1話 始まりは穏やか?に
その日、
「よぉーしっ利害一致だ。テメェ、俺を手伝え」
見下ろされながら、いかにもチンピラみたいな男にそう言われた。
*****
俺には昔から変なものが見える。
別に幽霊とかそういうやつではなく……いや、ある意味幽霊と似たものかもしれないけど。とにかく本来見えるものではないものが見える。
「干川。単3ってもうない?」
「単3?」
カラーボックスの中を見るものが、確かにない。
「ないな……どっかから借りてくれば?」
「そうするわ」
仕方ないと、適当に手についた機械の中から電池を取り出し、自分の機械に入れると動作の確認をし始めた。
俺の所属する物理部は、文化系部活によくある、文化祭しか基本がんばらない部活だ。先生もあまり来るわけでもなく、時々様子を見に来たり、たまに講義をしたりする程度。
基本的には、鍵を借りて、放課後の溜まり場になってる。各自、ロボット作るのが好きな奴がロボット作ったり、ゲームして時間をつぶしたり、勝手にやってる。
「もうないなら、俺、帰りに買ってくるよ?」
「いいの?」
「うん」
領収書をもらって、使用用途を書いておけば予算内であれば問題ない。
早速、荷物をまとめて部室を出た。
「ん?」
道にカマキリのような腕を持つ怪物が、コマ送りの写真のように立っている。
怪物は怪物でも、”カクリモノ”と呼ばれる怪物。門から現れ、人や動物を襲う怪物だ。
だが、ここにはいない。
「……」
カクリモノを通り抜けていく人々。あれは俺にしか見えていない。
俺も何事もなかったようにカクリモノの幻影の隣を歩いた。
「ありがとうございましたー」
家電量販店の自動ドアから一歩出た瞬間、人に突き飛ばされた。
突き飛ばした人は何を言うわけでもなく、一目散に走っていって、俺は呆然と見送るしかできなかった。先程の人が走ってきた方向から悲鳴が聞こえるまでは。
「きゃぁぁあああ!!!」
切り裂くような叫びに、声のする方へ目をやれば、たくさんの人がこちらに向かって走ってきている。
状況もわからない俺は、ただ戸惑ったように人波に揉まれ尻餅をついて座り込むだけ。
「カクリモノだぁ!!」
誰かの叫びにようやく状況を理解し、逃げ出そうにも立ち上がれない。
しばらくして、人波は途切れ、道には俺一人。
「……」
悲鳴は聞こえない。妙に静かな空間に、体は震え、強ばる。
「おい。クソガキ」
「はいッ!!!」
変な声が出た。
「って、人……?」
後ろから聞こえた声に振り返れば、そこでまた小さく悲鳴を上げることになった。いかにもカツアゲしてきそうなチンピラみたいな男が、いかにも不機嫌ですって顔で見下ろしてくれば誰だって怖い。
「アイツら、どこだ?」
「アイツら?」
「カクリモノだよ。カクリモノ」
訳も分からず、先程の人波が現れた方へ指をさせば、その男は「あっちか」なんていって大股で歩いていく。
男が歩いていって数秒、
「あ、そっちは危ない……!」
ようやくその男が危険なことに気がつくと、慌てて後を追った。
確かにカクリモノの写真を撮ろうとする友人はいる。そういった人たちもいるが、アレは危険なのだ。そんな無謀なことをして、命を落とす人は多い。
あの人がどうしてカクリモノのいる場所に向かうのかわからないが、止めなければ。
通りに出た瞬間、その光景に口を抑えた。カマキリのような手を持ったカクリモノが人を切り裂いて、一番遠くにいるものは小さな男の子を小脇に抱えている。
それどころか、人が何人も倒れている。
「和人ー! 和人ーっ!!」
誰かを探すように声を上げる女の人は、俺と目が合うと駆け寄ってきた。
「和人を知りませんか!? 息子なんです!」
背筋が震えそうになった。震える喉で、どうにか視界に映る男の子の身長、服装を上げれば、母親であろう女の人の目はどんどん開かれていく。
「どこにいるの!? 教えて!! 和人は――」
「カ、カクリモノに、連れてかれて……」
大きく見開かれた目は、潤む。
「ぁ……」
膝から崩れ落ちた母親は、顔は伏せていたが、色の変わるアスファルトで何が起こっているかはわかった。
なんて言えばいい。なにか、言わなければ……なにか。
「僕が見たのは、連れて行かれる様子だけです。だから……」
死んでいないなんて言い切れない。食われていないなんて言い切れない。
だけど、
「だから、僕が連れ戻します!」
言い切らないなんてできなかった。
改めて、連れ去った場所を間近で見れば、ちょうどビルの上にカクリモノの残像がある。子供もまだ無事だ。
「って、言ったもののどうすりゃいいんだ!?」
カクリモノと戦う? 無理だ。確かに武器自体は、威力は低いが店には防犯用に置いてある。それを借りればいいかもしれないが、訓練も受けてない子供ができるか!? 無理だ。絶対に。あの子の前に、俺が死ぬ。
なら、怯ませてる間に子供と一緒に逃げて、警察に駆け込む? きっともう警察か警備が動いてるはずだ。そうだ。このことを相談してもいい。
「それがい――ぎゃぁぁああ!?」
いつの間にか頭を抱え込んで座り込んでいた顔を上げれば、先程のチンピラが俺のことを見下ろしていた。
悲鳴を上げながら尻餅を付く俺に、一切触れず、品定めするように腰を曲げて睨む。
「テメェ……見えてんのか?」
「へ……?」
「ここにいたカクリモノが、今どこにいんのか、わかんのかっつってんだよ」
「わ、わかりません!! わかりません!!! 正確な場所はわからなくて、でも後は追えるっていうか……!!!」
首を横に振れば、何故か物理的に横を向いた状態で頭を押さえられ止められる。
「ほぉ~~~~そ~~かそ~~か。そりゃいい」
「は……?」
「俺はあいつをぶっ殺さなきゃならねぇ。んで、テメェはあいつの後を追える」
頭から手を離され、自由になった頭は自然な向きに戻り、男を見上げる。
「よぉーしっ利害一致だ。テメェ、俺を手伝え」
全くどこも利害が一致していないような、結果的には一致しているような言葉をかけられたのだった。
「要は、その場でいたカクリモノが見えるってわけか。使えねェ」
ビルの階段を上りながら、俺の目のことについて説明すればこの反応だ。今すぐにでも帰りたい。けど、ダメだ。あの子を連れ戻さないと。
屋上に出れば、ビルからビルに飛び移っているカクリモノの姿。
俺の目は、過去その場にいたカクリモノが見える。しばらく時間が経つと消えるが、それまではくっきりと、それこそ現実と見分けがつかないくらいに。
連れ去られている男の子が見えてる辺り、たぶんこの目はカクリモノに関するものであれば見えるのだろう。
「あのビルから先が見えません。たぶん、あそこにいます」
ここから三つ離れたビル。そこから姿が見えない。もしかしたら、うまくここからは見えない場所から降りたのかもしれない。
「あそこか」
男は当たり前のようにビルの淵へ足をかけた。
「え゛!?」
「あ゛?」
「あ、危ないですよ!?」
慌てて止めれば、心底わからないという顔で見てくる。こっちだって同じ顔がしたい。
「テメェ、まさかコレも跳べねぇのか?」
「普通は跳べねぇよ!」
誰がビルとビルの間を跳ぶんだ。アニメや映画じゃないのに。
心の中の声が聞こえたのか、頭上から舌打ちが聞こえてくると同時に妙な浮遊感。眼下には室外機がギリギリ置かれている幅の路地。
「うえぇぇえええ!?」
「うっせぇな! バレんだろ!」
「いやいやいやいやいやいや!? なんでェ!?」
「あ゛ぁ゛!?」
隣のビルに飛び移ると、そのまま背中から着地させられた。
「ガキのお守りはテメェの仕事だ。俺の仕事じゃねぇ」
「! どうして、それ」
「はいかイエスかデスか!?」
「は、はい!!」
ちょっといい人かと思ったけど、ムチャクチャだ!! この人!!
とにもかくにも、無事にカクリモノのいる隣のビルにたどり着いた。子供の姿も見えている。
「チッ……食われてねぇみたいだな」
今の舌打ちは聞こえなかったことにしよう。うん。
「いいか。テメェはガキを俺の邪魔にならねぇところまで運ぶ。すぐに。だ」
「はい」
「……」
「なんすか?」
じっとこちらを見てくるその目に首をかしげれば、
「なんでもねぇ」
吐き捨てるように答えられると、男の手に突然現れたメリケンサックに大きな刃を取り付けたような武器。
もしかして、とは思ってたけど、やはり異能者。カクリモノと戦うカクリシャと呼ばれる人のようだ。
「いくぞ」
立ち上がると同時に刃を投げ、ほぼ同時に俺の世界はまた反転した。背中の痛みに視界が霞み、動けなくなるが、耳に入る金属音に慌てて顔を上げる。
カクリモノとあの男が戦っていた。カマキリのような腕の刃と両手に装着された刃が何度も触れ合い、そのたびに風圧が頬を切る。
空気が痛いと感じたのは初めてだ。それでも、俺は足に力を入れる。
「うわぁぁぁああ!!!」
恐怖を振り払うように、男の子の元へ飛び込むように走れば、真後ろから金属の触れ合う音。
「ッ」
気を失っている男の子を抱きしめれば、少しだけ振り返った。見えたのは、男の後ろ姿だけで、でも、何が起きているかはわかった。
『テメェはガキを俺の邪魔にならねぇところまで運ぶ。すぐに』
そうだ。離れないと。
男の子を抱え直したその瞬間、目の前に足。
「え!?」
男の足だ。これじゃあ、逃げられない。
「なにす――」
「動くな」
足が降りていく。
「絶対だ」
もう一度、男の子を強く抱きしめた。
「はいッッ!!」
男が笑ったような気がした。
*****
交番から出てくると、ようやく長い息を吐き出せた。
あの後、俺と男の子は警察が来てからようやくあの屋上から降りられた。あのチンピラの男は、カクリモノを倒して、早々に俺たちを放置して行ってしまった。
追えるはずもなく、男の子が母親と再会したことは確認したが、その後、警察に事の全てを聞かれていた。
「はぁ……」
疲れた。
途中まではただ本当に話を聞かれているだけだったはずなのに、チンピラの男のことを出した途端、目の色が変わった。
「てか、なんだったんだ……? あの人」
よくわからないことだらけだ。とにかく、
「早く帰って寝よう……」