第九六話 指極星(一二)
師走の声も聞こえるころとなり、静のLBA挑戦にまつわる動きは、少しずつ具体化しだしていた。
まずは各務智恵子の一報だった。舞浜大学の国際協定校である、アメリカはカリフォルニア州のレザネフォル州立大学から入学許可が下りた、というのだ。その上でレザネフォル州立大学は、卒業生を通じてLBA西地区所属のレザネフォル・エンジェルスに静のセレクションを要請してくれた、という。この要請が認められたことも、合わせて報告された。
「あそこのコーチとは古い知り合いなんだが、エンジェルスのセレクションには、ぜひ、落ちるよう祈っている、だそうだ」
長沢と共に「本家」を訪れた各務が、にやりとしながら言った。
「アメリカンの、おジョークよ。普通は、成績やら、レポートやら、推薦状やら、いろいろと面倒なんだが、よっぽどのばかじゃない限り、必ず通す、とさ。お前にほれ込んだらしい。これで、まずは一安心だな」
固唾をのんでいた静以下の「新家」勢、美咲と博の「本家」勢、そして、孝子に、ほっと安堵のひとときが訪れる。
「美馬に聞いたら、成績はいいらしいな。後は、英語だ。少しでも話せるようになっておけ」
「はい」
「この家なら通訳の一人や二人は余裕だろうが、できるだけ頼るなよ。下手なのはいいんだ。いつまでたっても通訳頼みで、一言も話せないとなると、あいつは何をしに来たんだ、と言われる。溶け込む努力をしない者が、仲間と認められることはない。バスケットはチームでやるスポーツだ。それを忘れるな」
とうとうと語っていた各務が言葉を切った。横に座る長沢に視線を送る。
「いただきながらにしようか。私たちが始めないと、皆さんにも上がっていただけない」
二人の前にはすしの名店「英」の仕出しが整えられている。晩方となった会合に備えて美幸が手配していたものだ。
食事に入っても、過去に視察に訪れたことがあるというレザネフォル市の印象、州立大学の様子など、各務の談話が続いていたのだが、ここで、不意に、そうだ、と声を上げたのは春菜だ。オブザーバーを名乗って、孝子にくっついてきていた。急の参加で膳部の用意がなく、孝子の隣に座って分け前をいただいていたものが、初めて口を開いた。
「どうした?」
「いいことを思い付きましたよ。静さん。明日からアメリカにたつまで、夏休みにやったように、舞浜大で練習しましょう。私が稽古をつけてあげますよ」
「待たんか。静には冬がある」
冬とは全国高等学校バスケットボール選手権大会のことである。夏の全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会、秋の国民体育大会と並んで高校三冠の一角を占める重要な大会だった。静はとっさに返答できずにいるようだ。夏は事故で、秋は不参加で、三冠のうち、二つを逃している。せめて一つぐらい、という気持ちは、当然、あっただろう。
「そんなもの。今更、高校生をなぶって、どうするんですか。大事の前の小事ですよ。まあ、どうしても思い出づくりがされたいとおっしゃるのであれば、無理にとは言いませんが」
「これ!」
各務の大喝が飛んだ。場は静寂に包まれた。
こういうところなのだろう、と孝子は思った。那古野女学院の松波治雄が述べていた「至上の天才」の処世に対する不安だ。ことバスケットボールに関する限り、春菜は間違わない。だが、情理の配分が〇対一〇〇で遠慮会釈なくやられれば、周囲も素直に同調しようとは思えまい。
「静ちゃん」
松波との誓約を果たすときだ。視線が孝子に集中した。
「う、うん」
「おはるの言ったとおりにして」
「孝子。お前まで」
「各務先生」
「なんだ」
「私、夏に那古野女学院の松波先生にお目にかかって、『至上の天才』を生かす極意を授かりました。各務先生にもお伝えしましょうか?」
「ほう……。聞かせてくれ」
「各務先生。おばあちゃんになってください」
「何……!?」
さすがの各務が絶句した。
「松波先生は、この子を、孫みたいなもの、とおっしゃいました。何を言おうが、何をされようが、気にならない、と。全て信じて、全て委ねて。この子の思うがままに。これが、極意です」
黙然の時間は、長くはなかった。
「こう見えて、まだ五十路なんだがな。孝子は、二〇か」
「はい。早生まれなので、まだ一九ですが」
「足したら、古希を越えるな。私とお前とでおばあちゃんになろうや」
にやりと各務はきた。入れ難い話だろうが、見事に入れてくれるようだ。ならば、こちらも、である。
「わかりました。お受けいたします」
孝子は机に手を突いて、各務に一礼した。
「うん。よしよし。美馬も、それでいいな?」
「ええ、まあ。そりゃあ、手塩にかけて育ててきたわけですし、最後ぐらい一緒に、って気はありますけどね。ただ、北崎の言うとおり、大事の前の小事、とも思います」
「長沢先輩。ご安心ください。全日本選手権では静さんを鶴ヶ丘に戻します。私の主催で静さんの壮行試合を実施しますので」
オープン・トーナメント形式の全日本バスケットボール選手権大会で壮行試合とは、随分と大きく出たものだが、孝子の指導よろしく、誰一人として春菜に異を唱える者はいなかった。「至上の天才」が、ついにその本領を完全に発揮し、バスケットボール界に甚大の一撃を与えるまで、あと一カ月余りである。




