に、映ったのは、ルナによく似ているけど、血色のいいサンの顔。
日向に抱きつけば、その腕はカクリモノのように変形した。
「つーかまーえたっ」
「ルナちゃんは、キャラ変でもした?」
その言葉にピタリと止まった異径の腕。
「キャラ変? 知らなーい。覚えてないもん」
無邪気に笑ったサンに、日向も驚いたように目を見開く。自覚があれば、まだ良かったかもしれない。
覚えてないというのは、おそらく彼女のフィードバックが”記憶”なのだろう。
「よくわかんないけど、オネーチャン、死んで?」
腕が日向の腕を貫こうとした瞬間、熱が渦巻いた。
飛び退くふたりに、支えられる肩。
「オネーチャンも、鬼?」
「違うヨ。サン。アレは、力を契約してるから、あの鬼が人間の力に炎を流したんダヨ」
日向の周りに渦巻いた粘度のある炎は、日向を傷つけることなく、消える。
「困った……記憶なしじゃ、たまたまやらかした事故か、マッドか、死を受け入れられなかった子か、というか、身元すらわからなくない。
できるだけ身元ははっきりさせたいって言ってたけど……うーん……」
なんであれ身元ははっきりさせたいというのが、政府や警察の指示だった。
それこそ、何が隠れているかもわからないこの世の中で、事故か故意かは、わりと責任問題で争点になる。
周りからすれば。
だが、こういうときに限って、当事者というのは、その点が至極どうでもいいし、めんどくさい。
事故のような故意に、故意のような事故。どっちもあるし、その言い訳は言っている本人ですら呆れるときがある。
「めんどくさいなぁ…………ん。決めた」
一度頷くと、日向は支えてくれている黒鬼へ微笑んだ。
***
激しく揺れる車内が、一際大きく揺れて止まる。
「べっ」
窓に叩きつけられながらも、見えた外の様子。干川でなくても見える。
カクリモノの群れ。
「うわぁ……」
しかし、干川にはもうひとつ見えていた。
結界と間近に迫った要。
「あの中です!」
間違いなく、あの敷地内に要がある。
「とは言うがな……」
警部も先程までの勢いとは違い、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
残弾は、ない。
だというのに、ようやく見つけた細川庭園の前には大量のカクリモノに結界まで。
応援を待つにも先程から無線には、交戦中というものばかり。ほぼ確定とはいえ、防衛のための準備は怠っていなかったらしい。
「あの、俺、この珠で喚んでみます」
干川が取り出したのは、日向から渡された珠。
関わりのある精霊が呼び出されると言っていたが、正直に言って、精霊の知り合いにあまり、覚えがない。
何が出てくるかはわからないが、今、できることは多分それだけだ。
干川は、もう一度手の中の珠を見ると、頷き、車を降りた。
「”我と縁あり精霊よ。呼び掛けに応えよ!”」
言われたとおりの言葉を述べるが、反応がない。失敗かと思った、その時、目の前の空間が光り始めた。
光は徐々に収縮すると、見覚えのある小さな形になる。
「全く、今の呼び出しに応じる精霊なんているわけないだろ! 術もまともに使えぬ人間め!」
小さいながらも、態度だけは大きな狛犬。
「あぁ! 神社の!」
「ん……? あぁ、あの童か。なるほど。まともな呼び掛けではないわけだ」
「え、ごめん……初めてで、その……そういえばいいって言われて」
「霊力もなしの呼び掛けなど……全くまともな師ではないな」
「日向さんです」
ピンと張っていた尻尾が、日向の名前を出すと、呆れたように垂れた。というよりも、どこか心当たりがあったようで、もう何も言うまいという目をしていた。
「まぁ、良い。人に助けを求められれば、出向き、話を聞くのも我の仕事だ」
しかし、状況はわりと明白。
目の前に明らかに張られている結界と近くのカクリモノ。それに、ここにいる四人の人間。
「ちっこいワンコ。狛犬?」
干川が説明していると、梶や警部たちも車を降りてやってきた。
そして、いたのがこの小さな狛犬では、少しばかり期待ハズレとも言えなくはない。
「うん。前に神社にいた狛犬」
「要は、あの建物の中の要を壊すのだな?」
しかし、流暢に話す言葉が、目の前の狛犬が精霊の中でも上位であることを裏付けていた。
「あいわかった。その珠を寄越せ」
「あ、はい」
干川が珠を渡せば、途端に自分たち以上の大きな狛犬に変化した。
「ど、ドーピング!?」
「違う! この姿が本来の姿だ」
確かに、普段から境内にこんな大きな狛犬がいたら怖い。
着ぐるみなんて比ではないほどの大きさだ。それこそ、人間ひとりくらい丸呑みできそうな大きさ。
「それで、どうするんだ? 結界を破壊して入るのか?」
「莫迦め。あの結界は人払い、カクリモノ払い。本来は人を守るための術だ」
破壊はできるが、破壊すればカクリモノも中に入ってくる。力のない四人を守りながら、要を破壊するのは難しい。
故に、結界は破壊せずに中には入り、要の破壊に集中する。
「入れるの?」
「門というのは、結界内と外を繋げる唯一の物だ。そこからならば、入れる。
近くのカクリモノは我に任せよ」
そう言って門の前へと躍り出た狛犬は、ひとつ咆哮を立てると、カクリモノに噛み付いた。
「意外に強いぞ……?」
「冗談言ってないで行くぞ!」
梶が驚いている間に、警部が首根っこを掴み、走り出す。
門の前にいたカクリモノは、狛犬によってあっさりと姿を消した。
門を抜けた途端、待ち構えていたミントの仲間が銃を構えている。なんてこともなく、誰もいない妙に静かな空間が広がっていた。
「あ」
燈籠だ。
池の傍に置かれた燈籠に駆け寄れば、魔方陣が埋め込まれている。
「これだ。これです! 要!」
日向と共に壊したものに似ているが、明らかに違う。複雑さも、輝きも。
梶や警部たちには見えないのか、眉をひそめているが、干川がはっきりと指を指す様子に、疑うつもりはなかった。
「あとはどう壊すか、だが……」
物理的に壊せるならいい。燈籠も、今ショベルカーでも持ってきて、破壊できたなら簡単なのだが、持って来られそうにもない場所だ。
銃で壊すにも、まず難しいだろう。
「本当に、なんの手立てもなく来たのか」
後ろから追いかけてきたのは、小さくなった狛犬。
「ガス欠?」
「門から入るために一時的に小さくなっただけだ」
確かに先程までのサイズでは、門から入るには、少し大きいかもしれない。
狛犬は、ちょこちょこと前に歩いてくると、燈籠の前で止まる。
そして、咆哮と共に放った光に、魔方陣が塗り消されていった。
***
最初にその変化に気がついたのは、術師本人だった。
次に知ったのは、要破壊の報告を受けた人々。
どちらも、自然と空に浮かぶ魔方陣を見上げ、消えかけているそれに、その情報が本当だということを実感した。
「……」
互いについたため息の意味は、きっと違う。
「細川小夜。これで、お前たちの計画は終わりだ。大門は開かれない。大戦も、起きない。
諦めて投降すれば、命の保証はしよう」
事情が事情なだけに、公的に裁判が行われるはずもない。たとえ、裁判が開かれたとしても、これだけの犠牲を出した事件だ。
死刑ではあるだろうが。
「命の保証、か」
「あぁ。俺たちは、逵中は、君やミントのような存在を守るために、天ノ門を作った。だから――」
「殺せないの間違いだろ」
微かな足音に、壁から背を離し、駆け出す。
先程まで背中のあった位置には、風を斬る音。
「くっ……」
銃を構えれば、目の前に迫る切っ先。
「君は、俺たちを、憎んでいるのか?」
「……どうして、同じことを言うんだ?」
心底不思議そうな表情で、小夜は榊を見下ろした。
小夜にとっては、不思議で仕方なかった。物心ついた時からクローンということも、存在がなかったことも、当たり前のことで、不平等などひとつもなかった。
ただひとつ、特別なものがあるというなら、それは、
『小夜。アイス食べに行きましょう! とびきり美味しいの!』
そういって、手を掴んだ彼女だけだ。
その手を取った。だから、彼女の計画に手を貸す。彼女の笑う、その姿が恋しくて。
その暖かい手が、体が恋しくて、触れていたくて。
だから、この刀を振るう。
互いの腕が、指が動く、その瞬間。けたたましい音を立てて吹っ飛んできたなにか。
「「!!!」」
どちらの敵で、味方かわからない砂埃を立てたそれに、ふたりは反射的に距離を取り、様子を伺う。
そして、聞こえてきたのは、聞き覚えのある声。
「――テェェェエエエッッ!!」
騒がしい声と共に、立ち上がったまさにチンピラの容姿の男。
「岳?」
「ア゛? 榊さん? んで……ゲェ……」
今になって、小夜の存在に気づき、小夜にも目を向けつつ、主に目を向けているのは、斎藤が吹き飛ばされてきた方。
先程から、確かに近づいてくる音は聞こえていたが、斎藤を吹き飛ばすほどかと、実力者へ目をやれば、半分人間の形ではなくなった人間。
「なんだ……あれ……」
「カマヤロー!」
「カマ……? って、栗林か!!」
既に見た目は知らないものに変わっていることは聞いていたが、その情報からもまたひとつ進んでしまっている。
体の半分をカクリモノに明け渡しているらしい。あの状態になった人間は、命こそつなぎ止められても、五体満足とはいかない。
「あらァ? 小夜チャン、じゃなァい」
「意識はあるのか」
「自暴自棄になったとでも? ヤーね。そんなわけないじゃない」
笑う栗林は視線だけ榊へ向けると、上がっていた口角を下げた。
「アタシが欲しくて、欲しくてたまらないものを捨てた、奴がいるじゃなァい」
銃口を栗林に向ければ、目尻が下がる。
引き金を引けば、栗林もビチャリと嫌な水音を立てて動き出した。
榊にではなく、小夜に向かって。
「ぇ」
人間離れした動きに、小夜は栗林と共に崩壊した建物の群の中に消えていった。
「逃げた!? あのヤロ……!!」
「待て。岳」
榊の制止に、追いかけようとしていた斎藤も足を止める。
「あの状態だ。建物ごと壊されたら、いくらお前でも死ぬだろ」
「……たぶん」
「死ぬよ。絶対に。それに、あの状態は長くは持たない。術が解ければ、栗林はまともに動けない。無理に動くな」
「……ういっす」
遠くはあるが、包囲網は敷かれている。そこから抜け出すには、栗林だけは不可能。問題は小夜だ。
包囲している部隊へ、栗林たちの情報を伝え、栗林たちの消えていった建物の群へと向かった。
「――っ、はァ……あの短気、来なかったわね」
息を切らせながら振り返る栗林は、小夜を離す。
「ほら、逃げなさい」
予想外の言葉に小夜が驚いていれば、栗林は大きくため息をつく。
「なに。その顔。状況わかってる? 大門は開かない。大戦は起きない。ただの負け戦」
「あぁ、けど」
「知ってる。別に、アンタたちは、世界を壊したいとか社会に復讐したいとか、そういう理由で動いていないことは。
もっとくだらないことで生きてるってことも」
自分でも嫌気が差す。どうして、力をもっている人間ほど、戯れのような理由しかないのか。
「ミントと生きるんでしょ。なら、逃げなさい」
彼女にとって、この戦いは、ただミントと共にいたいというだけ。ミントの願いというだけ。
「今のアタシ以上に、あいつはバケモノなんだから、死ぬわけない」
死ねないの間違い、か。
「だから、アンタは逃げる。そして、ミントを待ちなさい」
崩れかけのビルの階段を上る。
体のどの器官も自分のものではない気がして、実際そうか。頭以外は、ほとんど侵食されてる。
「あぁ、でも、ホントくだらない」
恋人が、誰にも認知されずに死ぬのが許せないからと、世界を壊そうとするなんて。
自分の誇示ではなく、恋人の誇示なんて。
「やっと見つけた」
目の前にいる人影。
やっぱり追いかけてきた。
「ふふ……」
自然と喉が震えた。
「意外に、好みよ。心中してくるなら、サイコー、ね」
大きく音を立てて崩れたビルに、榊も慌てて駆け寄る。
妙な水の撒かれ方からして、栗林が破壊したものだ。そして、おそらく誰かを巻き込んだ。
「……」
まだ砂埃の収まらないガレキを睨めば、後方上部から聞こえた声。
見上げれば、斎藤が向かいのビルに小刀を突き刺してぶら下がっていた。
「前言撤回」
ため息をつくしかない。
「おーい。降りられそうか?」
「なんとかー」
まだ元気のありそうな斎藤に、笑みを零す。




