21話 日本刀展
騒がしい足音に目を開ければ、同時に遠慮なしに開けられたドア。
「ケンちゃん、鬼見たの?」
「どこで? どこで?」
顔のよく似たふたりが、痛む体などお構いなしに叩いてくる。
「ねぇねぇ教えてよ!」
「うるさい」
「ねーぇー!」
布団の上から掴む腕の力に、振り払えば甲高い笑い声。
「あの女よ! 日向結城! わかったら出て行きなさい!」
痛む喉で叫べば、ふたりはなおさら楽しげに笑うと部屋を出て行った。
それと入れ替わるように入ってくる小夜。
「相変わらずうるさいわね」
「痛み止めだ」
小夜は傍らのテーブルに薬を置いた。その隣にはすでに使われた火傷用の薬と包帯。
「……知ってたの? あいつが鬼を持ってるって」
何も答えない小夜を睨むが、どこ吹く風。
「今は回復に努めろ。布石は打たれた。あれほど見たがっていた光景をベッドの上で過ごしたいか?」
「……ふん」
痛み止めをひったくるように取れば、飲み込んだ。
*****
教会の事件から数日。ニュースではあの教会の事件は大事になる前に防がれたこともあってか、あまり報道されない。
被害者がいないわけではないが、詳細に関しては伏せられていた。
「……」
「辛気臭ェ顔してんな」
斎藤はあちこちに包帯が巻かれていた。なんでも、別の場所で小山と戦っていたそうだ。小山は逮捕され、今は警察病院だそうだ。
「斎藤」
「なんすか?」
「報告書が雑だ。ちょっとこい」
「ゲェ……」
榊に呼ばれ、先日提出した報告書について、いくつか質問されている。
いつも通りの光景。あの事件を引きずってるのが、ひとりだけのような、そんな感覚。
「……」
そんな干川を逵中が心配そうに見つめるが、エレベーターの動く音に目を向ければ、現れた干川の友人はいつもと変わらない騒がしさを持ってきた。
「ほっしぃー! 見てこれ! 日本刀展だって! 行こうぜ!」
「……は?」
梶が見せてきたのは、一枚のチラシ。一振りの日本刀と一言『日本刀展』と書かれている。
「ほぅ……」
「つ、逵中さん……?」
表情はあまり変わらないが、明らかに興味津々だという空気を漂わせる逵中に、持っていた梶ですら表情を引きつらせていた。
「逵中さんも行きます?」
「うむ……」
一度時計を見ると、頷いた。
「榊、二時間ほど開ける」
「あぁ。ごゆっくり」
「あいっかわらず、好きだな……」
早速、荷物をまとめると、逵中はふたりを連れて部屋を出て行った。
薄暗くされた部屋の中に展示される日本刀と説明書き。正直、有名どころかゲームにも出てこなければ、武将の名前も刀の名前もわからないため、隣の楽し気な大男が解説を常につけてくれるのは助かった。
「逵中さんって歴史好きなんですね」
「大河ドラマとか全部見てそう……」
「うむ。歴史は我々が今ここに立っているまでの軌跡だ。幾重の人間がうれしくとも辛くとも、時には血を流し、裏切り、裏切られ、それでも折れず生涯をかけ作り出した世界。そう思うと、この世界がとても美しく見えるのだ」
さすがの梶も茶化すことはしなかった。それだけ逵中の言葉は本心で、そのために天ノ門で今でも戦っている理由だと分かったからだ。
「特に刀はその人の心だ。何百年経とうと折れず、ここにあることは本当に素晴らしく思う」
たとえ、それが本来戦うために使用されるものであっても、刀は生き様で心だった。
払った犠牲を捨てるのではなく、背負い続け、それでも絶対に折れない。折れてはいけない。
「すごいな……」
ぽろりと干川の口から漏れ出した言葉。この人、そのものが折れない刀なのではないか。
「よっしっ! 俺、ゲーム知識程度しかないんで、その心とやらの解説お願いします! な! 干川!」
「ぇ、あ、う、うん」
「承知した」
嬉しそうに頷いた逵中に、まず梶は目の前にあった刀に指をさした。
*****
眠そうな眼で歩く日向の肩には風鬼と雷鬼。
「大丈夫か?」
「一回、思いっきり寝たら?」
「実習は基本休めないし……体調不良が眠いとかバレたらなんて言われるか……」
あくびをしながら歩く日向の後ろから軽い足音。猫だろうかと振り返れば、犬。
ただし、どれも毛並みは固く、ところどころ変色している。
「げぇ……」
死体だ。
動いている死体など、原因はどうであれ精霊が動かしている。認識すると同時に駆け出した。
背後で雷が弾ける音がするが、別の路地から現れる犬と猫の死体。
「これ、完全に狙われてるね!」
「吹き飛ばすか!?」
周りを見れば、いろいろな方向から伺うようにこちらを見る目。
「全部一発で行ける?」
「さすがに無理」
「だよね! だったら……」
日向は踵を返すと、来た道を戻った。こちらには雷鬼がすでに数匹倒している。まだ数が少ない。
人通りの多いところまで逃げれば、カクリシャが裏で引いているなら手を引くはずだ。引かなくても警察か何かいてくれる。
「あーもう! なんなの! ホント!」
愚痴を叫びながら後ろから追ってくる死体たち。追い風が吹いているとはいえ、動物の足に人間が勝てるはずもなくどんどん背後に迫ってくる。
その時、
「?」
エンジン音だ。ただ、狭い路地だというのに回転率が一気に上がったような。
その音に向かって目をやれば、黒塗りの車がドリフトを決めながら、日向の後ろにいた死体を吹き飛ばした。
「結城さん!」
見事なドライブテクニックにより、近くに急停車した車の後部座席のドアから伸びた腕を捕まれ、車の中に引き込まれた。と同時に、発進。
「人気者だねぇ」
「た、助かりました。白虎さんに、朱雀くんも」
車を運転するのは白虎、そして腕を引いたのは朱雀だった。揺れと音からして、路地を走っている音には聞こえないが、後ろの窓から聞こえてきた音に振り返れば、白くひび割れ、とこどろころ赤黒い。
「防弾ガラスだから大丈夫だぜ」
「防弾……」
当たるなというのはムリなのはわかるが、当てられた弾はたまったもんじゃないだろう。
「術師は見たか?」
「見てません」
「狙われる心当たりは?」
「特に」
音が突然静かになる。どうやら撒いたらしい。
「ミントの報復でしょうか?」
「いやぁ……ミントの戦い方がこんなちっちぇことはねぇよ」
前にミントとの関係のある人物と戦った。その際は、逃がしたが向こうは重傷を負ったはずだ。それを報復しに来たのかもしれない。
しかし、その人物だとしてもミントだとしても、戦い方が違う。
「情報にない奴が、あの数の憑依を自在に操ってるってのは、ちと厄介だな」
「調べますか?」
「たいところだな……結界のこともあるし」
日向も予想はついていたが、このふたりがここにいるのは、前に日向が結界を大きくいじったせいだった。
もちろん戻してはあるが、影響が完全にないかといえば、絶対とは言い切れないため、詳しい人に頼んだのだ。
「不安定なところに、わらわら憑依なんてさせて崩れたら困る」
「崩れる?」
「大門がまた開くかもしれないてことです」
「……はい?」
”カクリ大門”。通称、大門と呼ばれ、その名の通り巨大なカクリモンだ。かつて、世界で唯一東京に大門は現れた。
結果、門の向こうからカクリモノが溢れ出て、東京近郊は血に染まった。そして、大門を閉じようとした戦いが”カクリヨ大戦”。
「開くってわかるものなの? っていうか、人為的に開けるの?」
通常のカクリモンですら、自然に発生するもので、自ら開けられるカクリシャはいない。わかっていることといえば、人口密集地に開きやすいということくらい。
「大門は開くのに時間がかかるらしいからな。出現したらすぐに門を破壊することになってる。門さえ出現すれば開くのは、どうにかなるな」
そんな危険な門を開こうとする人に、心当たりはある。
「結界がどんな風にできてるか知ってるか?」
結界の構成ということであれば、侵入を防ぐ結界に門を開かないようにするための結界が細々と網のように張り巡らされている。
実際に一定の力以上のカクリモノ送り込まれれば網に絡まれる。門も同じはずだ。
「そういう意味じゃなくて」
「逆方陣なんです」
「逆方陣?」
通常の魔方陣と逆の作用を起こすため、その魔方陣を元に、逆の作用を示す魔方陣を作り出した場合、それを逆方陣といった。
「逆方陣は、狂えば本来の魔方陣の効果が出てしまいます。結界は、その逆方陣と別の魔方陣を幾重にも織り交ぜ構成されていますが、結城さんが触る対魔に関する部分や門に関しては逆方陣が主です」
「ちょっと待って……すごく嫌な予感がする。眠いからかな」
古来より行われた精霊の召喚を逆にして、対魔や門の部分に関わる。それ自体は予想がつく。
もうひとつ、脳裏によぎったのは、東京の大結界はカクリヨ大戦後から安全のために作られた結界のはずだ。
「大門解析して、その逆方陣作った……とか、いう?」
「せいかーい!」
少しだけ頭痛がした気がした。
白虎の楽し気な正解コールに、朱雀も少しだけ困ったように眉を下げた。
確かに、その部分をいじったとなれば、管理者である白虎や朱雀が出てくることも頷ける。
「まぁ、アンタの場合は力そのものがそのものなだけに、結界全体触れると影響があるんだけどな」
「スミマセンデシタ」
それは元から注意されていたことだ。対魔は、魔力を構成するもの全てが対象だ。結界も変わらない。そのため、触れるときは細心の注意を払えと注意されていた。
「でも、確かに門を閉じるために盛大に開いた門を利用するってのは……わかるなぁ。っていうか、よくやったよなぁ」
解析して逆方陣を作り出した人は、国民栄誉賞ものだろう。
「陛下と一部の人が協力したといわれていますが、詳細は伏せられています」
「またそういうのなんだ」
秘密保持は大変だ。逆に言えば、大門なんてテロにでも使われたら、大惨事になるからだろうが。
サイドミラーを静かに見つめる白虎に、日向がなにかあったかと体を起こせば、こちらを見て笑った。
「ことの重要性がわかったところで、手伝ってもらえるか?」
「あ、おとりですね」
結界の操作での力が回復しきっていないことは、もちろんふたりも知っている。そのうえで、手伝えなんていわれたらとてもよくわかる。
餌だ。
「四足歩行ならあっち、飛んできたらあっち」
逃げる方向を確認しながら、辺りを見渡すが、犬猫の独特な音はしない。鳥なら障害物の多い建物の中に入る。
そちらの足に重心を置けば、陰った。鳥かな。と見上げれば、本来空を飛ぶものではないそれ。
「ぅへっ!?」
飛ぶというよりも、落ちてきている。
慌てて跳んだのと、弾ける生々しい音と溢れる腐敗臭。
「みぃ~~っつけたっ!」
「って、アー! 逃げたー!」
犬の死体をクッションにして飛び降りてきた顔のよく似たふたりには目もくれず走った。
日向がおとりになっている間に、白虎と朱雀が術師を探し出して倒す手筈だったが、さっそく計画が台無しだ。
「ふっざけ――」
視界の隅に見えた小柄な影に、足を止めれば、鼻筋を掠めたナイフ。
「足、速いね」
「鬼ごっこは好きだよ。オネーチャンは、鬼側だよね」
ニコニコと弾けんばかりの笑顔を向けてくる少女に、後ろから走ってきている足音。きっともうひとりだ。
日向は一歩後ろに下がりながら、一度足元を確認するように床を叩く。
「鬼側って、逆じゃない?」
「ルール知らないの? オネーチャンがカマチャンにタッチして、カマチャンが私にタッチして、ほら。私が鬼。だ・か・ら」
目の前に広がる広がり切った瞳孔。呼吸音まで聞こえてきそうな距離。
「ッ」
捕まれた体は、その力に従うように身を任せ、迫っていた興奮した瞳は一瞬にして離れていった。
ものの数瞬で先ほどの入口から外に飛び出すと、待ち構えていたゾンビたちが襲ってくる。
「……」
数発の銃声と少し遅れて床に倒れる重い音。
「大丈夫か?」
「大丈夫だと思います?」
「大丈夫そうだな」
「のやろ……」
黒鬼から降ろされながら銃を構え笑っている白虎を睨めば、また笑われる。
「あれが鬼!? 見た? サン!」
「黒い鬼だね! ルナ」
「でも、炎使わなかったね。もうちょっと追い詰めないとダメかな?」
外に足を向けたルナと呼ばれた少女は、何かに気が付いたように目を背後に向ける。
「どうしたの?」
「……おジャマむし。閉じ込められたみたい」
「え?」
もう消えた気配を睨みつけながら、ルナは舌打ちをした。
数日後、
『サン 使役者
能力 憑依
動物の死体に精霊を憑依させ使役する』
『ルナ 使役者
能力 憑依
自身の体に精霊を憑依させ使役する』
要注意人物リストにあまりにも少ない情報のふたりの少女が登録された。




