14話 魔眼と結界(後編)
「うぉぉぉおおお……!! あとちょっと! あとちょっとな気がする……!!」
指で手探りで結び目を解読して、ようやく緩み始めた結び目。後ろから騒がしい声がするが、解かれている方である。
「右手、中指、少し上のところ、つまめそうです」
後ろのため、状況が見えないこともあるが、そこは朱雀がしっかりと見て伝えてくれている。言われたとおりの場所に確かに浮いている縄。
慎重に引っ張れば、動いた気配。抜けていっているようだ。
「よっしっ! 解けた!! ビバ・自由! 干川、お前スゲェよ!」
ひとり解放されれば早いもので、梶は手早く干川の縄を解くと、突然上着の裾を捲り上げた。
「なにして――ぇ?」
そこにはズボンに刺さった先程買った針金。
「いやぁ、実は」
後ろで人が倒れる音が聞こえ、身の危険を感じた梶はとりあえず万能だろうという理由で、袋から針金を取り出し隠すと、携帯で警察を呼ぼうとしたがそれは失敗したらしい。
「でも、いい判断だっただろ? ちょっと手錠見せて」
針金を2本取り出すと、先を折り曲げ、鍵穴へ差し込んだ。そして、何度か動かすと開いた。
「えッ……梶さん、ピッキング、できたんですか?」
「まーねー」
何故? という表情をしている朱雀に、紳士の嗜みといって誤魔化しているが、なおさら不思議そうな表情でこちらに目をやられた。
「あー……こいつ、よくロッカーキーとか忘れてさ」
「あ! 言うなよ!」
要は鍵を忘れるなら、鍵がなくても開けられればいいんじゃない? という単純すぎる回答。おかげで、姉には鍵を無くした南京錠を開けろと命じられることもあるらしい。
朱雀も理由を聞くと、なんとも言えない表情を浮かべていた。
「とーにーかーくー! あとは、部屋から出て逃げるんだろ」
「そ、そうですね」
朱雀も聞かなかったことにしようと頷くと、立ち上がった。ドアに向かえば、鍵を閉めればつっかえ棒が出てきて、それが引っかかるだけのようだ。古い建物だからか、ドアとの隙間ができていて、そのつっかえ棒が見えている。
朱雀はいくつか印を結ぶと、ドアの隙間から見えるつっかえ棒に縦線が入り、消えた。
「これで開くはずです」
「マジか」
「今のって、前のゴリラのと同じ?」
「原理的には」
前回は転移だったが、今回は結界。だが、結果は同じで、間の物は切断された。
梶が、ドアノブを慎重に回し、開ければ、ちょうどドアの前にいた男。
「……!?」
「……うわぁぁぁあ!」
「ッ!」
男が懐に手をやるのと同時に吹き飛ばされ、変な体制で頭をぶつけたらしく、気絶している。
「だ、大丈夫ですか?」
「びっくりした……」
「それはこっちのセリフだ!」
朱雀の反応が遅ければ、危なかった。なんの術かまではわからないが、いくつか魔方陣が見えた辺り、朱雀がなにかしてくれたのだろう。
「朱雀君は大丈夫?」
「はい。僕はフィードバックもあまり強くないので、気になさらないでください」
「フィードバック? そういや、前に干川も言われてたよな?」
力を使えば何かしらの代償を支払う。それをフィードバックといい、一般的に武装者よりも使役者の方が代償は大きい傾向にあると言われている。
「結局、眼精疲労だったけどな」
「なんかゲームのやりすぎみたいだよな」
個人でその代償は異なり、人によっては寿命という場合もあるそうだ。
梶は気絶している男の懐を探ると、予想通りの代物。
「銃に無線……」
「うわぁ……ガチだなぁ……あ、でも、これなら」
逃げられるかも。ニヒルに笑ってこちらを見る梶に、なんとなく察しがついた。その作戦のために辺りを見渡せば、少し先の階段にフロアマップが書かれている。
近づけば、丁寧に現在地まで書かれている。どうやら商業施設だったようだ。
「出入口、下だな」
「カクリシャでなければ、ふたりくらいなら、なんとか……」
あとは逃げるルートだ。
「シナリオとしては、上に追い込んでるとか?」
「まぁ、その辺じゃないか?」
ちょうどその時、ノイズが入った。無線だ。まだ逃げるルートは決まっていないが、仕方ないと、梶が構えると、
『It's time for a change! Where are you?』
こちらに向けられる視線。
首を横に振る干川と朱雀。
「……」
『Hey! Hey!』
「ゴーホーム!」
あまりに適当すぎる英語と共に無線を投げ捨てた。
「言葉の壁が高すぎる!」
「とにかく、隠れましょう!」
運がいいことに、ここは隠れる場所には困らない。近くの小部屋に隠れると、外から話し声が聞こえてきた。内容は、英語でほとんどわからないが。
息を殺して待つこと数分。辛うじて聞き取れた単語を頼りに、内容を整理すれば、逃げたことはバレたようだ。そして、必死に探している。
「人数はわかりませんが、こうなれば出入口の見張りは増えているでしょうね……」
「空から脱出はムリだし」
「出るには1階に行かないといけないんだし、正直、そこに固まってるだろうなぁ」
梶と干川が外の様子をそっと伺うが、建物の中は照明で照らされていて、中央にあるエスカレーターを使えばすぐに見つかるだろうし、非常階段は見張りがいるだろう。
「って、照明が繋がってるなら、電話とか非常ベルとか使えるんじゃね? 火災報知器鳴らして隠れるとか」
「電話はムリだろうし……火災報知器か……隠れるのは今と同じだし、そっちの方がまだ……ん? 照明?」
確かに明るい。建物のほぼ中央で、窓もないのに。
「……梶」
「ほっしーが悪い顔してるーなになに?」
作戦を伝えれば、梶は口元を歪め、堪えきれてない笑いが漏れてきていた。そして、二つ返事に提案を採用すると、それのために必要なものを作り、必要なそれも見つけた。
「ま、まさか……」
U字に折り曲げられた針金に長靴。中には針金が入れられ、ふたつの先が出ていた。長靴の手前には、コンクリートブロック。極めつけは、針金の先を引っ掛けているコンセント。
朱雀もようやく合点がいったのか、頬をひきつらせている。
「手軽に超簡単、超危険なブレーカーの落とし方! 武者震いがしてくるぜ!」
「こういう時はホントお前の度胸がすごいと思う」
ブロックに足をかけると、三人は目を合わせて頷くと、耳と目をしっかりと塞ぐとブロックを蹴り飛ばした。同時に破裂音と閃光に衝撃。
通路を見れば、照明は切れて真っ暗になり、慌てる声もする。破裂音を聞きつけて来る前に、三人は駆け出した。通路とは違い薄暗い店舗の区画にいたおかげで、照明が落ちたとはいえ目が慣れており、道くらいはわかる。
先頭を走っていた朱雀が2階へ降りた時、銃声が響く。倒れ込んだ朱雀に、後ろを走っていた梶が駆け寄ろうとするが、後ろ襟を掴まれ、引き戻される。
「結界がある」
干川の言うとおり、素早く起き上がった朱雀の服には血や服が破れた様子はない。梶には見えていないが、干川の目には、走っている時からなにかを纏っているのが視えていた。
自分たちの周りにも、似たようなものがある。おそらく、朱雀が張った結界だ。
だが、怪我をしていないわりに、朱雀の表情は苦いものだ。
(……魔術弾。羽衣護では貫通される)
ただの銃弾なら防げると張っておいた結界だが、魔術をかけられた弾では防ぐことはできない。最初に降りたのが自分でよかったと安心していると、前で銃を構える男が何かを言っているが、英語では正直ほとんどわからない。
辛うじて聞こえたのは、フリーズ。動くな。
銃口を見つめながら、ゆっくりと男に従うように床から手を離し、印を組む隙を伺えば、熱気と光。
「?」
「朱雀君、結界ッ!!」
上から聞こえる干川の声に、すぐに印を組めば、同時に爆炎が広がった。意志を持った炎が結界に何度も叩きつけられ、視界が遮られる。正直、想像したくないが、向こうは悲惨なものだろう。
「銃に炎に、次はなんだ!?」
「精霊だよ。なんかメチャクチャ怒ってるみたいだけど!」
「心当たりが有りすぎる!」
「とにかく、おふたりは下へ!」
朱雀もふたりがいる以上、下手に動けない。干川たちも察したのか、下へ向かえば、1階に広がっていたのは辺り一面の炎。
「マジかよ……」
そう言葉をこぼす他なかった。
*****
「おつかれさまでしたー!」
携帯に入っていたメールに、慌てて荷物をまとめて薬局の外に出る。午後のニュースで、神社に強盗が入ったことは知っていたが、さすがにここまで大事になっているとは思っていなかった。
三人を探しているという逵中に連絡を取ろうと、アドレス帳から呼び出せば、目の前に現れた派手な髪の女。
「え゛っミント……!?」
ミントはニコリと微笑むと、日向を見上げるように言った。
「手伝ってあげよっか」
「どういうこと?」
「あの子たち、探してるんでしょう? 石神井公園の廃ビルに監禁されてるわ。三人共ね」
ハテナを浮かべている日向にまた笑うと、首をかしげる。
「まぁ、教えなくても精霊が暴れて燃えてるから、きっとすぐにわかったでしょうけど」
ミントはそういうと、少しだけ目を細める。
「だから、あの大男に早く回収にいきなさいって伝えて」
はっきりとした嫌悪に、日向も浮かべていたハテナが消える。
「わかった。ありがとう」
その言葉にはミントも少し驚いて目を丸くしたが、すぐに微笑んだ。
「どういたしまして」
そして、踵を返すと後ろから少しだけ困惑したような声が聞こえ、顔だけ振り返れば、日向が不思議そうに眉をひそめ、こちらを見つめていた。
「でも、どうして……」
「似たもの同士だから」
「ぇ」
「ほらほら、急がないと。私も急ぎの用があるから」
バイバイ。と手を振ると、今度こそミントは足を止めずに歩いていった。
***
いくつかの魔方陣の中に、捕らえられている赤色の精霊。今だに暴れているが、複数の結界の中ではさすがに先程までの力は出ないようだ。
「こちらが驚かせたというのに。貴方がもう一度目覚める頃には、また静かになっています。すみません」
朱雀は謝ると、印を組み直し「滅」と唱えた。短い悲鳴のような声と共に精霊の四肢はちぎれ、霧散して消えた。
少しだけ眉を下げたが、すぐに階段の下へと降りていく。ふたりは、どうにか出口までいけないか相談しているところだった。
「多少であれば、羽衣護でなんとかなるはずです。今、水気を付加させますので、熱には強くなるはずです。空気は……その、難しいですが」
「重要なところが……! っていうか、そのなんとか護って火触って平気なのか?」
「平気というわけではありませんが、多少は緩和できます。特に、あの精霊が発した炎であれば、燃え移った火よりも効果は大きいはずです」
「それなら、若干見分けがつくような……」
干川の目には、本当に少しだけだが、炎の色が違って見えた。
「できるだけ、精霊の出した炎の方にいけばいいんだよな?」
干川の先導で、入口前の広場までたどり着いたが、自動ドアがガレキで塞がっている。
とにかく、姿勢を低くして空気を確保していれば、ガラスの向こうに見覚えのある車が止まる。
「あれって……」
降りてきたのは逵中だった。飛び降りた逵中もすぐに三人のことを見つけると、すでに動かなくなった自動ドアを手動で開けて、駆け込んできた。
「無事か!? 今、助ける!」
すぐに刀を作り出すと、道を塞いでいたガレキを切り、三人の元までやってくると、刀を捨て、三人を抱え上げ駆け出した。
久々のように感じる涼しい空気に、少しだけやけどを負った三人は、互いの背中に寄りかかりながら座り込んでいた。目の前で燃えるビルに、遠くからサイレンの音。隣には、ケガの具合を心配そうに確認している大男。
「ひどいケガは無いようだが、念の為、病院で検査をした方がいい」
「はい……」
「無事でよかった」
「無事っすか……? これ」
相変わらず、軽口を叩ける友人に干川も息を吐き出していれば、前触れも無く聞こえた金属音と、手元に落ちてきた半分に切れた弾。
「へ……?」
顔を上げれば、逵中が刀を持って別の場所を睨んでいる。
「狙撃だ」
「……は?」
「いやいやいやいや……!!!」
本気で何を言っているのかわからなかった。
「ほぉ……この距離で気づくとは」
ライフルを構えていた男、ケリーは、スコープ越しに正確に睨む大男に笑うと、スコープから目を離した。初撃を防がれては、当たることはまずない。それに、
「ここは日本よ? 自由の国だからって、他の国で自由にしていいって訳じゃないのよ」
後ろで刀を構える派手な色をした髪の女をどうにかしなければならない。
「どうやら日本ってものを勘違いしてたようだ。礼儀正しいを聞いていたが、どちらも挨拶なしに切っ先を向けてきた。侍の作法ってものか」
「えぇ。そうよ。天下を取った侍は不意打ちだってしたわ」
「なるほど」
男が不敵な笑みを浮かべると、ミントは素早く屈んだ。同時に頭を掠めた銃弾。男のジャケットには新しく開いた穴。
踏み込んで刀を振れば、蹴り上げられたライフルが男の体を守る。
「……」
「!」
本能的な何かが這い上がる感覚に、男はミントから距離を取り、炎の斬撃に視界が奪われた。
ミントの手の中の刀が灰となり、すり抜けていく。目の前のフェンスは一部が溶け、無くなっていた。男はどこにもいない。
「あっれぇ? 逃がしちゃったの?」
「ミント、失敗?」
屋上やってきた騒がしい声のよく似たふたりは、溶けてなくなったフェンスの外をのぞき込むと、楽しそうに笑った。
「じゃあさ、じゃあさ、アタシたちが捕まえてあげる!」
「うん! いいね! そうしよう!」
「「ネー」」
互いに笑い合うとミントの言葉を待つ間もなく、飛び降りていった。
「良いのか?」
「うーん……まぁ、いいんじゃない? どうせ、逃げられないだろうし。むしろ、あのふたりに捕まったほうがいいんじゃないかしら?」
「捕まえられるとは思わないんだが」
「そうね」
女はもう一度フェンスを見ると、ミントの後を追いかけた。
*****
「どういうこと? 逃げられたって?」
マリナが使用人に確認するが、朱雀を拘束していた班から連絡が途絶えたという。確認したところ、ビルは燃えているそうだ。
ケリーからも人質も救出され、現在何者かに追われおり、こちらに合流するのは難しいという連絡がきた。
「作戦は失敗です。ケリーからの連絡では、ここは危険だと」
「でも、それじゃあ……功績を持ち帰らないと……」
マリナの表情は暗いものだ。作戦失敗となれば、逃げなければいけない。飛行機が押さえられる前に。
「なにか、お困りですか?」
飄々とした声に表情を歪めながら振り返れば、相変わらず笑みを携えた榊。
「ぜひおすすめしたい場所がありますが、いかがでしょうか?」
「ふっふふ、そこは天ノ門の尋問室かしら? 残念だけどお断りするわ。時間もないもの」
「そうですか。それは残念」
「えぇ。お土産でもあればよかったのだけど」
その言葉と同時に響いてきた悲鳴。それから、足音。
「ようやく本性現したんすか?」
若い、ゴロツキのような男。その手には、手に装着するタイプの短刀。カクリシャだろう。
「つーか、いきなり襲ってきたんすけど」
「逃げるにも、せめてカクリシャひとりくらい持ち帰りたかったんだろ。解剖とかできるし」
「げェ……おっそろしい女だな……顔は結構いけるくせに」
「本当にその内、刺されるぞ」
「で、連れて行くんすか?」
「警察にな」
斎藤の手が迫る中、目を強く潰れば、鈍い音。
「?」
そっと目を開ければ、目の前にスーツがあった。
「では、我々はここで失礼いたします」
いつもと変わらない声と共に聞こえてきたのは、軽い金属音。
「手榴だ――」
光と音に声はかき消され、掴まれる腕の感覚を信じて走った。
収まった光に、腕を下ろせば、目を抑えている斎藤が座り込んでいた。防ぐこともせずまともに見たのだろう。
「あー……音も聞こえてないよな」
どうしたものかと、頭に手をやったのだった。