28話 天魔
車の空気が悪かった。物理的ではなく、雰囲気が。
「んであのクソヤロウにやり返さねェんだよ」
「やり返しても面倒事になるからだよ」
座席の背面を蹴られ、大きく揺れる座席。隣でハンドルを握っている受付嬢も眉を潜め、ハンドルを切る。
「うわっ!!」
扉に押し付けられるような遠心力に、日向も驚くものの、ミラー越しに見えた後部座席の干川と梶が、斎藤に倒れ込む様子に苦笑いを零すしかなかった。
「――ッテェな!」
「す、すみません」
「×2! でも、今の斎藤さんが悪いっす」
「ハァ!?」
「「ストップ! ストップ!!」」
「またさっきのジェットコースター再来しますよ!?」
梶の切羽詰った声に、つい手と足が出そうになっていた斎藤も動きを止める。
ふたりが恐怖する運転が、一体どれほどのものだったのかはさておき、
「シートベルト締めなよ……君ら」
日向の言葉に干川と梶は、思い出したように締めたのだった。
「というか、俺、全然わかってないんだけど、なんであのおっさんキレてたの?」
小声で干川に聞けば、干川もいまいち理由はわかっていなかった。言葉だけで取れば、ミントと繋がっているということだろうが。
確かに、親しくないという訳ではなさそうだった。しかし、ミントの仲間というわけではなさそうだった。
「ああいう奴は、なんでも俺らのせいにすんだよ」
「なんでもって……」
しかし、カクリシャを危険人物扱いし、なにか起きる度にカクリシャのせいにしようとする人間がいることは知っている。
学校でも、なにか大きな破壊行為が行われれば、真っ先に疑われるのはカクリシャだ。事実、合っていることも多いが、疑われる立場としてはたまったものじゃない。
加えて、斎藤のような性格では、十中八九疑われただろうし、濡れ衣もあっただろう。
「……あれ? ってことは、斎藤さん、もしかして」
日向さんの濡れ衣を晴らそうとしていた?
日向の方を見れば、相変わらず外の様子を眺めているだけ。
「実際に確認していないのですが、数人、緊急処置を施されている方がいました。ミントであるなら、そのような処置を施すこともないでしょう」
脳裏に浮かぶのは、燃え上がった自衛隊の一人。
つまり、受付嬢が言っているのは、あの男が激怒していた原因が、決して的外れではないということだった。
「まぁ、周りのことなんて気にして術放ってませんし。何人か巻き込まれたんでしょうね」
なんともないように答えた日向に、干川も息を詰まらせた。
あの時、日向の後ろにいたからこそ、恐ろしくはなかったが、もし関係なくあの嵐に飲まれそうになったら、と考えれば恐ろしくなる。
「状況次第では訴えられますね。その辺、丁寧に報告書に記載をお願いします」
「ケッ……だから、黙らせりゃいいのに」
「そうなれば、こちらは庇えませんので自己責任でお願いします」
それからしばらく乗っていると、先程の避難所よりもずっと多い自衛隊の警戒線を数回通り過ぎ、見えてきたのは特徴的な形の建物。武道館だ。
いくつかの簡易検査を終え、問題ないだろうと言われると、疲れたように座っていた梶も顔を上げた。
「いや、マジでビビッたぁ……」
「お姉さんがいたんだっけ? 会ってくればいいのに」
「いやいや、ムリですって」
先程、梶は物珍しそうに避難所の方へ向かったのだが、たまたま見かけてしまった姉の姿に、慌てて戻ってきていた。昨日の避難所と場所が違うこともあるし、その経緯の説明も、だいぶめんどくさい。
「ふたり共、このあとは? この部屋は天ノ門が使っていいことになってるから、休んでて構わないけど」
この避難所にも怪我人は多い。しかし、自衛隊や警察と同じ部屋に一般人を寝かせるわけにもいかず、別の部屋が取られていた。
その中でも、ここは天ノ門が優先的に使える部屋だ。ベッド一台しかないとはいえ、それでも一組織が使える部屋があるのは、このような特殊な事態に対応する能力があるからだろうか。
「私は隣の部屋か、まぁ、どこかの医務室に駆り出されてるから、何かあったら探して」
「先生って天ノ門専属とかじゃないんすね」
「普通に医者だよ。父が元軍医で、私はその跡継ぎ。別にカクリシャは、体の構造は同じだから、普通の病気や怪我に関しては誰でも出来るんだけど、干川君みたいなフィードバックってことになると専門知識がね」
医者が出ていってからすぐのこと、ノックに目をやれば入ってきたのは、朱雀だった。
「天魔と鬼の衝突に巻き込まれたと聞きましたが、無事でしたか……よかった」
「なんとか、ね」
「俺は別の意味で無事じゃないんだけど……あ、うん。気力以外は元気! やった!」
変わらない梶の様子に朱雀も頬を緩めた。
「てか、朱雀君もここにいたんだね」
「はい。僕は、結界の要部分を担っていますので、ここで結界の調整をしています」
おかげで朱雀は、この場から離れることはできなかった。
干川たちが、術の発動を止めに向かっていることも知ってはいたが、手を貸すこともできず、大結界を安定させることに集中する他なかった。
「そうだ! 干川さ、ひとつ基点壊したんだろ? それで術が止まるとかないの?」
「なんか、大きな術だと基点のひとつやふたつ壊したところで、すぐに術が崩壊することはないらしいよ」
しかし、前に神社で小結界の調節をしていた時は、一本切れそうになっただけで、あの狛犬が必死に止めようとしていた。
「それはおそらく基点の中でも、要の部分だったのでしょう」
基点の中でも、破壊されるだけで術が機能不全を起こす基点もあれば、発動には絶対に必要だが、破壊されても別の部分で補填ができる基点が存在する。
術の詳細がわかれば、どの基点が要か判断がつくが、現在、あの術の詳細がわかる人間はここにはいなかった。
「今、その要を見つけ、破壊するために作戦会議が開かれています」
「朱雀君いかなくていいの?」
「僕はまだ正式に当主ではないので」
それに会議には、京極や四門家の各当主たちも出席している。まだ正式に当主ではない朱雀だけが、出席を許されていなかった。
浮かない朱雀の表情に、干川は困ったように梶に目をやれば、梶も一瞬表情を強ばらせた後、思い出したように声をあげた。
「そーいえばさ! さっき言ってた、天魔と鬼って何? 俺が生まれたての小鹿の頃、ほっしーも生まれたてのパンダじゃなかった?」
その表現はいまいちわからないが、考えてみれば、あの時、座り込んでいた理由も、ここで検査を受けていた理由も、ちゃんと説明していなかった。
それに、干川も疑問だった。”天魔”という名前は、確かに風鬼たちが言っていたし、この目で視たあの恐ろしい奴らだろう。そして、”鬼”も。
「俺もよくわかんない……鬼は、たぶん……見たし、天魔ってのも、見たような気がする」
「鬼見たの!?」
目を輝かせる梶に、少し身を引きながらも頷いた。
日向の前に立っていた黒い影。頭から生えた印象的な角、あれは確かに鬼のようだった。
「マジで!? って、確かに風鬼に雷鬼って鬼ついてるけど、進化すると角生えるとか!?」
「いや、そうじゃなくて……」
「おふたりはご存知なかったんですか……」
驚いたように言葉を漏らす朱雀に、干川たちも唖然としながら見つめ返す。
「結城さんは、数少ない本物の鬼と契約を結んでいる使役者ですよ」
「ちっちゃいのに鬼なの!?」
「あ、いえ。風鬼と雷鬼は通常の精霊です。十分高位の精霊ではありますが、鬼とは別格です。名前は”黒鬼”。その名の通り、黒い鬼です。
干川さんは、それを見られたのでは」
「あぁ、うん。たぶん」
会話を交わしたわけではないし、はっきりと見る余裕だってなかった。
戦いが終われば、いつの間にか消えていて、日向に聞くタイミングだって無かった。
「別格ってのは、やっぱ強いの?」
「はい。強いというのは、少し違いますが……性質が違うんです。精霊は古来より存在した”生き物為らざる者”と言われています」
よく見かける精霊は元素を司り、その精霊の中でも”大精霊”と呼ばれるものが他の精霊に比べて上位に存在する。それは、貰った本に書かれていた。
その精霊とは別の種類として存在する精霊が、天狗や河童、妖狐など、妖怪、物怪と呼ばれる類のもの。その上位は、玉藻前などの名前がついたものになる。鬼も確かその類に入っていたはずだ。
「なんとなくそのジャンル分けはわかるんだけど、じゃあ、その性質が違うってのは妖怪全般ってこと?」
「少なからず妖怪の類には、その性質が混ざってはいるでしょうが、鬼はとびきりその性質が強いんです」
その性質とは、”異質性”。
「異質性?」
「はい。精霊でありながら、生物同様、死が存在し、思考は人間に近い。
一説には、人間を査定し排除するために精霊が作り出し、査定した鬼が人間に近づきすぎ、人間に寄ったと言われています」
故に、鬼の炎は人間の作り出す物を完膚なきまでに焼き焦がす。そして、精霊たちに対しても、その炎は牙を剥いた。
精霊とも人間ともいえない、半端ものの存在。
「そして、鬼とよく似た存在として”天魔”というものがいます」
天魔は、元々ただの人間の欲。無理に押さえつけられた欲が集まりに集まり、形を成した。
人の欲故に、生物のような死は存在せず、自らの欲以外の思考など持たない精霊のような思考。
「その欲が呪った先は、自分たちを押さえつけなければならなくなった原因である世界。それを作った存在でした」
「スケールでっかくなってきた……」
「要は精霊です」
「つまり、精霊が世界側、天魔が人間っていうか生物側ってわけか」
「はい。そして、天魔が呪ったのは精霊だけではなく、欲を押さえつけた人間にも向きました」
「完全に当り散らし!」
「一説です。あくまで」
あまりにも昔のことで、絶対とは言い切れないが、一番有力な説だ。
干川も、あの禍々しい黒い影が、人間の欲と呪いと言われれば、納得できる。それほどまでにおぞましく、恐ろしい存在だった。
「じゃあ、あのミントの後ろにいたのは天魔ってこと?」
「……それはおそらく波旬です」
「波旬?」
「天魔波旬。天魔の上位の存在です」
考えてみれば、鬼にも名前がついた酒呑童子や大嶽丸などが存在するのだから、天魔にだって存在してもおかしくない。
朱雀は、少しだけ目を逸らすと、少しだけ言いづらそうに続きを語る。
「かつて、織田信長が寺を焼き、数多くの呪いをその身に受けることで、契約した天魔を天魔波旬とまで昇華させた、怨恨の塊です」
いくつの寺が燃えたか、人が燃えたか。天下統一を目の前にした信長に、何人が恐怖したか。
その全てが、信長の背後に存在した天魔に吸われ成長し、魔王と呼ばれる存在になった。
「信長! 敦盛踊りながらマジで魔王と契約してた! で、なんで今、信長?」
「そのテンマハジュン……? っていうのは、何体もいるものなの?」
「いえ。えっと……犬はいっぱいいても、太郎っていうと一匹を指す、みたいなもので、天魔波旬はあの個体のみです」
普通名詞と固有名詞と言うものだ。名前を同じにすれば、同じ名前ということもあるだろうが、個体としては別。
とはいえ、わざわざ朱雀が信長の話をしたのだ。その天魔波旬は、元は織田信長の元にいたのだろう。
「封印されてたのをミントが開いた! どーよ。この名推理」
「……」
「朱雀君困ってるからハズレだよ」
少しは緊張感というものがないのだろうか。この男には。
朱雀に目をやれば、なおさら困ったように頬をかいた。
「ここから先は、あまり関係者以外には公言してはいけないことになっているんですが」
「ここまで来て無関係はないだろ!」
「はい。もちろんです。ですから、このことは内密に」
干川と梶が頷けば、朱雀も言葉を続けた。
「ミントは、織田信長の子孫です」
「は……!?」
「そして、天魔波旬は信長の子孫に代々引き継がれ、その命と引き換えに契約が結ばれています」
確かに、それは驚くべき事実だ。しかし、同時に疑問が浮かぶ。
「別にそこまで必死に隠す必要なくねぇ?」
危険な存在ということはわかるが、ミントやそれこそ信長のように天下統一に乗り出すならまだしも、日向のように平穏に暮らしていることだってある。
隠す必要もない気がするが。
「いいえ。あります。強大な力というものは、存在するというだけで、周囲の人間が恐怖します。特に、それが負の力であればあるほど。
祟神や鬼が、武者や法師に倒された。という話がよくあるでしょう? 要はそういうことです。強大な力は倒され、消えなければいけない」
一部は、封印や改心して消えたなどの終わりもあるが、それは管理下に下ったことを意味した。
「待った。それって」
つい、梶の顔からも余裕が消える。干川も表情を強ばらせていた。
天魔波旬を倒したなんて話を聞いたこともなければ、改心したということも封印されたということもない。
なにより、先程朱雀は、天魔波旬は子孫に引き継がれていると、そう言った。そして、それを公言してはいけないと。
「はい。天魔波旬は今まで、一度も倒されたことはありません」




