30話 小さな夜
「――で」
人を殺せそうなほど冷たい視線を向ける日向の視線の先には、少しだけ戸惑った様子の逵中。日向の隣には、呆れた表情の斎藤。
「『私が守る』って……」
「ダンナらしいっていやーまぁ、らしいが」
あの時、逵中は『私が守る』と答えた。
それこそ、聞いた本人ですら驚いて数秒固まってしまうほど、予想外の答えで、逵中という男らしい答えだった。
「ムチャだろ……ミントの戦いっぷりは遠目で俺も見たけどよぉ。コイツが担当した方がマシだろ」
日向を親指で指せば、足を踏まれた。
「ッテェナッ!!」
「でも、事実だと思います。というか、逵中さん、普通に死ぬでしょ」
「はっきり言うなぁ……」
無視されてキレそうになった斎藤も、つい言葉を漏らした榊と同じような表情をしてしまった。
「え゛、だって! あの時だって!」
初めて天魔と対した時だって、逵中は勝てる勝てないの算段の前に、日向を逃がそうとした。自分のことなど気にせずに。
「あの時は、結局結城君に全て押し付けてしまった」
「確かに一日寝落ちしたけど……って、そうじゃない! だいたいミントに切りかかったら自動防衛で燃えるっていうのは、どうするんですか?」
「それなら、防具が完成したよ。あくまで、自動防衛程度の炎しか防げないし、数もないけど、無いよりマシでしょ?」
「うむ。それを着れば、私でもミントと正面で戦える」
得意気な逵中に、日向も困ったように頬をひきつらせた。
「言い負かされんの速ェな」
「うるさい。てこでも動かない巨人どうやって対処しろと」
「殴る」
「なるほど」
「お前ら、微妙に仲いいよな……ホント」
榊がため息をつきながら止めれば、目が据わり始めていた日向も少しは頭が冷えたのか、落ち着いてきた様子。
「そういえば、小夜さんって人、ミントの恋人ってくらいしか知らないんですけど、なんなんですか?」
「……むしろ、そのことが初耳だよ」
榊の言葉に、周りを見るが、驚いた顔の逵中と宮田に驚くというよりも困惑した表情の榊と斎藤。
「あー…………はい。すみません。今のは、忘れて、話を進めていただいて、いいです、か……?」
「う、うむ……」
逵中も一度咳払いをすると、斎藤も日向も小夜のことは手配書などの資料で見る程度だが、ここにきてから妙に聞くようになり、名前を出すのは極一部。決まって上層部だ。
それだけで、あまりよくはない話なのは察せた。
「それには大戦の終結から話す必要がある」
かつて、大門が開き、永遠に絶え間なく落ちてくる強大なカクリモノに、人々もどうにか大門を閉じようとしていた。
全国から能力者を集め、力づくで閉めようとしたこともあったが、結局は失敗。途方に暮れた時だった。
とある二人が、大門の構造を解析し、閉じ方を見つけた。
「彼らは”観測者”だった。彼らは視たままに、それを書き上げ、解析した」
術と呼ぶには、あまりにも複雑で今までの術のルールからは逸脱していた。故に、カクリシャは門を閉じることができなかった。
二人のおかげで、大門は無事に閉じ、戦いにも終わりを迎えることになった。
同時に、政府は観測者の重要性に、改めて気づかされることになった。数が少なく、貴重な能力者。だが、無理に力を行使すれば、命に関わる。
政府は頭を悩ませた。
「観測者はどこも欲しがっているからね」
「それは、朱雀君を見ればなんとなく……」
生まれた時から片目を対価に、観測者紛いの目を手に入れようとする家があるくらいなのだから。
「政府は観測者を増やすための研究が必要だと悟った。そして、彼らはそれに好都合な存在だった」
大門の構造から、ふたりの観測者は政府と協力し、大結界や小結界を作り上げたが、もしものために、その正確な術については、極々一部の人間しか伝えられていない。
突然現れた観測者ふたりも、信用はされていなかった。結果、信用ならないとふたりは地下室に幽平された。
「そこで研究を続けながら、政府はある実験を行なった。観測者と観測者であれば、その子は観測者となるのか」
人工授精と自然受精による子で行われたが、結果は失敗。
異能力こそ持っていたが、観測者ではなかった。
「血縁関係では観測者が必ず生まれるわけではないことが証明された」
しかし、観測者が欲しいのは事実。
次に行われるであろうことは、容易に想像がついた。
「次に試された計画は、同一個体を作り出すことだ」
「やっぱり……」
想像通りの言葉に、日向もつい顔を手で被った。
「同一、固体?」
「クローンだよ。クローン」
「あ? アレってマジでできんのか? 漫画じゃねーのかよ」
「できるよ。理論的には。倫理的に禁止されてるし、技術的にも漫画みたいな完全一致なんてできないし。できても内臓取り替えるくらいじゃない?」
「結城君の言う通り、秘密裏に行われたクローンですら、観測者とはならなかった」
それこそ、何度も実験は行われたが、ついに観測者は生まれなかった。
「細川小夜は、クローンの中で最後の個体であり、彼らの最期を看取ったクローンだ」
「一緒に暮らしてたの……?」
「研究施設の整った秘密の牢屋なんて、そう作れるものじゃないからね」
正直、正気を疑う。
自分のクローンが作り出され、場合によっては切り裂き、研究することもあれば、自分たちだって同じことになるかもしれないというのに、何度も、自分たちの研究を伝え続ける。
「結果、細川小夜は大門について、最も詳しい人物といえるというわけだ」
「……」
「それに、我々を恨んでいる可能性は多いにあるだろう。むしろ、これは彼女にとって復讐なのかもしれない」
自分たちが終結させたはずの大戦を再開させ、自分たちを実験動物として扱った自分たちへの。
「本来であれば、秘密の施設で一生を過ごすはずだった細川小夜だが、ひとりになった施設に新しい住人がやってきた」
それが織田揚羽ことミントだ。
「んで、ミントが牢屋ぶっ壊して逃げられたってわけか。むしろ、アイツ、閉じ込められる場所あんすか?」
「それは、こちらの見込みが甘かったとしか言えない。施設そのものも対カクリシャ用の牢屋だったんだが、波旬で試したことなんてないだろうし」
「ああ! でも、今は放出された力を防ぐのに加えて、力そのものを生成させない方法も開発されて!」
「ぶっ壊される気しかしねェ……」
「映画じゃないんだから、大丈夫だよ! たぶん」
とはいえ、現状、最も可能性がある方法で捉える他ないのだから、文句の言いようもない。
「と、とにかく! ふたりが逃げ出した後のことは、みんな知ってのとおり。
他のカクリシャ主義グループとは、一線を介してたけど、現状、カクリシャ主義グループと協力して、大戦を引き起こそうとしてる。主目的は違うかもしれないけど、過程は同じ。
正直、どうすればいいのか……」
「要の破壊。そして、ミントを、天魔波旬を倒す。それだけだ」
部屋に入ってきたのは、京極と白虎だった。
入ってくるなりすぐに視線を向けられた日向は、斎藤を壁にするように背中に隠れる。
「テメッ――」
ふたりとも、京極とは数回会ったことはある。が、その重い空気に耐え切れず、斎藤は以降の集会や呼び出しを極力サボっていた。日向も、理由を何かしら付けているだけで似たようなものだ。
何も言葉を発していないというのに、相変わらず重く鋭い空気に、斎藤も背中に逃げた日向よりも京極の方へと身構えてしまう。
しかし、京極は何も言わず視線を外し、逵中へとやった。
「作戦が決まった」
意外な言葉に榊も静かに息をのむ。
先程の会議では全く進展がなかったというのに、それほど経っていない今、作戦が決まったなどと聞けばいい予感はしない。
「何かあったのですか?」
「外見てみれば、すぐわかりますよ」
白虎に言われ、閉めていた窓を開ければ、空に浮かぶ淡い光を放っている線。
「大門の方陣……」
「嘘、早すぎ……」
予想よりもずっと早い肉眼で見える大門の方陣は、残された時間が少ないことを示していた。
外は慌ただしく、要を捜索、破壊するために何台も車が走り出していた。
「逵中。ミントと戦うと言ったな」
「はい」
「ならば、天魔波旬を倒せ。おそらく、要の破壊は間に合わないだろう」
「了解」
「ハァ!? ムチャだろ!? ミントの場所もわからねェんだろ!? んなもんどうやって!?」
「門を開くのに必ずミントは姿を表す。そこを迅速に倒せ」
なんて無茶を言っているのだ。
誰もがそう思うが、逵中はただただ頷いた。
「――ッテメェは高みの見物かよ!? 所長殿?」
鋭い視線が向けられるが、斎藤も同じように睨み返した。
「あーだこーだいうだけで、随分ラクな仕事だな!」
「……」
「俺よりバカか!? あのミントとひとりで戦えッつーのは、死ねっつってんだよ!」
「そうだ。私は死ねと言ったのだ」
「ッ」
何もかもを押しつぶそうとする空気に、まだ斎藤は食い下がろうとするが、止めたのは逵中だった。
「了解。必ずや天魔波旬を倒してみせましょう」
廊下に響いたプラスチックが破裂するような音。目の前には紙くずや破片が散らばる。
「物に当たるなよ」
「ッせーなッ!! ンだ!? あのクソジジィ! と、カタブツ!!」
鼻息荒く殺気立っている斎藤にため息をつけば、勢いよく振り返られ睨みつけられる。
「はっ倒すぞテメェ」
「飼育係じゃないんだ。黒こげにしようか?」
「……」
「……はぁ。まぁ、あの人が戦いに出ない理由ならなんとなくわかるけど」
「あ゛?」
「真っ向から聞く気がないならここでやめるよ?」
また歩きだした日向を追いかけるように斎藤も歩き出す。
「病気だよ。たぶん、パーキンソンじゃないかな? 前に薬飲んでるの見たし」
「パーキング?」
「錆びたブリキ人形みたいに体が動きにくくなるの。薬が効いてれば結構動けるらしいけど」
「切れれば動けねェのか」
「そそ。だから、あんまり戦いに出ないんじゃないの? 足引っ張ることになるし」
確かに、強い敵と戦う時ほど、動きの悪い味方がいると動きにくくなるのは理解できる。斎藤も、最近は妙に足でまといを庇いながら戦うことも増えたが、戦闘面については気にかける必要がある分、めんどくさい。
「理由は理解できるよ。まぁ、苦手って意味では変わらないけど」
「……チッ」
納得いかなそうな舌打ちに、日向も苦笑いを零す。
「で?」
問題はそこからだった。作戦とはいえない作戦が決まったのはいいが、あまりに殺気立っていた斎藤がいては、話が進まないと追い出され、日向もそれについてきた。
それには、なにかしらの理由があるのだろう。
「干川君に要の場所を探してもらおうと思って」
「……それ、やらねーって言ってなかったか? 耳ついてんのか?」
「”強制的には”って話でしょ? 今のアレ見て、話をして、それで干川君がやるって言えば、解決だよ」
干川の性格上、返事は想像がつく。現状を伝えるということは、手伝わせるということになる。
だからこそだろう。あまり干川に話そうとしないのは。しかし、大門が開くまで間近に迫った今、遅からず誰かが伝えることになる。
「一応聞くけど、逵中さん、榊さん、京極さんたちに迫られてお前、断れる?」
「無理」
即答だった。性格云々の前に、あの三人の誰かが選択肢を提案してきたとして、断れる人間は極一部だ。
「正直、お前が聞くのが一番だと思うけど……」
「遠まわしにバカにしただろ。今」
「ド直球だよ。バカ」
後ろでまた怒鳴っている斎藤を無視して、医務室のドアを開けると、誰もいない。
荷物も最低限しか持ってきていなかったせいで、案の定置かれていない。
「いねーのか?」
開いていた窓から斎藤が身を乗り出して外を見るが、遠くに慌ただしく出ていくパトカーがいるだけ。
「あ、先生。ちょっと聞いてくる」
出ていった日向に、残された斎藤は適当に椅子に腰掛けると、ほんの少しだけ温もりが残っていた。
トイレ、という訳ではなさそうだ。
「……かけてみりゃいいのか」
携帯を取り出し、干川を呼び出せば、すぐに聞こえた干川の声。
「おい。ガキ。今どこにいんだ?」
『あ、えっと……外です』
「外?」
『はい。その……要を探しに、警部と、外に……』
「……は?」
窓から身を乗り出すが、すでに先程までいたパトカーはいない。
「ンで――あ、ぁ゛ぁ゛あ゛、だァッ!!」
訳の分からない奇声を上げながら乱暴にドアを蹴り、廊下に出れば、目を丸くする医師と日向。
「来いッ!」
日向の襟を掴むと、返答もさせずに来た道を戻った。




