10話 解いて結ぶの
年末年始でもない時に、有名でもない神社や寺はやってくる人は少ないもので、この神社も人は少ない。
たまに、散歩の老人がふらふらと入ってきては、長く滞在するわけでもなく、またすぐに出ていく。
そんな神社の縁側に干川は座っていた。隣には狛犬。石ではなく、本物の犬のような狛犬。
「日向さん、どれくらいで出てくるんですか?」
社の中に、結界の様子を確認してくると言って日向が入ってから十数分。まだ出てきそうにない。
「我が知るわけなかろう。術者の技量もある。特にあの女、術に関して随分と知識はないようだしな」
「え……日向さん、東京支部じゃ一番の使役者だって聞いてますけど」
「力だけはな。荒事となれば、奴の力は十二分に使えるだろう」
呆れたように鼻息を荒くついた狛犬は、どこか子供に見えなくもない。犬だからかもしれないが。
「確かに、風鬼とか雷鬼はすごいかも」
梶がいうには、青い色をした水鬼、最初に見たのは炎鬼と呼んでいた。つまり、少なくても4体の精霊を使役していることになる。
数はどれくらいが平均なのかはわからないが、精霊の序列としては、鬼、河童、天狗といった有名どころの伝承の妖怪から、名もないものまで下がっていくが、特に多いのが元素を司る精霊。
これは数も多く、弱いものも多いが、その中でも大精霊と呼ばれるものもいて細分化されている。簡単に見分けるならば、普通に会話ができれば結構上位になる。
つまり、風鬼と雷鬼は上位の精霊ということになる。
「莫迦め! 視えるくせに能力は見分けられぬのか」
「た、確かに若干オーラは違いますけど」
それを見分けるほどしっかりと観察したこともなければ、種類だってわからない。一応、逵中と斎藤が同じということだけはわかる。
「ふん。術師ではなくとも術は使える。あの女の本質は、精霊の使役ではない」
「え……そうなんですか?」
本質。つまり、属性。武装者には、最も作りやすい武器ということになる。逵中なら日本刀。斎藤ならメリケンサックに刃が付いたような刃であり、ふたりの属性は刃となる。榊は弾であり、確かにふたりとは少しだけオーラが違っていた。
とはいえ、使役者はそれこそ会うのは日向くらいで、あのオーラ以外見たことがない。
目の前の狛犬が、尻尾を振っていた。もしかしたら、人に教えるのが好きなのかもしれない。
「結界?」
お守りを封じている時もあったし、今日のことだって無人だからこそ、メンテナンスが必要なんだと言っていた。もしかしたら、属性としては結界なのかもしれない。
すると、狛犬はうれしそうに尻尾を振って、目を輝かせていた。つまり、
「莫迦め!!」
ハズレ。
狛犬は明らかに上位の精霊だが、干川にとってすでに扱いはただの子供になりかけていた。
「ヒントか? ヒントまで必要なのか?」
「……あー、そうですね。ほしいっす」
「我々にとって天敵。器用貧乏になりえるものだ」
全然わからない。というか、自分が答えを持っているかもわからない。
いつ降参すれば教えてくれるか、むしろ終わりがあるのかの方に考えがシフトしていっていた。
「天敵で、器用貧乏……うーん……」
そっと狛犬の様子を伺えば、嬉しそうに息を荒くしてしっぽを振っている。
今ならいける。
「降参……」
大きく項垂れて見せれば、しっぽをピンと立てて目を輝かせた。
「わからないというならば仕方ない! ”対魔”だ」
「……対魔?」
やはりというか、なんというか、答えを持っていなかったらしい。
だが、あまりにも干川の反応が薄かったからか、狛犬も不思議そうにのぞき込むと、首をかしげた。
どうやら、狛犬にとっては驚きの事実を明かしたつもりだったらしいが、どう反応するべきなのかわからない。素直に言うか、この子供のような狛犬のご機嫌を取るべきか。
干川が決めたその時、知っている顔が神社の入口からこちらを見ていた。
「斎藤さん?」
狛犬も不思議そうに振り返る。
「あの武士、知り合いか?」
「武士?」
「今は違うのか? 全く……人間はコロコロと名前を変えおって」
少し不機嫌そうな狛犬と共に斎藤の元へ向かった。
「ひとりかよ」
「我を無視するな!」
「あ? 畜生の数え方も知らねーのかよ。いいかァ? 匹って言うんだよ。ひーきー」
いくら犬に見えるとはいえ、狛犬に対して煽り始めた斎藤に干川も呆れて見ていれば、狛犬も毛を逆立てて吠え返している。
「キャンキャン鳴いてかわいいですねェーーイテェェ!!!」
ついに足首を噛み付かれた斎藤は、悲鳴を上げながら足を振り回し、近くにあった縄の絡みつく大きな石を蹴った。ゆっくりと倒れていく石は縄に引っかかり、一時的に動きを止め、その縄も大きくしなっていく。直感的に全員が感じた。
切れる。
予感は的中し、縄は切れ、大きな石は倒れた。
「縄は!?」
切った縄はただの縄ではなかった。干川が慌てて確認しようと駆け寄ると、狛犬が片方を口に、片方を後ろ足で必死に掴み耐えていた。
「……」
「ナイス根性」
「なわけあるかァ!!」
局所的に強く吹いた風は、斎藤の体を浮かせ、頭から地面に突っ込ませた。
いたのは、誰でもわかるほどに怒っている風鬼。風鬼を中心に渦巻く風に、干川はすぐに斎藤を見捨てることを決めた。自業自得だ。
「あーぁ……なにやってんだか」
「日向さん!」
呆れるようにやって来た日向は、狛犬が必死に掴んでいた縄を手に取り、狛犬を助けると、風鬼に吹き飛ばされている斎藤に目を向ける。
「なんでいるの」
だが、質問の答えは返ってくるわけもなく、すぐに干川に目をやった。
「ちょうどいいから、干川君、やってみる?」
「へ!?」
「結界の修復」
「えぇぇえええ!? 俺、そんなのできないですよ!?」
「大丈夫だって。これ、小結界だから自動修復術式も働いてるし、ちゃんと視覚化されてるし、少し解けただけだから」
日向がいうには、結界にも種類があり、修復しやすいものしにくいものがあるそうだ。今回の縄はしやすいもののひとつ。
「書き直せば使える魔方陣みたいなものだよ。結べば勝手に修復してくれるタイプで、しかもこうして物理的に掴める」
確かに日向は今も両手に縄を掴んでいて、干川にも持ってみろと片方を差し出してくる。
「そいつは術に精通してないのだろ! 危険だ」
「でも、やらなきゃできないよ。失敗してもちゃんと直すから」
「ぐぅぅぅ……」
「というわけで、結んでみよう」
「どうやって!? 本当にやり方、全然わからないんですけど!?」
「君が絶対に結べた。と思うように結んで。本当の縄ってわけじゃないから、感触は違うけど同じだよ」
両手に握った縄は、妙に感触が無くて、引っ張れば抵抗なく伸び、緩めれば大きく弛むことない。妙な感覚ではあるものの、慎重に一度結び目を作り、もう一度結ぶ。
これで結べているはずだ。日向の方を見れば、結び目を指さされる。見てみれば、結び目が溶けるように徐々に合わさり、ついに元の一本に戻った。
「ね」
これが自動修復術式というものらしい。
小結界や大結界などの大きく重要な結界には、ほぼ確実に備えられている術式であり、多少力があれば直せるようにしてあるそうだ。
「てか、本当になんでコイツいんの?」
それは干川も知らないし、話を聞く前にこの惨事だ。日向はなにか察しがついたのか、なおさら呆れたように斎藤のことを睨んでいた。
「逃げてきたんだ」
「うるせェよ! テメェもあのジジィ避けてんじゃねーか!」
「一緒にしないでくれない? お前よりはちゃんと理由あるし」
「ハァ!? 変わんねーよ! ビビってるだけだろうが!」
「お前もビビってるんじゃん」
「そりゃ、お前……」
「まぁ、確かに……」
微妙な顔をして納得してしまったふたりに、干川は首をかしげるしかなかった。
*****
都心から少し離れたとはいえ、一面緑に溢れているところは少ない。森林浴でもすればリラックスできそうな外とは違い、屋敷の中は重苦しい空気。榊はその重い空気に心の中で頬をひきつらせながらも、表には絶対に出さなかった。
隣には逵中。前には、天ノ門創始者であり、現総帥である京極右舷がいた。後ろに控えているのは、秘書兼ボディーガードである青山白虎。
「我々はマリナ殿の護衛と本来の目的を探れということですか?」
呼び出された内容は単純なことで、今度アメリカから来日する富豪の娘を護衛するというものだった。護衛なんて別の組織に頼めばいいと思うが、この富豪が護衛はカクリシャでなければ務まらないという考えを持っているため、娘もカクリシャに護衛を頼んできたそうだ。
マリナの来日理由は、観光だというが、どうやら裏があるらしい。
「その目的に検討は?」
「確証はない。だが、一ヶ月前から朱雀の周りをうろつく輩がおる」
京極の言葉に、逵中も榊も眉をひそめた。
「彼に護衛は?」
「一応。本人が気づかないようにだけどな」
「狙われているのが彼なら警告すべきでは?」
「もちろん警告はしてるさ。でも、アイツも戦士だ」
「しかし、まだ子供だ」
青山と逵中が睨み合う中、榊は京極をのぞき見れば、こちらをじっと見ていた。
「……なんでしょうか?」
できる限り笑みを作りながら聞けば、京極は表情を一切変えずに聞き返す。
「観測者を保護したと聞いたが、能力は判別できたか?」
「はい。能力は過去視。カクリモノ、門、精霊に対しては24時間以内は残像が残っているそうです。カクリシャに対しても力を使用していれば。それ以外では結界、封印、憑依、カクリシャを目にすれば視えるということですが、まだ日が浅いですから確認できていないものもあると思います」
「そうか」
観測者そのものが珍しいため、能力に関してわからないことも多い。それは京極も同じなのだろう。
「護衛の詳細については、お前たちに一任する。必要があればこちらも手を貸す」
「承知いたしました」
白虎が詳細の書かれた資料を逵中たちに渡した。
*****
「護衛?」
欠伸をしながら頷いた日向に、干川は少しだけ驚いたように聞き返してしまう。
「護衛ってなにから守るんですか?」
「そりゃ、人とかカクリモノとか……そのへんは普通のと同じだと思うけど」
確かに守れそうではあるが、わざわざ護衛をすることには驚きだった。前を歩く斎藤も呆れたように返してくるが、どうやら案外カクリシャの護衛を希望する人は多いらしい。
「ったく、サツにでも軍にでもやらせろってんだ」
「それは要人の話だろ。ただの金持ちだと難しいんじゃないの?」
警察や自衛隊にも、極一部、カクリシャで構成された部隊がある。能力を持たない人間では対処できないカクリモノが出た時のためだが、時折要人警護に駆り出されていることがある。
「でも名指しだったんだろ」
「まぁ……」
「有名だったからですかね?」
天ノ門はカクリシャが作る組織の中では大きい。しかも、街中でカクリモノを倒すこともあり、警察とも繋がりがあるという意味でも、一定の信頼は置かれているのだろう。
「それ、いつなんですか?」
「一週間くらい先だったかな……」
「曖昧っすね……」
「いや、だって平日だし。私たちは学校だからいけないでしょ」
それで連絡がなかったのか。と、納得していれば、自然と目は斎藤に向かう。そして、日向にもう一度目をやれば、頷かれた。
ふたりの視線を感じたのか、斎藤は心底嫌そうな顔でこちらに振り返る。
「んだよ! 護衛とかクッソめんどくせーことしたかねェーんだよ! コッチは!」
「職務放棄っすね」
「全くもってその通り」
「ぜってーサボってやる!」
「それは困ります」
新しく会話に入ってきた声に、三人はすぐに声の主に振り返れば、片目が髪で隠れた少年が立っていた。